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ベーコンエッグ:慣れは怖い

 実家では、父がいつも一番に早起きをしていた。そして、仕事へ向かう前にベーコンエッグを家族の人数分、焼いておいてくれるのだ。私は朝起きると、コーヒーをいれて食パンを焼いて、ベーコンエッグとともにいただく。

 いつのまにかそんな日々が当たり前になっていた。一人暮らしをしてから、それがどれだけ贅沢な日常だったのかを思い知ることとなった。

 実家にいる時も、父は拗ねていたことがあった。ある日、もうベーコンエッグが当たり前になっているだろう、と悲しそうに呟いていたのだ。いつもベーコンエッグをいただく時には、「ありがとう」と決まって言うのだが、嬉しそうな顔をすることが減ってきていたらしい。

 ある日の休日、父はベーコンエッグをわざと作らないまま過ごしていた。私が後から起きてくると、ベーコンエッグがなかったのだ。あれ、ベーコンエッグは?と私が言うと、待ってましたとばかりに嬉しそうな顔をした父が仕方ないなあ、とベーコンエッグを作ってくれた。

 父は元来、私たち家族の喜ぶ顔が見たくてベーコンエッグを作ってくれていたのだろう。それが、毎日やることで当たり前と化してしまい、喜ぶ顔が見られなくなっていったのである。

 人間、そういうものなのだ。自分がなにかをしてあげたことに対して、感謝と喜びを確認することができなければ寂しくなってしまうのだ。自分がやっていることは、もしかして独りよがりなのかと心配になってしまうのだ。

 一方で、喜ぶから、とはいっても毎日やられていては当たり前だと思ってしまう、というのもある種仕方のない話だと思う。自分がどれだけ幸せな時間を送っていたのか、気づくことができなくなってしまうのだ。慣れとはこわいものである。

 とはいえ、やはり朝のベーコンエッグは幸せをもたらしてくれる。ベーコンをカリッカリに焼いて半熟の卵を上に乗っけてバターを塗った食パンとコーヒーと、ともにいただくのだ。食卓にあるものを改めてみつめてみよう。それだけで、朝の食卓はもう少し幸せな時間になる。