ビール:多様化している価値観
ビールといえば、本当に大人の嗜み代表ではないだろうか。子どものころにあれを飲んで、美味しいと感じる人はほとんどいないと思う。それなのになぜか、あののどごしをおいしいと感じる日は唐突に訪れるのだ。
ずっとありえない、そう思っていた。ビールを美味しそうに飲む大人。仕事終わりの一杯がたまらない、という大人。
今でも私は、ビールが特別好きなわけではない。ただ、最初の一口、そののどごしはたまらない。染み渡るように、私の体を流れていくあの感覚。思わず、クーっと言ってしまいそうになる。
そんなビールは、最初の一杯として注文されるのが定番のお酒である。ビールが最初の一杯として選ばれる理由はなんなのか。どの大人も好きなお酒だから? いや、違う。それは、注文がしやすいからだ。全員がお酒の注文をする最初のタイミングで、各々が好きなお酒を頼んでいては収拾がつかないからだ。
しかし、最近の飲み会ではそうでもなくなってきているという。ビールを苦手な人に対して、最初の一杯はビールを飲め、という風習はときにパワハラとして捉えられてしまう。そのため、最初の一杯はとりあえずビール、は普遍的な価値観ではなくなっているのだ。
この問題に対しては、さまざまな意見があると思う。私自身、苦手ながらにビールを飲んでいた時期もある。そのため、ビールを飲むのが苦痛だという意見もわかる。一方で、少なくとも最初の一杯はビールにしようよ、という意見もわかる。きっと、メンバーによって雰囲気によって、臨機応変に対応すべき問題なのであろう。
かつては、個人のせいで大勢が迷惑をこうむるのがおかしい、という価値観の方がまかり通っていたのではないかと思う。しかし、大勢の利益のせいで、個人が苦しむのはおかしいという価値観も大切にされ始めているのである。以前よりも、個人が重要視される社会になってきたのではないかと感じる。