どこにでもあるけど、どこにもないもの
このマガジンのテーマはズバリ「働き方」です。
とあるイベントがきっかけでアイガモ代表の川添ユウキさんにお誘いいただき、この共同マガジン「どこにもない働き方」をスタートすることになりました。
振り返れば、2019年は至るところで「働き方」について議論されてきたように思います。
テレビをつけると、
・パワハラ
・セクハラ
・過労死
など、仕事にまつわるネガティブなトラブルを多く目にしました。
少子高齢化は進む一方ですし、国が進める「働き方改革」もいまだハッキリとした手応えを感じません。
多くの人が、
「これまでと同じように、このまま働いていて大丈夫なのかな?」
と考えさせられる1年だったのではないでしょうか。
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実を言うと、マガジンタイトルの「どこにもない働き方」は、僕個人が働き方の指針として掲げているものです。
僕は2年前に会社員を辞め、
・ライター
・自給農
・ゲストハウス
・コミュニティ運営
と、仕事の幅を少しずつ広げてきました。
そのような、”1つの肩書きに縛られることなく、自分に合った仕事を掛け合わせる働き方”を「どこにもない働き方」と呼んでいます。
ちなみに「どこにもない」という表現は、児童文学『モモ』(ミヒャエル・エンデ著)からもらったもの。
街に現れた「時間貯蓄銀行」と称する灰色の男たちによって人々から時間が盗まれてしまい、皆の心から余裕が消えてしまう。しかし貧しくとも友人の話に耳を傾け、その人に自信をとりもどさせてくれる不思議な力を持つ少女モモが、冒険のなかで、奪われた時間を取り戻すというストーリー。
ーウィキペディア「モモ (児童文学)」より引用
この物語の中には、「どこにもない家」という”時間を司る家”が出てきます。
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ミヒャエル・エンデは日本の禅にも精通していて、禅的な表現を好んで使う傾向があります。
光があるから影が生まれるように、あらゆる事象は表裏一体です。「どこにもない」は、すなわち「どこにでもある」を意味します。
「どこにでもあるけど、どこにもないもの」
ここでミヒャエル・エンデが意図しているのは、おそらく「時間」です。
時間は誰でにも等しく与えられている(どこにでもある)にもかかわらず、僕たちは直接時間を目にすることはできません。
僕たちがふだん時間だと思って目にしているものは、あくまで「時計」という「時間を計測する機械の動き」にすぎないのです。
”どこにでもあるけど、どこにもない”
これは働き方についても同じことが言えるのではないでしょうか。
働き方って、決して固定された「こうでなければいけない」というものではないはずです。
たとえ1つひとつの働き方はありきたりのものだとしても、1人ひとりが自分に合った働き方を突き詰め、掛け合わせることで、結果的に「どこにもない働き方」になる。
そんな風に感じています。
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このマガジンは「働き方」をテーマに据え、複数のメンバーに寄稿していただく形で進めます。
書くこと、そして読むことを通じて、みんなで一緒にこれからの働き方について考えていけたら幸いです。