財政拡張策の制約をMMT的な発想で検討してみる



国民民主党の玉木代表が掲げた「手取りを増やす」財政拡張策に対し、経済学理論を振りかざす連中は「財源がない!」とかほざくわけだが、元から経済音痴なのにどうしてそんなに自信満々で言えるのか謎に思える。


そこで、批判的な意味も込めて、財政政策の拡張は本当にダメなのかどうか検討してみることにする。

まず、MMT的発想(考え方、理解の仕方)についてだが、本家のMMTの理論については各自で成書などをお読みいただくとして、数年前にもネット界隈で論争が勃発してましたね。
その当時に書いた説明を元に当方の持つ「MMT的発想」について、説明しておきたい。


MMTを超簡単に言うと
・貨幣発行と財政拡張はインフレ率の制約内ならOK
・その財源としての徴税は不要(注;税収は普通にある)
・金利は無し
・国債も不要

ということで、当方的には「考え方は理解できるが、現実の制度としては懐疑的(調節機能が乏し過ぎて無理ぎみ)」である。


参考:


財務省こそ正しい・緊縮(均衡)財政こそ至高としてきた主流派経済学自認勢(笑)にとっては、到底許し難い理論なのである。それゆえ徹底批判をしていたのだ。


19年5月、当方のMMTに対する見解:



当方独自の説明がこちら:







MMT的な考え方、発想というのは、既に現実の経済現象を「静的に表現したもの」であり、恒等式は成り立つという理屈自体はごく普通のことである、という話です。


その後、19年7月に野口旭によるMMTの解説記事が出たので、再度取り上げた。







8月にも書いた。




野口はリフレ派論客という印象だったが、アベノミクスの擁護者として消費増税に賛同した挙句、これを正当な政策とか言ってた(黒田総裁と平仄を合わせたw)はずなのでポジショントークも辞さない曲学阿世の徒ではないかと思ってた。



これはまあいい。

MMTの背景説明が長くなったが、全てを正しいとか言うわけでもないが、考え方としては説明するのに役立つという面もあるということです。


特に重要なのが「財政の制約はインフレ率」という発想ですね。貨幣供給を膨大にすると、放漫な財政と見做され為替安という打撃を受けてインフレ率が高騰するというのが、途上国などでもよく見られた現象でしょう。


その点で見れば、日本の場合は長期に渡るデフレ期間だったのでインフレ率は低いままであった。裏返して言えば、財政緊縮を掲げ続けてきたせいでもあり貨幣供給が乏しかったこともあるかもしれず、それらが複合的にデフレをもたらしてしまったということだ。


コロナ禍では欧米諸国の急激な財政拡張策に見習い、日本も財政赤字を拡大させたろ?
そのくらいやらないと日本でのインフレ率が上がらなかった、ということかと。


話が少し飛ぶが、日本は高度経済成長時代には、国債発行そのものができなかった。60年代後半以降になってようやく建設国債以外の普通国債を発行できるようになったのである。恐らくGHQ(米国)側の意向により、財政赤字を許容されていなかったのだろう。

つまり、MMTの理屈と同じく「国債発行ゼロ」で財政運営を行っており、それは貨幣供給のみで連続的に財政拡張を実行した、ということだ。






急速な一般会計の拡大は、わずか8年で3.7倍にも及んでいた。この財政制約は主に「インフレ率」を参照値として予算編成を行う慣行、すなわち「インフレ率による制約」が(国債発行がゼロなので)国債指標金利なき時代の日本だったということだ。それで何十年も普通に運営できていたのである。





したがって、当時日本の一般会計は「財源」主義などではなく、いずれ「税収が入ってくるだろう」という予測でやっていたということである。その代償は、固定為替相場制と相まって、硬直的な経済運営(調節機構、調節弁が乏しい)ことによる「高目のインフレ率」ということだろう。

MMTの考え方の説明で用いた等式

  G+rB=ΔB+ΔM+T

の「ΔB =0」なのだから、貨幣供給量たる ΔM で調節せざるを得なかったわけで。日銀の調節能力が高まれば、変動幅は小さくなってゆくのも当然でしょう。


また借入需要も旺盛だったはずで、それも金利上昇とインフレ率のプラス圏推移と関連していたと思われますね。民間資金需要が大幅なプラスとなれば、政府(財政赤字)にとっては「黒字に作用」するというのが恒等式の示す処でもあります。


従って、歴史的に見れば日本の財政運営については、シーリングもあったが主にインフレ率やGNPなど成長予測に基づいて、ある程度機械的に財政拡張策を継続したということであり、それは国債発行がゼロの下で貨幣供給量の増大によって達成していたということです。


参考:





現代の財政拡張策に話を戻すと、かつての日本の国家財政は「国債発行ゼロ」で貨幣供給のみで何十年も対応していたのだから、今は実行不可能になっているというのは考え難い。
すると「謎の経済学屁理屈」を振りかざしてくる連中が財源論を言うわけだが、過去には実行できたことが今はできないという理由を説明してもらわないと、信用できない。


ああ、当時と現代とで大きく異なる点は、変動為替制度がSWIFTと同様の「欧米側」による「攻撃兵器としての役割」がより強くなっていることがあるね。日本人はマヌケで弱腰政府の植民地奴隷しかいないので、昔の日本政府(政治家も官僚も)よりも相当に低劣となり奴隷支配強化に加担している人間が増えたことも災いしている。


ある程度のデフレじゃない環境を取り戻すのは、まだまだ時間がかかりそうだ。
アベノミクスで国民には増税を押し付けて、その巻き上げた大金は米帝のクソの役にも立たない兵器購入や海外へ貢ぐ戦費などとして毟り取られ、大企業群には大量の補助金名目で経済成長に結びつかない形で費消されたのさ。

水戸黄門の悪代官と一緒の構図、ということだ。
まずはそれを改める必要がある。


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