戦後の復興を目指して誕生した小さな商店会。志を受け継ぎ未来に向けた街づくりを行う「大門振興会」。
浜松町Life Magazine、第6回は、大門振興会会長の佐久間克文さん。
「みんながこの街に誇りを持てるようにしたい。」そう願う佐久間さんは大門・浜松町育ち。そんな佐久間さんに、大門振興会の取り組み、この街への想い、そして、将来への展望を伺いました。
戦後復興を目指した街の小さな商店会。
ーはじめに大門振興会のことを教えていただけますか?
大門振興会の設立は昭和22年(1947年)です。会がスタートしてから70年近くが経ちました。戦後間もない頃に、「この大門・浜松町地域を盛り上げていこう!」ということで、商店のおやじさん同士がお互いの親睦を深めるための会としてスタートしたようです。
そうして会を続けていくうちに、単に親睦を深めるだけの会でなく、「地域をより良くしていこう」と考えるようになって、地域の「防犯・防災」などの取り組みも展開していくようになったということのようですね。この取り組みを継続するうちに、徐々に行政とのつながりが強くなって、今では行政・警察・消防とも連携して活動しています。
ー会員にはどのような方がいらっしゃるのですか?
まず、大門振興会の範囲ですが、設立当初は大門通り沿いに100mたらずの短い距離が範囲でした。ですが前会長の時に、「大門振興会の可能性をもっと広げていきたい」という思いから、海側の竹芝エリアや山側の東京タワーの方まで範囲を延伸して会員数を伸ばしたんです。この時に、インターコンチネンタルホテルさんや劇団四季さん、増上寺さん、東京タワーさんのような企業が会員に入ってくださいました。
ーこのエリアならでは、そして日本を代表するような施設さんも会員になられているのですね!会員数はどれくらいですか?
今の会員数は約40です。数だけで言えば、今の2倍近い数の会員さんがいた時期もありました。ひと昔前は、地元商店と企業とで、数のバランスがとれていて…どちらかというと地元商店の方が多かったかもしれないくらいだったのですが、時代が進むとともに、この地域から出ていかれる方やお店を閉める方もいらしたりしまして。今は約40会員のうち、8割くらいが企業さんです。
ー時代とともに大門振興会も変化をしてきているのですね。
そうですね。ただそうはいっても、発足当時の考え方は今でも大門振興会の土台になっています。この大門振興会は、先ほどもお話ししたようにもともとは地域を盛り上げようとする親睦団体です。まずはお互いの顔を知り、仲良くなることが何より大事だと思っています。何をするにしたってお互いの顔がわからないと、地域ぐるみの良い活動はできませんからね。
お祭りをプロのアナウンサーが実況?大門振興会だからこそできること。
ー大門振興会の行っている取り組みをご紹介いただけますでしょうか?
この地域には、芝大神宮の「だらだら祭り」という歴史と伝統のあるお祭りがあります。各町会のお神輿が道路をねり歩き、たいへんな盛り上がりを見せるのですが、大門通り沿いにテントを張って、マイクで各町会の神輿を紹介したり、お祭りの実況をしたりしています。実はこのマイク実況、大門振興会が仕掛けて始まったことなんです。
ーお祭りの実況、初めて聞きました。珍しい取り組みですね。
マイク実況は大門振興会の会員でもある文化放送さんにご協力をいただいています。なんと、文化放送のアナウンサーさんがマイク実況してくださっているんですね。プロの実況は全然違うんですよ。ただでさえ盛り上がるお祭りですが、そのお祭りに参加する方に、もっともっと楽しんでもらえるように、大門振興会ができることを考えた結果、実況という形をとることになったんです。
あとは絵の寄贈なども行っています。前会長の時代には、大江戸線の開通に合わせて「江戸町火消」の絵を寄贈させて頂きました。この絵は是非一度、足を止めてみてほしいです。地元の方にとっても、この街に来られた方にとっても、一見の価値ありだと思います。
その他にも、港区さんに特別なご協力をいただき、大門通りの街路灯に大門振興会のフラッグをつけさせていただきました。大門振興会のアピールにもなるのはもちろんですが、このフラッグ掲出を通して、大門振興会の会員やこの地域の人達が、この街に誇りを持てるようになったらいいなとも思っています。
ー大門振興会が基盤とする大門通りは、まさに、この街のメインストリートですよね。今後やっていきたいことなどはありますか?
この街にいる方にも、この街に来られる方にも、この街をもっともっと楽しんでもらいたい。そして、この街をもっともっと盛り上げていけるように、カタチに残せることはやっていきたいと思っています。
今はイルミネーションをやれたらいいなぁと思っていますね。竹芝の海から東京タワーの山を一本でつなぐ大門通りを、一人でも多くの方に知ってもらいたいですし、楽しみながら歩いてもらいたい。そのために大門振興会に何ができるかを考えています。
広いエリアがまとまり、街の可能性を拡張したい。
ー佐久間さんは、この浜松町・大門エリアの特徴をどのようにお考えですか?
この地域はもともと、下町の雰囲気がある地域でした。そして、近くに海があり、街の中心地があり、増上寺や芝大神宮、そして、芝公園の緑もある。都会の真ん中に在りながら、海と緑と歴史が揃っています。東京の中でも特殊な土地ですよね。たぐい稀なこの地域を今後どうしていくか、幅広い世代で議論する必要があると思っています。
ただ人を集めるだけなら簡単かもしれませんし、人が集まれば賑やかにもなりますが、人が集まるということには色々な側面があると思います。
地元で商売している人は「人が集まること」を目指したいと考えるでしょうけど、多くの人が集まれば、これまでの歴史や伝統をつないでいくことが難しくなる側面もあります。いろんな意見のバランスをとりながら、どういった方向性を目指していくべきか、実はまだ答えは見つかっていません。絶対的な解がないところが、街づくりの難しさだと感じています。
ーあらゆる人が関わる「街」を対象にする難しさですよね。
大門振興会に関わり始めた頃は「若い」と言われていましたが、そんな私も、もうすぐ60歳になります。そろそろ「自分がこうしたい」というだけでなく、若い世代にこの大門振興会の志をどのように引き継いでいくのかを考えていなかければならないと思っています。
このように「繋ぐ・引き継ぐ」ということを考えるようになったのは、世界貿易センタービルさんの開発が契機なんです。貿易センターさんの開発が完成する今後4~5年の間には、街も大きく変わりますよね。そうした未来に向けて、今大門振興会がどうあるべきかを考えていかなければいけない。これは喫緊の課題だと思っています。
貿易センターさんの新しいビルができれば新しい企業が入ってきますよね。そのような新しい人たちに、この場所を誇りに思えるようになってほしいんです。
これから入ってくる人に、伝統と歴史のあるこの地域を理解してもらいたい。そのために、我々は情報を発信し続けていく必要があると思っています。
ーそうしたことを実現するために何が大事だと思われますか?
これからの時代は、一部の限られた地域だけで街づくりをやっていても限界があると思います。より広いエリアがまとまって動くことにより、あるいは、他のエリアと連携することにより、可能性が何倍にも広がると思うんです。
より広い範囲に目を向け、様々なことをボーダレスに検討していく。そのような柔軟な視点が大切だと思います。
なので世界貿易センタービルディングさんがやっているエリアマネジメントやDMO(※)等の取り組みとの連携は、大門振興会にとってはとても貴重な機会だと思っています。
(※)DMO=Destination Management Organizationの略。観光資源に精通し、地域と協同して観光地域作りを行う法人のこと。
ー浜松町は交通の要所ですし、観光の要素も大事ですよね。
インバウンドはコロナで止まっていましたが、本格的に戻ってきたら、この街を散策して楽しんでいただきたいですね。国内外を問わず、ひとりでも多くの人にこの街を訪れてもらって、少しでも多くの賑わいがある街にしたいと思っています。
大門・浜松町のエリアは、都内の有名エリアに比べてあまり知られていない場所だと思いますが、ここは陸海空の玄関口でもあり、歴史や自然がある。スカイツリーはもちろん立派ですが、東京タワーには東京タワーの良さがあり、根強い人気があります! これらの大切な資源を活かし、どう繋げていくかが一番のポイントだと思っています。
次の50年・100年を見据え、やれることを。
より魅力ある街「大門・浜松町」へ。
ー佐久間さんは生まれも育ちも大門・浜松町ですよね?昔のこのエリアはどういった雰囲気だったのでしょうか?
はい、私自身は昭和39年にこの地域で生まれました。幼稚園や小学校の頃などは、この街全体が遊び場でしたよ。海の方(竹芝方面)は海っぺりまで遊びに行けましたし、旧芝離宮恩賜庭園では、バッタを追いかけまわしたり、ザリガニ釣りをしたり。昔は無料で入れたんじゃないかなぁ。
あと、よく覚えているのは大門通りのマクドナルドができた時のこと。小学校3年生、私は9歳でした。日付も覚えていて「1973年10月26日オープン」でした。オープン前に無料で食べさせてもらえる期間があって、無料で食べた記憶があります(笑)。ここのマクドナルドは現存する国内店舗では6番目に古いお店かなぁ。この街は、マクドナルドひとつとっても歴史と伝統があるんです(笑)。
あと、芝パークビル(通称:軍艦ビル)のある場所は、昔はスケートリンクがあったし、プリンスパークタワーのある場所はショートコースのゴルフ場があった。昔のことを知らない方からすると信じられない風景でしょう。
ースケートリンクにゴルフ場ですか!建物が建ち並ぶ現代では想像もつきません。
ちょっとした100年のあいだに、いろいろなことが変わっています。たかだか100年ですよ(笑)。だからね、今を生きる人にはやれることがたくさんあると思うんです。もちろん私にも、やれることはきっとある。
何ができるかを考えると同時に、まずはこの地域の歴史や特徴を知ってもらって、それを次の世代に引き継いでいけるような、そんな仕組みが大事だと思うんです。
ーこの街の変化の大きさを考えると、未来に向けてもできることはたくさんあると感じますね。
本当にそう思います。この地域には、海があり山があり、それをつなぐ大門通りがあり、とても面白いと思うんです。
この地域の次の50年・100年を考えた時に、住んでいる人だけで地域を盛り上げていこうとするのには限界があると思っています。この地域に集まる人たちや企業が、この地域に魅力を感じ、「こんな街にしたい」「こんな企業にしたい」といったような、希望を持てるかどうかが大事だと思います。
重要なことは歴史・伝統、地元、企業がいかに融合するかだと思うんです。
これまでの歴史と伝統を認識したうえで、若い人たちが「どうしたいか・どうしていきたいか」を考えてほしいと思いますし、より良い方向にどんどん変わってほしいと思っています。
ー最後に、これからやってみたい事がありましたら教えてください。
個人的には、この地域に「長屋」ができると面白いんじゃないかなぁと思っているんです。長屋は、京都にはありますが東京にはないので、若い人が集まってくるような仕掛けを作って東京版長屋ができたら面白いなぁと。京都では、若い人から年配の人までが一緒に住み、そのコミュニケーションの中から新しい発想が生まれるということが実際にあるようなんです。
この地域の町会には一人住まいの高齢者の方がたくさんいます。もともとは下町の雰囲気がある地域なので、長屋のような空間で、つかず離れずの中から生まれるコミュニケーションがきっとあるはず。東京版長屋。面白いんじゃないかな!
<取材・文:宗平大和(世界貿易センタービルディング)・中塚麻子(玉麻屋)/編集:坂本彩(玉麻屋)/撮影:yOU(河﨑夕子)>
大門振興会
https://minato-sansin.com/shopping_street/06/
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