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人生、悲喜こもごも

人生、悲喜こもごも。喜ばしいこともあれば悲しいこともある。


それが人生というもので、全ての出来事、体験には意味がある。


何の意味があるのかは、その時の本人には殆ど分からない。


あとになって、その時の経験にどういう意味があったかが


気付くこともある。


一つ一つの経験には、偶然はなく、必然的に経験する。


その点と点が結びついて線になったときに、新しい学びなったり、


気付き(悟り)を得られるものだと思う。


喜ばしいことや、悲しいことも、その人の人生の「使命」を成し遂げ


魂の成長を加速させるために必要な経験であり、一喜一憂することはない。


凡ての人間は、この世に生を為す折に、必ず「使命」を持っている。


たとえそれが、死産や中絶で生きて生まれてこれなかった生命も例外ではない

番いとなるはずであった両親に、「いのち」についての学びを気付かせるた


めの「使命」をもって、生まれようとしてきた。


そうすることで、番いとなるはずだった男女に、陽徳を積み、魂の成長を加


速させることができるものである。


人生というものは、幸せな事より辛いことの方が多いと言える。


自分の人生に満足している君子は、そう多く存在しない。


その為、殆どの人が自分の人生を満足するために努力をしている。


中には、自分の人生を諦めたり、生きることに「意味」を見出そうとしない人


もいる。病気で床に臥せたまま、人間活動が出来ない人もいる。


それでも、どんな意思を持っており、どんな境遇にいようとも、


人生には成し遂げなければならない「使命」がある。


「使命」は、生前、自ら課したものであるため、


その人生を成就させるためには、悲喜こもごもの経験は


不可避である。凡庸なる人間の姿は凡てである。


「使命」に気づき、それを成就させようと決意した


人は、どのようなことよりも有意義であり、幸せである。


常に「内在する魂」に意識を向け、懸命に生きることが


人生に意味をもたらすのである。


そのように生きてきた人は、今の人生に幕意を閉じ


最期を迎える時には、とてもすがすがしく


一切の悔いなく往生できるものである。


肉体は朽ちようとも、霊界に逝った魂は


次の人生の「使命」を決めて、生まれ変わり


魂の成長を加速し続け、より高度な次元の


霊層界を目指し続けるのである。


そうして、永遠の命を生きるのである。



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K・HAMANO
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