一つの場所にまとめるということ
もったいないからと、元の状態をキープしておくこと。何においてもそんなことをしていた。例えば、配布された資料も、保管しやすいように手を加えることはせず、他の紙と一緒にファイルに入れておくだけ。
穴あけパンチで穴を開けて、ファイルに格納する人を見ても、自分もやろうかなとよぎってもやらない。紙に穴をあけることを躊躇う。ハサミで切ったり、どこかに貼るということにも抵抗感を感じていた。
捨てることはせず、でもあとで見返すこともほとんどしない。もう見ないのに、捨てない。見るかもしれないからと、その可能性があるという理由でとっておく。
だけど、捨てない理由だって、ただの可能性でしかなく、しかも見返さない可能性の方が高いことはわかっている。それでも、捨てるということはしない。
もし必要な時が来たらと。あの時捨てなければよかったと思うかもしれないと、捨てない自分を正当化する思考。もったいないというか、捨てるということを決めずに、判断を保留にしているだけだ。
使っているその場では、必要な情報を書き込むということはあっても、それを整理したり、何かにまとめておくということはしない。その時に使っただけで、その後は使える存在でなくなる。あるということだけの存在だ。
結局、ただ持っているというだけになっていて、いざ見ようと思うときにも、探すのに時間を要する。ここにあるはずというファイルをおおよその検討はつけるけど、探すのに時間がかかる。
いつでも使える存在ではなくなっているから、一度見た場所で見つからないと、1枚目から見直すことになる。使ったその時に、ファイリングをしておけば、こんなことにはならない。
昨年の秋頃、Scrapbookとの出会いがあった。友人の子どもが出かけた時のチケットだったり、作ったものを写真で撮って貼ったり、日々の中で行ったところややったことを貼っていた。見た瞬間、これだ!と思った。
こんなふうに一か所にまとめていけば、自分の日々のことも、流れていつの間にかなくなるのではなく、そこにとどめることができる。見られる状態になっているので、開けばいつでも見ることができる。今の課題感が解消されるのではないかと思った。
善は急げで、それから数日のうちに購入した。実際に使ってみると、なかなかいいものだ。貼ってしまうことが爽快だ。切って貼ってもいいし、そこに直接書いてもいい。もったいないとかきれいなままにとか思う気持ちがいつの間にか薄まっている。普通のノートでだってできる。
配布された紙だって、時間とともに、どんどん汚くなっていく。それは管理の問題で、ずっとファイルに入っていて、そのファイルにものが多くなって埋もれていって、端っこが折れたり歪んだりしていく。大事にとっておくということではなかったのかと自分にツッコミが入る。
そうなるのなら、始めから貼ってしまえば、そこに留まって、ファイルに入れておくよりも、状態としてはそのままを維持できる。何よりめくる時に目にも止まるし、使う瞬間が終わっても、関わり続けることになる。とにかく最近は思い切って貼るをやっている。