歴史の長い非営利組織に対峙するということ・その限界〜例えばPTA〜
私がよく他人から勘違いされる部分
を遺しておきます。
これは、未来の自分のために。
私は、本業以外で、歴史が長い文化や組織
に何度か飛び込んできました。
学童保育のお兄さん(大学時代)・自社の野球チーム・野球の審判員・PTA・少年(学童・中学)野球指導者
「野球」という軸は、
もはや私とは切っても切れないご縁と運命づいております。
もう一つの軸は、
「子ども」です。
これもよく勘違いされますが、
私は子どもを直接相手にすることは嫌いではありませんが決して得意ではありません。
けれど、
大人が大人のために力を尽くすことより、
未来の担い手としての役割をグラデーション的に渡していく後世が、よりスムーズであることに、直観的に美学を感じます。
そのことを如実に感じたのが
「PTA」
これまたよく勘違いされますが、
私は「PTAという組織や活動が大好き」
というわけではありません。
先に述べた、
後世に渡すに相応しいものを相応しい形
でつないでいく、
ということに美しさを感じるのです。
よって、私が在任期間で尽力したのは、
「子どものため とは言いながら、必ずしもそうではなくなっていることがあるな」
「子どものためとがんばりすぎて、多くの大人が泣いていることがあるな」
「後世に渡すには少し恥ずかしいな、申し訳ないな」
と思った部分を少しでも相応しい形
にしておきたいな、
ということです。
もちろん、
私個人の意見や我欲ではなく、
丁寧に適切にプロセスを踏んで。
でも熱量は相当持って。
ゆくゆく子どもに跡を継がせる仕組みが恥ずべきものであっては···
「お父さんなんでこんな形で私らに放り投げてったん!?」
と言われたくないな、
という気持ちが一番強かったと思います。
私は、2018年から2023年の5年をかけ、
一つの学校のPTAで、
ようやくそれが少しだけできたかな、
と思えました。
一緒に考え悩み、
行動に移してくれた役員メンバーや学校職員そして会員という名の保護者のみなさん
には本当に感謝しかなかったです。
また、その過程で、
市内・県内・全国の同じ想いを持つ方々
とつながれましたし、
意図的にメディアの力を借りたこともあり、反響に驚愕しました。
でもそれ以上に、
・ごく周りのメンバーとのベクトルや歩幅の差異
・過去に積み重ねてこられた先達の方々への意図しない形での伝播
・メディアで切り取られた部分のみを真に受けた、面識のない方からの暴言(激励の言葉はそれ以上にありました、それが救いでした)
・近隣PTAの一部の方からのあからさまなやっかみ・嫌がらせ
・PTA大好き人間あるいはPTA廃止論者と両極端に思われる
こんな出来事に相まみえました。
これらは私の主観なので、
真理はまた別に多様にあるのでしょうが、
「リーダーなんて自分の口が良く言ったな」と自分で自分を思ってしまったり、
「子どものためにあるはずの組織で、大人が大人をこんなにもはっきりイジメるんだな···」
と、思わざるを得ないことが、
数は少ないですが確実に起こったり。
人間の人間たる部分を見ました。
私としては
「真に求められるなら」
という思いもありましたが、
そうした声もなく、
運命的に後継の適任の方が
いてくれたこともあり、
「5年」
という区切りでいただける賞状を頂戴して、それを誇りにPTAのコアな部分から離れました。
5年やったね、と。
おそらく、
この5年を超えて
さらに何かを変えていくには、
少なくとも私のような人間では
到底なし得ない(自分自身の致命的な何かを破壊しかねない)と、
それはいまでも思います。
でも、
あの5年間が浜名冬樹を成長させた期間
だったことは、間違いありません。
また、僅かながらにも社会にさざなみを起こしたことが、誰かの何かの気付きにもなった、とそう信じています。