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浜松町のまちの一員として、半世紀をともに、そして未来へ。世界貿易センタービルディングの想い。

2024年12月現在、浜松町駅西口地区では大規模な再開発が進行中です。その中心となるのが、半世紀以上にわたり浜松町のシンボルであり続けた「世界貿易センタービルディング」の建て替えプロジェクト。この新たな挑戦は、2027年の竣工を目指し、陸・海・空を結ぶ交通の要衡として利便性をさらに高めるだけでなく、地域全体の魅力を引き出し、新たな価値を創造することを目指しています。
 
このプロジェクトを率いるのは、長年再開発に尽力してきた㈱世界貿易センタービルディングの代表取締役社長・宮﨑親男さん。そんな宮﨑社長のこれまでのキャリアや再開発への熱い想い、地域とのつながり、そして未来の浜松町やそこでの世界貿易センタービルディングの持つ役割、ビジョンについて伺いました。

まるでひとつの街のような、東洋一の高さを誇った超高層ビル。理容室は今も愛用中。

----最初に、宮﨑さんのバックグラウンドについてお聞かせいただきたく存じます。幼少期はどんなお子さんでしたか?

私は鹿児島県で生まれ育ちました。父の仕事の都合で県内を転々としていたのですが、小学生の頃、奄美大島で暮らしていた時期がありましてね。海が身近な環境ですから、よく港まで船を見に行ったものです。その影響で将来は船乗りになりたいと漠然と考えていました。とはいえ船乗りはあくまで憧れ。実際は高校卒業後に上京し、東京の大学で経済学を学びました。

㈱世界貿易センタービルディング 宮﨑社長


----宮﨑さんは大学を卒業した1975年、㈱世界貿易センタービルディングに新卒入社されたそうですね。当時の「世界貿易センタービルディング(WTCビル)」の様子について教えてください。

㈱世界貿易センタービルディング(旧社名:㈱東京ターミナル)の創業は1964年。そして1970年に完成したのが、東洋一の高さを誇った超高層ビル、WTCビルでした。このビルは日本における貿易の総合センターであると同時に、羽田空港と浜松町を結ぶ交通総合センターとしての役割を兼ね備えていました。ビルの中には、オフィス、銀行、郵便局、飲食店、書店、医療施設、結婚式場、展望台、バスターミナル、駐車場など多様な機能が備わっており、まるでひとつの街のようだったんです。そのため、ランチや終業後の食事、本の購入、体調を崩した際の受診、さらには散髪まで、すべてがビル内で完結しました。当時利用していた理容室は移転してしまいましたが、私は今でもそこに通い続けています。

----入社してから代表取締役社長に就任されるまで、どのようなキャリアを歩んでこられましたか?

私が最初に配属されたのは管理部になります。WTCビル全体の運営管理を担う部署で、ここで仕事とは何たるかを学びました。転機となったのは、企画部へ異動した32~33歳頃ですね。当時は港区が所有していたWTCビル西側の土地を活用する再開発構想の真っ只中。私もプロジェクトメンバーの一員として精一杯取り組みました。都営大江戸線の建設開始など複数の要因が重なり、残念ながらこのプロジェクトは頓挫してしまいましたが、企画部での業務は性に合っていたのでしょう。その後も総務部長を務め、2001年に総務部長兼企画部長として取締役に就任しました。
2000年代に入ってからは、大崎駅西口での「ThinkPark」開発プロジェクト一色となりました。コンセプトの立案から設計、施工、2007年の開業まで、パートナーである㈱明電舎さんと協業しながら全力で取り組みました。大きな挑戦となるプロジェクトでもあり、糧となる経験になりましたね。

1982年の社員旅行にて 上段右から2番目が宮﨑社長


地域とともに歩み続け、新たに挑む「第二の創業」となる浜松町駅西口地区の再開発

---- 2009年に代表取締役に就任されたとき、どのような思いを抱かれましたか?

私が代表取締役に就任したとき、㈱世界貿易センタービルディングは2つの課題を抱えていました。1つは老朽化が進むWTCビルを改修するか建て替えかという選択。もう1つは港区からの浜松町駅前再整備への協力要請です。検討を重ねた結果、浜松町駅前整備に対する港区の要請や地元の期待に応える社会的責任を果たしつつ、当社事業の長期的な発展を図るには、WTCビルの建て替えを軸とした一体再開発が最善の選択肢であると判断しました。
 
これは非常に大きな決断でした。しかし創業から50年以上にわたり地域とともに成長してきた当社が、さらなる50年を生き残っていくには、避けては通れない挑戦です。WTCビルが培ってきた価値を継承し、新しい価値を創造していこう。そのような思いを込め、私たちはこの一連のプロジェクトを「第2の創業」と位置付けました。

----浜松町駅西口地区の再開発プロジェクトの概要について教えてください。

コンセプトは「浜松町が日本と世界をつなぐ“一歩目”に」。まさに浜松町駅西口地区を新たに生まれ変わらせる一大プロジェクトとなります。再開発区域はWTCビルとモノレール浜松町駅が位置するA街区、2019年開業のオフィスビル「日本生命浜松町クレアタワー」が建つB街区、住宅やオフィスや商業、そして文化芸術ホールを備えたC地区で構成。街区全体のランドスケープデザインを統一し、線路を挟んで敷地の東側に広がる旧芝離宮恩賜庭園と調和した緑豊かな空間の創出を目指しています。

浜松町駅西口再開発プロジェクト 配置図

A街区のWTCビルは2021年に南館が先行開業し、2027年には地上46階の本館が順次開業予定です。本館には日本初進出のラグジュアリーホテル「ラッフルズ東京」、観光プレ体験施設、オフィスなどが整備され、南館と本館を結ぶ地上8階のターミナルには商業施設「アトレ」や屋上広場が設けられます。また、浜松町は東京の陸・海・空を結ぶ交通の要衡であり、3駅5路線が乗り入れる利便性の高い拠点です。ステーションコアの整備によってさらにスムーズな乗り換えを実現しますので、どうぞご期待ください。

再開発後の世界貿易センタービルディング外観イメージ

また、2023年にはこの再開発地域全体の発展につなげるため、「一般社団法人浜松町芝大門エリアマネジメント」を設立しました。地域の町会、企業、商店会と連携し、賑わいの創出や環境対策、情報発信を通じて、より良いまちづくりを推進しています。地域の課題を捉え、地域全体でその解決に向けた取り組みを進める「エリアプロデュース」の視点を持ちながら、まちの一員として浜松町芝大門エリアの価値をさらに高めていきたいと考えています。

役目は地域の住民と企業を「つなぐ」こと

当社の初代社長、本田弘敏が掲げた「当社の発展はテナント各位の繁栄に基づき、WTCビルの発展は地域全体の発展につながる」という基本精神は、これからも守り続けていく所存です。本田が1975年に京都の伏見稲荷大社から分霊をお迎えし、旧WTCビルの3階に設けた「みなと稲荷神社」は、地域とのつながりを示す象徴のひとつ。建て替え中は分霊を芝大神宮にお預けしていますが、新しいビルが完成したらターミナル8階の屋上広場に再びお祀りする予定です。10月の例大祭や2月の初午祭、また地元の方や周辺企業の方々との伏見稲荷大社参拝旅行もこれまで通り行いますので、いつの時代も地域の皆さまに親しんでいただける場所でありたいですね。

旧WTCビル3階の中庭にあった「みなと稲荷神社」
再開発後のターミナル7階屋上広場 右側8階部分に新しい「みなと稲荷神社」の姿も


----浜松町駅西口地区の再開発によって、新たなつながりや交流も生まれそうですね。

そうですね。当社は町会や地元企業の方々とともに、街の発展へ向けた活動や防災活動に取り組んでまいりました。今回の再開発でオフィスや高層マンションができることで、新しい企業や住民の方々も増えていくと思います。今後はそうした方々と、地元住民の方々が自然につながり、助け合える新たなコミュニティを構築していきたいと考えています。半世紀以上、浜松町のまちとともに歩んできた私たちが、テナントさんや町会、周辺企業、地域住民の方々をつなぐ“接着剤”として、全体の課題解決や発展に貢献していけたらいいなと。

----宮﨑さんにとっての浜松町の魅力とは?

「水と緑と歴史が息づくエリア」であることだと思います。まず、たくさんの船が行き交う海と、旧芝離宮恩賜庭園や芝公園の緑が街に潤いを与えている。このように自然と調和した街並みは、再開発が進む他の地域ではなかなか見られません。加えて江戸時代から続く寺社や歴史的な建築物が点在し、街全体に歴史の重みを感じさせています。この「水」「緑」「歴史」が織りなす独特の空気感こそが、浜松町の最大の魅力だと感じています。
 
それと個人的な話ですが、私は乗り物が大好きなんですよ。浜松町では飛行機、新幹線、モノレール、電車、船、バスなど様々な乗り物を見ることができます。子どもの頃に奄美大島の港で船を眺めていた記憶が蘇りますね。今でもオフィスから飛行機を眺めて、「あの飛行機はどこに向かうんだろう?」と想像を膨らませるのがとても楽しいんです。

----2014年、創立50周年記念事業のひとつとして、「ひとをつなぐ、まちをつなぐ」というグループスローガンが策定されたそうですね。その経緯を教えてください。

創立50周年を迎えるにあたり、当社の未来を担う当時の20代・30代の社員たちに自身の決意や思いをグループスローガンや企業理念に反映してもらおうと、策定を託しました。「ひとをつなぐ、まちをつなぐ」というスローガンには、魅力ある空間の創造と彩りある時間の提供を通じて、ひとをつなぎ、まちをつなぎ豊かな社会づくりに貢献していく、そういった思いが込められています。
 
2027年にはWTCビルの建て替えが完了し、新しい浜松町が本格的に動き出します。このプロジェクトを形にするのが私の役割。その先は若い世代が新しい価値を創造し、街をさらに発展させてくれると信じています。これからの(株)世界貿易センタービルディング、そして浜松町の未来を、ぜひ楽しみにしていてください。


取材・文:後久大樹(㈱世界貿易センタービルディング) / 撮影:鶴岡丈二(㈱世界貿易センタービルディング) / 画像提供:㈱世界貿易センタービルディング


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