温故知新
大事なこと。でもね。
温故知新の肝は。
古いもの。昔から積み重ねられた知恵。
これらを生かすも殺すも現に今を生きている者次第。
ということ。
「ほら。昔の人って賢かったでしょ?」
で済ますのは、ある意味”責任転嫁”。今を生きることの。
当たり前すぎることだけど、昔々でなくとも、ちょっと前に誰かが上手いことやったことだって、その事実が今を生きている私たち一人一人に直接何かをしてくれるわけではない。「お陰様で~」って思うのは自由だけれど、それも現に今を生きている人が思うことであって、今ここにはいない立派にやり遂げた人が、助けてくれたりしているわけではない。その人が今も生きているとしてもね。上手くやり遂げた時と、そのあととでは、厳密に言うなら異なる人間だし。
くれぐれも、感謝するなと言っているのではないので。
寧ろ感謝はしてもし過ぎることはないです。間違いなく。
大事なことは、それでも、あくまでも、自分が現に今どれぐらい、どのように、何に対して感謝できているというのか?ということ。
昔の知恵を引いて、まだそんなこともできてないんだなーって知るのってまあ悪いことではないんだけどさ。
もうなんてーの?やり始めると。。
何もかもが既存価値に埋め尽くされていくというか。。。
内心で溜める間(ま)みたいなもんがないというか。。。
ほんと。何言ったって無駄な感じがしてならない。
溜めがないんだもんね。タメが。
どっからどうみても善行を行ったとして、その結果が善と出るか否か?については案外長い期間善行を継続してからでないと判明しないって場合も結構あるんですよね。。継続していることが善行であり、結果として善と出る、と信じ続けるってのがものすごく大事って場合が。。。
人間の忍耐力や注意力ってものにも限度があるので、そりゃたまに継続を切っちゃったりもするだろうけれども、そういうのは織り込み済みの継続ね。
辛抱足りなくて思わず切れちゃうってのはまだマシなんです。あ。しまった。。とか気づきやすいから。
問題多いのは、ただの息継ぎではなくて、もう十分やり切った。これだけやったんやから間違いないやろ!もう誰にも何も言わせん!頑張った。やれることはやり切ったんや!!!ってやつ。。。
これも仕方のないところではある。やっぱり結果は欲しい。頑張っていれば尚更。
でも頑張っている本人が決めちゃあいけないってこともあるんですわ。。。辛いけどね。。。
自分の子どもとか、かなり本能的にめっちゃ大事。愛している。って思える相手に対して注ぐ愛情とかね。
悪いわけがないじゃない?愛情自体が。
でも注いだ愛情の結果が善に出るかどうか?というのは専ら受け取る側で決まることなんですね。
そんなこたぁみんな分かっているから、押し付けがましくならないように工夫したり、とか、あー。本当に本当に大事だって思っているのに感情的に怒ったりしてしまった。。。って自責の念に駆られたりとか。。。果てしなく経験するわけじゃないですか。
そりゃ容易なことではありません。
でもです。
やっぱりね。相手の側で本当に偶然、でも全く何も根拠がないってわけでなく、注がれた愛情がひらめきを与えることがある。「ひょっとして自分って愛されてる?愛され続けてきた??」みたいなの。エピファニーっていう言葉があるんですが、そんな感じでふとした瞬間に気付いて、ありがとうございます、って思い続ける。思い続けようと決意する。時々忘れちゃってもまた戻ってきてくれる。
そういうことが実現すればようやく善。と見做せる。
これって誰にもジャッジはできないじゃないですか?誰もが注ぐ方注がれる方双方経験するわけだし。各自注ぐ方の時は信じるだけ。注がれる方に思いを向けつつ。ふと気付いた経験などを思い出しながら。。
でも長い長い期間の繰り返しの末、ようやく現れるかどうか?というような閃く瞬間のこと。長期繰り返しと一瞬の閃き。そういった超レアなイイことも、それがこの世にあるらしいと分れば、誰もが欲してしまう。できればあまり労せずに。。。
で。案外似たようなことは沢山あるわけです。「分かった!」「悟った!」みたいなやつね。。。
となれば尚更、長い長い間結果が出るかどうかも分からない繰り返しになんて期待しなくなります。。。期待しなくなるどころか、、「何それ?」みたいに侮蔑したりね。。。
過去を紐解いて、「うぉ!」って閃いちゃったりする。でもそこでお話はお終いではない。しばらくは生き続けるわけですから。。
大事なのは継続・繰り返し。
それを実践するのは現に今を生きている一人一人。
実践できないと。。。結構貴重な閃きの瞬間だってただただ消費されるだけに終わってしまう。。それも次次、、、を際限なく求めて。。
本来閃きというのは結構辛い、成果もよく分からない長期(多くの場合単純作業)継続におっきなモチヴェーションを与えてくれるもの。
閃かせてくれた過去の偉人達に感謝する気持ちはそれだけでも尊い。でも、感謝の気持ちというのがホンモノならば、それは引き続く人生の中で継続して示していくしかない。そういう継続実践義務みたいなのをひっくるめてもやっぱり過去から学ぶことは大事だし楽しい。温故知新もそのような解釈でもって、日々の道しるべにしたいものです。