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人生かみしばいがわたしに教えてくれたこと。

私は、薄っぺらい感想を書く子供だった。

たとえば、道徳の時間の感想文。

「いじめはよくないと思いました」
「理由は、自分がされたらいやだからです。」

「お年寄りには席をゆずるべきだということがわかりました」

いや、訂正。
自分の感想が薄っぺらいなと思いながら、薄っぺらい感想を書く子供だった。

最近、小学校へ授業をしに行っているのだけど、小学生の感想文を見て思い出す。



自分が発することばが薄っぺらいと知っていたから、他人が発することばも薄っぺらいんだと思っていた。

中学校の部活の顧問に言われた、
「おまえは人の言うことを聞いているフリして聞いていない」という言葉。

親から頼まれて、はとこが進路の相談に乗ってくれようとした時。

インターンシップで、面談してくれたファシリテーターの
「あなたを水場に連れていくことはできるけど、水を飲ませることはできない」という言葉。

私は目を見て話すことが苦手で、その人たちのことばは覚えているけれど、その時にどんな感情で、どんな想いを込めて話してくれてたのかが分からない。

小学校へ授業しに行くようになって、私の人生かみしばいを作って読み聞かせている時、ふと気づいた。

わたし、相手の目をみている。
子どもたち、私の目を見ている。

あの、目が合う瞬間は忘れられない。

今の私のことばは薄っぺらいとは感じない。

そして、子どもたちの感想も、薄っぺらいとは感じなかった。

自分なりに精一杯伝えたことは、届くらしい。

そう思ったとき、気づいた。


ああ、薄っぺらくしていたのはわたしだった。

こわいから、自信がないからいつも相手の目から目を逸らした。

薄っぺらくない、本当のことばと出会うことがこわくて仕方がなかった。

だから、ことばを受け止めることをしなかった。

自分の本当のことばを伝えることをしなかった。

でも、あの時の小学生の目が、かみしばいが終わったあとに言ってくれた感想が、先生方の感想が、

薄っぺらくなんかない本当のことばたちが、うれしかった。


人生かみしばいは、わたしに本当のことばを伝えることの喜びを初めて教えてくれた。


今もまだ、目を逸らして取りこぼしていることばはたくさんあると思うけれど、少しずつ本当のことばを拾えるようになりたいと思っている。

そのためにも、こわいけれど、自分の本当のことばも伝えていきたいと思う。

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