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逢魔の子 真鏡名家の厄災

 4月に入ってすぐのある日、琉球大学の学食に、ふたりの同級生と沖縄そばを啜る漆間の姿があった。ふたりの名前は玉城智たまきさとる伊波武史いはたけし。時々こうして一緒に過ごす友人だ。
 ふたりと居るときは好きなアニメやら音楽やら、面白かった動画の話題やら、気楽な会話で肩が凝らない。

「ところでさ、漆間のサークルって、どう?」
「どうって、何がどうなのさ」
「いやさ、漆間んとこオカルト研究会だろ?なんか面白い話とか、あるのかな~って。動画にもよくあるじゃん!真実の霊体験!とか、恐怖映像ベスト100!とかさ」

 琉球弧伝承研究室をオカルト研究会と言うのは玉城だ。横で伊波もウンウンと頷いている。

「いや、オカルト研究会じゃないし、それに智たちの興味って、ホントにそこか?」
「いっや~分かる?俺のサークルも悪くはないんだけどさぁ、漆間んとこって、人数は少ないみたいだけど、すごいんじゃん?」
「はぁ?なにがさ」
「特にさ~部長さんがさ~、超がみっつも付く美人じゃ~ん。それに同級生の八千代さん?金城さん?なんかタイプの違う可愛いさだし、3年の新垣さんだって結構人気なんだぞ?やっぱオカルトだから、不思議な魅力って言うか・・な?武史」
「うんうん、俺さぁ、彼女って出来たことないからさ?小さいサークルにそういう女子がいるのって、憧れるわけさぁ~」

 伊波も玉城に同調して、夢見る瞳を空中に漂わせている。

「はぁ、そうかいそうかい。そう思うんだったら、ふたりとも入ればいいじゃん。うちはちゃんとサークルに出て来るメンバー少ないから、来る人拒まず、みたいだぞ?」
「え?シンケン?じゃあさ、考えよっかなぁ~」
「おれもおれも!智が入るならおれも入りたい!!」
「はぁ、ところで智、その、シンケンって、前から気になってたんだけどさ、なに?」
「ああ、漆間は東京から来たから分かんないかもなぁ。シンケン?っていうのは、マジっ?とか、ホンマか?ホントに?うっそ?みたいな?ニュアンス?」
「あぁ、そういうことかぁ。じゃ智はシンケンを教えてくれたから、ちょっと怖いこと、教えようか」
「え?シンケン?どんなの?」
「あのな?・・・」

 漆間が智と武史に教えたのは、この学食の入り口に生えている”ガジュマル”の話だ。

 ガジュマルにはキジムナーが住んでいる、というのは昔から言われるが、この学食のガジュマルは違う。
 学生がこのガジュマルの下を通るとき、ぼんやりしたり、考え事をしていると、その隙を突いてマジムンが手を伸ばすという。
 それは払っても払っても付いてきて、時には首に巻き付いてくるらしい。
 その手は首に絡みつくと、外そうとしても外れない。そして最後はガジュマルの枝に引き上げられ、吊されてしまうのだ。

「・・・という話だ。どう?こわい?」
「え~?そんなことあるわけ無いじゃん!小学生の怪談レベルかよ!」

 智は大げさなリアクションで怖くないアピール。武史には意外と刺さったようで、少し落ち着きがなくなった。

「ああっと、おれ、もうそろそろ戻ろうかなぁ~、なぁ、漆間、智、一緒に行こうよ」

 そう言う武史に、自分たちもそろそろ、と言うことで、3人で学食の席を立った。
 学食を出ると、すぐに問題のガジュマルが目に入る。
 空はどんよりと曇り、昼なのに薄暗い。近くでゴロゴロと雷も鳴って、すぐにでもスコールが降りそうだ。4月なのに珍しい。
 漆間はふたりが並んでガジュマルの下に入ったのを見計らって、後ろからひと言だけ声を掛けた。

「あっ!くびにっ!!」

 ふたりは、ひっ!っと悲鳴を上げ、慌てて自分の首をまさぐる。そこには確かに、絡みつく何かがあった。

「うゎああああ!!首に!くびにぃぃ!!」

 ふたりは更に慌ててそれを外そうとするが、外れない。

「うああああ、うるま!なんとか、なんとかしてぇぇぇ!」
「分かった!ふたりともすぐ助ける!目を瞑って!両手を下にっ!!」

 ふたりは漆間の言うとおり、目を瞑り両腕を降ろして“気を付け”の姿勢を取る。

「むにゃむにゃむにゃむにゃ、はんだらかんだらほんだら、むにゃむにゃ・・・たぁ!!」

 漆間はとっておきのまじないを唱え、ふたりの背中をポンッと叩き、絡みついたものを払った。

「ほら、ふたりとも、もう大丈夫、目を開けていいよ」
「うぁあ、シンケン!?これ、シンケン??オカルト研究会、すっげ!」
「こわー!こわぁーー!!漆間の話、ホントじゃん!!こっわぁああ!」

 漆間を見るふたりの目は、すっかり尊敬の眼差しだ。

「ふたりとも助かって良かったねぇ。でもさ、この程度で叫んでるんじゃ、うちのサークル無理だし、部長になんて言われるか分かんないよ?」
「へ?あの美人の部長さんが?」
「ああ、真鏡名神鈴まじきなみすず部長、あの人、僕なんか足下にも及ばない、ホンモノ、なんだ」

 ふたりの顔色が変わった。


 学食を離れ、漆間はふたりと別れた。
 今にも降り出しそうな空を見上げながら、漆間は呟いた。

「この薄暗さ、人って、こんな雰囲気にも騙されるんだよなぁ。あんなの、僕が後ろから声を掛けた瞬間、ガジュマルの気根をふたりの首に掛けただけなのに」

 ガジュマルの気根は、枝からフサフサとぶら下がり、地面に着くと地中に根を張る。そして親木から離れ、独立したガジュマルとして成長する。その気根は、見ようによっては首を吊った人のように見える。人はそう思えば、そう見えてしまうものなのだ。

「でもまぁ、あのガジュマルの霊たちは僕みたいな悪戯はしないから、いっかな、祓わなくっても!」

 漆間は足取りも軽く、サークル棟の琉球弧伝承研究室に向かった。


 漆間がそんな2年生の日々をスタートさせたとき、真鏡名神鈴はかつての琉球を彷彿とさせる古民家の前に立っていた。その屋根に乗る赤瓦は色褪せ、琉球石灰岩が乱積みされた塀は苔むしている。
 門に当たる塀の入り口に立つと、目の前に、中に入るものを拒むように琉球石灰岩で組み上げられた壁が見える。ヒンプンと呼ばれるその壁は、外からの目隠しという側面もあるが、外から入る魔物を遮るという、まじないの役目も大きい。
 古来琉球から繋がる破邪の壁、それがヒンプンだ。
 神鈴はそのヒンプンを前に背筋を伸ばし、足下と肩を手で払って、ふっと息を吐いた。

-この家に入るときはいつも背筋が伸びるわ。変なものがちょっとでも憑いてると、頭が痛くなっちゃうんだもの。

 この家には、その敷地全体に強力な結界が張られている。どんな小さなマジムンも、この家の敷居を跨ぐことはできない。

 神鈴の門中の本家、真鏡名家だ。

「おばぁ、神鈴が来たよ」

 神鈴は今日、自身の祖母に呼ばれてこの家に来ていた。
 庭から直接上がれるようになっている一番座、トートーメー門中の仏壇のある畳間の真ん中に、老婆が座っている。

「ああ、神鈴ねぇ、言わんでも分かるさ。あんたがヒンプンの前で、マジムンをふたつ祓ったのもねぇ」

-もう、おばぁには敵わないわ、ぜんぶ見えちゃうんだから。目は見えないのに。

 神鈴の祖母は盲目だった。だがその霊力は、ユタの家系である真鏡名家の最高位である。

 ユタ・真鏡名スズ子。それが神鈴の祖母の名前だ。

「それでおばぁ、今日はどうしたの?」
「神鈴よ、あんたがあの子の話を持ってきて、もう半年ほど経つか?」
「えっと、5ヶ月ちょっとかしら」

 スズ子の言う“あの子”とは、旧姓真鏡まきょう、今は安座真優梨あざまゆうり。漆間の母のことだ。

「ああ5ヶ月か、そんななるか。これまでさ、門中の何人かに声を掛けて、真鏡のことを知る人間を探したり、あの子のことをどうするか話し合ったのさ。あの子の父親、誠仁せいじんが真鏡名を出て、あの子の母親と駆け落ちしおって、名字を変えて真鏡と名乗った。それから先の事は分からんかったからさぁ。まったく、この家をないがしろにしおってからに」

 優梨の父親は、この真鏡名家から分家したわけではなく、優梨の母親と駆け落ちしていたのだ。それから音信不通となった二人のことを語るスズ子の言葉には、長年積もった怒りが混ざっている。

「うん、それは子供の頃に聞いたことがある。その、優梨さんの母親には特異な力があって、真鏡名には迎えられなかったのよね。誠仁さんのお嫁さんにはできないって」
「ああ、そうだ。だからさ?その、優梨か。その子を見てみることにしたのさ。あの力は放ってはおけん。もし、あの母親の力を継いでいたら・・・」

 スズ子は眉間に深い皺を刻み、トートーメーを見上げた。

「うん、分かった。あのね、おばぁ、漆間の母親、優梨さんね、この4月に沖縄に来てるのよ。東京から沖縄に越してきたんだって・・」
「かかかっ!!分かってるさぁ!この4月から家族で沖縄に住むんだろ?お前を通して見えるわ。だから今日、お前を呼んだのさ」
「もう、おばぁ!じゃあ最初から言ってよ!!」
「かかかっ!」

 スズ子は、してやったり!という表情で笑った。
 ひとしきり笑うと、スズ子はまっすぐに神鈴を見やって言う。

「おまえ、どうもこの何ヶ月かで、相当にその子、なんと言ったか?その子の霊気に当てられておるなぁ」
「うるまの事ね。そう?おばぁには私の霊気、どう見えるわけ?」
「ああ、うるまと言ったか、その子の霊気はな、お前の霊気を更に強くしておるわ。霊気の色も少し変わっとる。とんでもない子さぁね。その子供、このスズ子より、上か?」
「え?おばぁ、より?・・・」

 スズ子の問いに神鈴は言い淀んだが、すぐに顔を上げ、スズ子の見えない目を見つめながら応えた。

「ううん、おばぁの方が上、ずいぶんと上。でも・・」
「今は・・・だな?」
「うん」

 スズ子の深い皺の中で、見えないはずの目がキラリと光った。


 時は少しだけ遡り、3月末の那覇空港。
 安座真漆間あざまうるま八千代言葉やちよことのはは、羽田発沖縄行きの飛行機を待っていた。

「あ、到着済みになった。もうすぐだね!うるま!」
 言葉はもう飛び上がらんばかりにウキウキと体を揺らしている。
「もう飛行機降りたかな、もう荷物のとこに歩いてるかな」
 飛行機には優梨と雄心が乗っている。そして、言葉の母、実ノ里みのりも一緒なのだ。

「1年ぶりだしな~、かあさん、寂しがってたから、喜ぶだろな~」
 そんな言葉を見ながら、漆間の心も躍っていた。

-母さん、久しぶりだな。それに安座真さんも・・そうだ、安座真さんのこと、とうさん、って呼ばなくっちゃ。自然に呼べるかなぁ。

 そうしているうちに、東京発の荷物がレーンを回り出し、周りに人が増えてきた。その中に、漆間と言葉の待ち人はいるはずだ。

「あ、あれ!!かあさん」
「あぁ、僕の母さんたちも一緒だ」

 レーンの中程に三人の姿を見つけ、言葉は大きく手を振っている。三人も僕たちの姿を見つけ、ニコニコと手を振リ返した。
 ほどなくして、山ほどの荷物を入れたカートを押しながら、三人は到着ロビーに出てくる。

「ことちゃん!元気?元気だった?元気そうね!」
「かあさんも!寂しくなかった?寂しかったでしょ?私は寂しくなかったよ?」

 言葉は母親と抱き合って再会を喜んでいる。噛み合っているようで噛み合っていないふたりの会話は、意外と天然なふたりの性格を物語っていた

「うるまっ!もう、うるまったらおっきくなって!もう、うるまったら!」
「か、かあさんやめてよ。おっきくなんてなってないし、ここ、到着ロビーなんだから!みんな見てるよ?恥ずかしい」
「なに言ってるのよ、私はうるまのおかあさんなのよ?恥ずかしいなんて、なんて恥ずかしいことを言ってるの?」

 優梨は、ほぼ1年ぶりに会う息子の姿に興奮して暴走している。だからなのか、優梨の外見は前と変わっていた。

「か、かあさん、元気なのは分かったんだけど、その、あのさ・・・」
「ん?なによ、うるま、かあさん何か、へん?」

 そんなふたりの様子を見ていた雄心が、仕方ないな、という顔で話に割り込む。

「あのさ、うるま、息子としては言いにくいだろうが、あれだろ?優梨の、胸だろ?」

 漆間は雄心に顔を向け、黙って頷いた。

「だろ?でっかいよなぁ。あのな?お前が沖縄に行って、ふた月くらいあとから、かなぁ。優梨の胸が、みるみるでかくなってさ」

 雄心の話では、漆間が琉球大学に入学して以来、優梨は事ある毎にうるまの話をするようになったそうだ。溺愛する息子がいなくなって寂しい、その気持ちからだろうと思っていたが、ついには優梨の胸が著しい発達を遂げてしまったらしい。

「あれはな、うるま、あれだぞ」
「あれ、って、あれですか。安座真監督」
「ああ、チーノウヤだ。優梨はな、お前が恋しいあまり、チーノウヤの力が発現したんだよ。それも、常時だ」
「うわぁ、なんかすごいですね」
「ああ、だがな、漆間、それよりなぁ」

 雄心はたっぷりと間を取って、突然漆間の頭に腕を回し、ロックした

「おまえ、うるま!安座真監督とはなんだ!それに敬語もいらん!さぁ!呼んでみろ!とうさんと」
「あ!えっと、あっと、ああ、ええぇ~」
「と・う・さ・ん!!」
「はい、とうさん、沖縄に、おかえり!」

 雄心は満面の笑顔で応えた。

「ああ!ただいま!うるま」

 優梨はその目にいっぱいの涙を溜めて、ふたりを見つめていた。


 漆間と言葉はバイクで、そして優梨たち三人はレンタカーで国道331号線を南下し、雄心の実家に到着した。
 実ノ里と言葉は沖縄に滞在する5日間、雄心の父、雄大ゆうだいの厚意で安座真家に滞在することになっている。4泊5日でホテルに滞在すると、相当な出費になるからだ。可愛い娘のためとはいえ、母子家庭でこの出費は痛い。
 実ノ里は家に入るとすぐ、雄大に頭を下げる。

「お父様、これから数日お世話になります。八千代言葉の母です。漆間君にはずっとお付き合いさせてもらっていて、雄心さんにも剣道部でずいぶんお世話になっておりました」

 実ノ里に続いて、雄心も父親に感謝を告げる。

「おとう、ありがとうね。八千代さんたちのこと。漆間と言葉は高校から仲良かったから、今回はみんな一緒がいいかなって思ってたからさ、良かったさぁ」
「な~んも気にせんでいいさぁ。部屋は空いてるんだし、ホテル代の分、母子おやこ二人で思いっきり観光したらいいさぁ、あ、漆間、おまえも一緒に行って案内して差し上げなさい。お前の未来のおかあさんなんだから」
「え!じいちゃん、未来のおかあさんって・・・」

 絶句する漆間をよそに、優梨が口を挟んだ。

「え?ダメよそんなの、お義父さん!漆間はまだまだ結婚しませんよ?それに実ノ里さんたちを漆間が案内するなら、私も行きます!」
「優梨、君はダメ、四月から××小学校の先生なんだから、すぐ学校に行かなくっちゃ。それにさ、俺も四月から○○高校の剣道部監督なんだし、ふたりとも明日から忙しいんだって」

 チーノウヤの力が暴走気味の優梨を、雄心が冷静に抑えた。優梨は不服そうな顔を見せるが、仕方ないな、という表情を見せる。そこに実ノ里が助け舟を出してくれた。

「ねぇ、優梨さん、1日位はいいんじゃない?あした、ことちゃんとバイクでヤンバルに行くことになってるの。優梨さんは、うるまくんのバイクの後ろで、どう?行かない?ね!うるまくんも、いいでしょ?」

 実ノ里の提案に、優梨は飛び上がって喜んだ。

「いいわね!実ノ里さん、ありがと!!ねっ!雄心、いいでしょ?」
「ん?う~~ん、まぁ、実ノ里さんがそう言うなら、漆間も、いいか?」
「うん、そういうことならいいんだけど、いいか?言葉」
 それまでそばで聞いているだけの言葉だったが、漆間の問い掛けにはニッコリと応えた。
「まぁ、ことちゃんとうるまくんって、やっぱりお似合いだわ」
 実ノ里のその言葉には、優梨も同意するしかない。しぶしぶではあったが。

 その日、安座真家の夜は、大盛り上がりの宴となった。


 翌日の午後、国頭村楚洲の浜。

「あ~気持ちいい!あ!ことちゃん、あそこ!海の中で釣りしてる人がいるわ!なにが釣れるのかしらね~」
「おかあさん、あれはね、熱帯魚が釣れるのよ?」
「やだ、ことちゃんったら、沖縄で釣れる魚はぜ〜んぶ熱帯魚でしょ?」

 今日はおかあさんを後ろに乗せて、ずいぶん遠くまで来た。沖縄自動車道を使わなかったし、沖縄本島南部から北部まで休み休み走ってきたから、3時間も掛かっちゃったけど、途中で食べた本家ソーキそばも美味しかったし、ここまでの景色も素晴らしかった。
 漆間と優梨さんも楽しそうだわ。でも、優梨さんの胸ってば、すごい。あれってIカップ?それともJカップっていうのかしら。あれ、チーノウヤの力なのよね。
 それに比べて私ったら。でも、おかあさんもそうだから、これは遺伝ね!仕方ない仕方ない!

 私はフルフルと頭を振って雑念を払い、おかあさんに向き直った。

「ねぇ、おかあさん、私がいなくってひとりで暮らすって、ほんとに寂しくないの?」

 私はこの1年、ずっと気になっていることを聞いてみた。私が勝手に琉球大学に決めたのに、おかあさんは最初から賛成してくれた。漆間くんと一緒ならいいよって。だけど、ホントはきっと、寂しいはずだわ。

「うん、寂しい。ほんとはとっても寂しい。でもね、たった4年間だって思ってるの。もう1年経っちゃったでしょ?あとたった3年だもの。それにね・・」
「それに?」
「あなたたち、絶対結婚するでしょ?」
「え?ええっ?」

 私のほっぺたが熱くなる。おかあさんったら、いきなりなに言ってるの?

「私ね、分かるのよ。パパが、葉太郎ようたろうさんがね、ことちゃんと漆間くんは結婚するよって言ってるのが。それに漆間くん、ことちゃんのこと、ぜ~んぶ知ってるんでしょ?ことちゃんも漆間君のこと・・大好きでしょ?」
「も、もぅ!!おかあさんったら!今の、ふたりには絶対言わないでよね!」

 ああ、小四のあの日から、私を今も守ってくれてるパパが、おかあさんにあんなことを伝えたの?私のほっぺたは、もう熱くて焦げそうだわ。


「ねぇ、うるま、あれ、見てごらん?」
「うん、あれ、すごいねぇ。ふたりで何を話してるんだろね」

-あらまぁ、うるまったら、ことのはちゃんの気持ちが、女心っていうのが分からないのかしらね。でもそんなところも可愛いわ!!
-あら?もしかして、ほんとに二人の仲は深まってない?これは、早めに仲を取り持った方がいいのかなぁ。
-それにしたって、ことのはちゃんって、すごいんだねぇ。うるまを取られるのは悔しいけど、あの子なら、いいかな。

 腕組みをする優梨の目線の先には、数メートルはあろうかという巨大な霊気を立ち昇らせた言葉の姿があった。その色は、濃密に輝く純白だった

「さぁ、言葉!西海岸に回って帰ろうか!実ノ里さんも母さんもいいですね?で、見に行こうよ!」
「そうよ!ものすっごく綺麗なの!名護湾の夕日!」

 それぞれの母を後ろに乗せて、2台のバイクは勢いよく走り出した。
「あ、ちょっと待って!」
 走り出した瞬間、言葉が声を上げた。
「おかあさん、優梨さん、キジムナーって、会ってみたくないですか?」
 言葉は、前回キジムナーにいたずらされた公園に行くつもりのようだ。
「え~?キジムナーってなに?ことちゃん、おかあさんコワイよ」
「ははは!ことのはちゃん、いいね!行こうか、キジムナーに会いに!実ノ里さん、大丈夫よ?ここには3人もホンモノがいるんだから!」
「え?え?ホンモノって、3人って、優梨さん、なにそれ?」
「ま、いいからいいから!じゃあ、うるま、ことのはちゃん!行こうか!」

 漆間は苦笑いを浮かべながら、バイクのアクセルを開けた。

「名護湾の夕焼けには少し時間がある。それであの公園か。キジムナー、今日はいるかな?」

 そんなことを呟きながら。


 同時刻、安座真家の居間。
「雄心よ、あんたさ、○○高校の剣道部監督って、給料はどれくらいだわけ?千葉の高校は結構良かったみたいだけどさ、沖縄ではそう高くないんじゃないの?こっちに戻ってきて、ちゃんと生活できるの?」
「あぃ、おかあ、俺は教員免許持ってるからさ、監督って言っても先生みたいな立場だわけよ。まぁ臨時みたいな扱いだから、本当の先生よりは安いけどさ。それにさ、優梨は去年きちんと準備して、沖縄県の教員に復帰するんだから、ふたりの給料を合わせれば全然問題ないさ」
「しかし雄心よ、おとうとおかあはお前たちが帰ってきて嬉しいが、なんで今更帰ってきたね?沖縄に、なんかあるのか?」
「うん、おとう、それは気にしなくっていいよ。これは俺と優梨と、そして漆間が決めたことだから。それにおとう、じいちゃんって呼ばれてうれしかったろ?おかあも、ばあちゃんってさ~」
「あ?・・まぁ、それはな!それは、うれしいさぁ~~」
「うんうん!うるまくんったら、良い子だからねぇ。ホント可愛いんだよ」

 漆間の話題に目尻を下げる父と母を見ながら、雄心は思っていた。

-俺が高校、大学と内地に行ったから、おとうとおかあには寂しい思いをさせてしまった。
-でもこれからは賑やかだぞ?これまで出来なかった分、親孝行させてもらうよ。おとう、おかあ。
-それと、漆間の実の母親、名城明日葉のことは黙っておこう。これはもう、漆間と優梨と、俺の問題なんだから。

 安座真漆間、琉球大学2年生の春は、こうして幕を開けた。


 4月のある日。琉球大学サークル棟、琉球弧伝承研究室。
 漆間と言葉は大学2年生の生活を順調にスタートさせている。安座真家は漆間に加え、息子の雄心と嫁の優梨を迎え入れ、5人家族となった毎日はいつも賑やかだった。

「ねぇうるま、雄心さんって、また高校の剣道部の監督してるんでしょ?監督って仕事だったのね。知らなかった」
「うん、僕も高校の時は知らなかったんだけど、父さんと母さんが結婚するとき、剣道部の監督が仕事なんだって教えてもらったんだ。それにさ、父さんって教員免許も持ってたんだって」
「へぇ、じゃ、雄心さんも先生とかすればいいのにね」
「うん、でもね、県ごとに教員採用試験とかあって、結構難しいみたいだよ?母さんは昔、沖縄の小学校で先生だったから良かったみたいだけどね」
「そうなんだね。じゃさ!今度、雄心さんの学校で剣道させてもらわない?監督の補助、みたいな形で!」
「ああ、それはいいかもね!父さんに言ってみるよ」

 他愛もないふたりの会話が部室に響く、それを聞きつけた金城日葵きんじょうひまりが会話に加わってきた。

「うるま!優梨先生が帰ってきたの?私も会いたい!」

 日葵は小学1年の時、当時の真鏡優梨が担任だったクラスで漆間と同級生だった。漆間の実の母、名城明日葉が怪異との闘いで命を落とし、優梨が漆間を引き取って東京に移住したため、わずか1年足らずの担任だったが、優しかった優梨先生は、その後も子供たちに慕われていた。

「私ね!一度手紙を出したことがあるのよ?2年生に上がってすぐくらいかなぁ、優梨先生とうるまくんへ、っていう手紙。うるまくん、覚えてない?」

 漆間にはその手紙の記憶がない。沖縄での怪異との闘いから高校1年までの約10年間、漆間は沖縄でのこと、怪異のこと、そして実の母の記憶すら無くしていたのだ。

「うん、ごめん、ひまちゃん、そのことは覚えてないや。一度ね、母さんがひまちゃんのことを教えようとしてくれたんだけどさ、前に話した件で記憶が・・」
「あ、そうだったね!そうなんだよね!うん、いいの。仕方がないよ」
「それでひまちゃん、うるまくんへって、どんなこと書いたの?」
「ううん!ことちゃん、いいのいいの、今言ったことは忘れてヨシ!逆にごめんね?うるまの話は聞いてたのに、でさ、ところでさ・・」
 日葵は慌てて話題を逸らす。
「あのさ、優梨先生にはあの頃から霊能力があったんでしょ?優梨先生って、ほら、ユタとかノロとか、沖縄の霊能者?そういう人だったのかなぁ」
 日葵の疑問に、漆間も首をひねりながら応える。
「う~ん、そういうのとはちょっと違う感じなんだよね。母さん自身はユタの家系に繋がってるみたいなんだけどさ、詳しいことは聞いてないんだ」
「ふぅ~ん、なんか複雑なことがあるのかな。でも結局うるまってさ、ユタの家系とはまったく関係ないんでしょ?」
「そうだね、僕は全く関係ない。僕の実の母親の姓は、名城だからね」

 そこに、離れた席で話を聞いていたのだろう、神鈴が声を掛けてきた。

「漆間、その話なんだがな」
「はい、部長、なんですか?」
「いや漆間、いつも言ってるが、私のことは部長って呼ぶな。今までどおり神鈴さんでいいぞ。なんなら神鈴って呼び捨てにするか?」
 神鈴の話を、これも神鈴のそばにいた奥間が聞いて割り込んできた。
「え!先輩の俺だって美鈴さんって呼んでるのに、なんで後輩の漆間が呼び捨て?それは美鈴さん、許すことは出来ないって言うか!!俺も神鈴って呼んでいいですか!!」
「あん?奥間、じゃあ君は私のこと、部長って呼んでくれていいぞ?」
「え~?いや、美鈴さん、で、いいっす・・」
「あはは!冗談だ!奥間はいつも面白いなぁ。いや、そんなことはどうでもいい。漆間の話だ」
 どうでもいいことにされて奥間は少ししょげているが、神鈴に面白がられるのは嬉しいようだ。そんな奥間をよそに、神鈴が話を続ける。

「漆間、お前の母親は、旧姓が真鏡、だったな?」
 漆間が頷くと、神鈴は少し身を乗り出す。
「あのな、うちの家系は真鏡名、沖縄でも有数のユタの家系なんだ。女性が強い力を持つことが多いんだが。そしてお前の母親は、どうやらうちの家系と直接繋がっているようなんだ」

 神鈴と漆間は、奥間が持ってきた“公園の椅子に座る幽霊”の件でお互いの力を認め合っている。また、“風樹館の万年筆”の件でも助け合い、信頼し合ってもいる。
 その神鈴は、漆間の旧姓が真鏡、そして母親の名前が優梨だと聞いて、そのことを真鏡名家の最高位ユタである、祖母の真鏡名スズ子に伝えたのだ。

「お前に黙っていて悪いとは思ったが、私も半信半疑なところがあったからな。それで、うちのおばぁがな、漆間のお母さん、優梨さんに会いたいと言ってるんだ」

 漆間には、目の前の人や物に残った残留思念を読む力がある。神鈴はそれを知っているし、思念を読まれないよう閉ざすことも出来た。だが、漆間に真鏡名家でのことを話す間、神鈴は思念を押さえず、ありのままを漆間に伝えている。

 おばぁというのは、トートーメーの前に座る老婆のことだ。名前はスズ子、目が見えない老婆。
 だが、スズ子が座る一番座はもちろん、その屋敷と敷地全体が強力な結界に守られている。
 それほど強い力を持つユタの一族、その最高位が、スズ子。
 優梨の父の名は、真鏡名誠仁まじきなせいじん。スズ子の子供だ。つまり優梨はスズ子の孫に当たる。そして優梨と神鈴は、従姉妹いとこ

 誠仁は二十歳の頃、宮城由布みやぎゆふという女性と出会った。
 だが、由布には特異な力があった。その力を恐れた真鏡名家とスズ子は二人の結婚に反対し、由布を遠ざける。
 そんな真鏡名家に嫌気が差した誠仁は、家を出て由布と結婚し、真鏡と改姓する。

 その二人の間に生まれたのが、優梨。
 優梨の母親、由布の特異な力、それは・・・

 漆間がそこまで読み取ったとき、漆間のイメージの中で、スズ子の両目が大きく見開いた。見えないはずの両目は、イメージの中で漆間を見据えている。そして漆間の頭の中を、スズ子の一喝が支配する。

「ワラビンこどもチャーよ!そんなとこで見てないで早く来い!儂のめぇに、真鏡名スズ子のめぇに!」

 ハッとして顔を上げた漆間の目と、神鈴の目が合った。

「うるま、頭の中でおばぁに叱られたか?それが私のおばぁ、真鏡名スズ子の力だよ」

 漆間はごくりと喉を鳴らした。
 行かなければ。母さんと一緒に、スズ子の前に。

 漆間は、そう強く思った。


 某日、午前。真鏡名家。
 琉球石灰岩の塀の奥に見えるヒンプン。それを目の前にして、漆間たちは立っていた。漆間と優梨、そして雄心。もうひとり、辺土名助教授もいた。

 辺土名は、漆間とその母、優梨が抱える真鏡名家との因縁と、一同が真鏡名家に向かうことを神鈴から聞き、同行を決めたのだ。それは琉球弧伝承研究室の顧問として当然の責務だと、辺土名は思っていた。

「では、漆間君、お父さん、お母さん、参りましょうか」
 辺土名が先頭に立って塀の中に足を踏み入れる。
「あれ?みなさん、どうしました?」

 優梨はピクリともできず、塀の中に進むことが出来なかった。優梨の両側で、雄心と漆間が体を支える。

「これは、すごい結界だな。優梨、進めるか?」
「ううん、無理ね。私の中のチーノウヤが入りたくないって暴れてるわ。でも、今から押さえるから。雄心、漆間、ちょっと力を入れるから私、倒れるかもしれないけど、しっかり支えててね」
「ああ、優梨、俺にまかせろ」
「分かった、母さん、いいよ」

 雄心と漆間は、優梨を支える手に力と霊力を込めた。
 優梨は目を瞑り、両手に印を結んで自分の胸に当てる。

「チーノウヤ、ちょっと静かにして!!」
 同時に、両手の印をほどき、手の平で胸を包む。
「ふっ!!」
 その瞬間、優梨の胸は急速にしぼみ、普通の大きさに戻った。
「さ!もう大丈夫!チーノウヤは私の中に封じたから。行きましょ!」
 優梨は何事もなかったかのように歩を進めた。

 雄心と漆間は、少し呆れた顔で目を合わせた。


 トートーメー門中の仏壇のある畳間、一番座を望む庭に、4人は立っている。その目の前、畳間の中央に老婆が座り、その右隣に神鈴が、そして左隣に知らない女性が座っている。

 まず神鈴が口を開いた。

「この度はお越しいただきまして、ありがとうございます。わたくし、真鏡名神鈴まじきなみすず。そしてそちらがわたくしの母、鈴音すずねでございます」
 鈴音が軽く頭を下げる。

 神鈴は一呼吸を置いた。

「そしてこちらが当家筆頭ユタ、真鏡名スズ子でございます、本日・・」
「そこのイナグが優梨か。そうか、気が真っ白だね。透き通った白。じゃがその白は、何色にも染まるものさぁね。それにしても、よくあの結界を通ったものだ。どうしても通れなければ、結界を緩めて通してやろうと思っていたがのぉ」

 神鈴の紹介を遮るように、スズ子が声を上げた。その声は、とても老婆とは思えない力に満ちている。

「ほぉ、イキガよ、お前さんの気はあかいの。くれないじゃ。お前さん、強いのぉ。いいイキガじゃ」
「お前さんが漆間か、もっとワラビンチャー幼い子供と思ったが、いいニーセーター青年じゃの。しかしお前さんの気は、金色に眩しいわ大きいわ強いわ。まぁ、わしには敵わんがな」

 スズ子はひとりひとりの霊気を値踏みするように眺め、思う所を語った。だが次の言葉には、更に力が籠もる。

「ではの、今から優梨、お前さんの力を封印する。その力は真鏡名家の厄災だからの。その前にお前の中の、その邪気を祓おうか」

 スズ子の言葉を待っていたように、鈴音と神鈴が優梨に向かって両手を突き出し、印を結ぶ。スズ子は印を結ばないが、見えない目を見開き、優梨に向かって霊圧を上げた。

 瞬間。

 3人から放たれた強烈な霊気は優梨を直撃し、その中に潜むチーノウヤを剥ぎ取りに掛かる。

「いかん!優梨!力を解放しろ!うるま!オレたちもやるぞ!」
「父さん、分かった!僕が前に出る!!」

 雄心は優梨の後ろに回ると、ありったけの霊気を広げて優梨の体を包んだ。優梨は雄心に守られたことで一瞬の余裕を得た。自身の霊力を高め、そこにチーノウヤを覚醒させる。

 優梨の髪はあっという間に3倍にも伸び、その胸はシャツのボタンがはち切れるほどに膨らむ。

「かかかかっ!出たなマジムン!!これで終るかっ!!」

 スズ子は歯のない口を開け、さも楽しそうに笑った。そして細い枯れ枝のような腕を上げ、両手の平を合わせて優梨に向ける。手の平からほとばしる霊気はこれまでの比ではなかった。霊弾だ。

 神鈴と鈴音、そしてスズ子の巨大な霊弾が優梨に向かう。

「だめだ!させない!!」

 漆間は優梨の前で、迫る霊弾に立ちはだかった。霊気を練り上げた両腕を開き、その霊気を体中に纏わせ、分厚い霊気の壁を作った。それは金色に輝く霊壁だ。

「こなくそ!この、ヤナワラビンチャー悪い子供ごときが!スズ子に逆らうか!!」

 スズ子たち3人の霊気と漆間の霊気が衝突し、閃光が煌めく。

「おまえの母親はマジムンだ!魔を呼ぶ力を持っとる!!安心せい、このスズ子が祓ってくれる!!」
「母さんはマジムンじゃない!チーノウヤだって今はもう、母さんの一部だ!これまでずっと僕を守ってくれたんだから!」
「なにが!この糞生意気なヤナワラバー糞ガキがよ!!」

アビランケェだまらんかぁーーー!!」
 突然、庭はおろか屋敷中を揺るがすような大声が響き渡った。
「さっきから聞いていれば、誰が糞生意気なヤナワラバーか!この死に損ないの糞ババアがよ!!」

「は?」
「はぁ?」

 その声が聞こえた瞬間、スズ子たちの霊弾も、漆間の霊壁も消え失せた。
 スズ子たち3人は顔を見合わせている。同じように、漆間も優梨、雄心と顔を見合わせた。
 雄心は、俺じゃないよ、と言う顔で首を振っている。

 その大声が、もう一度響く。

「この糞ババア!!うちの大事な部員を、漆間を愚弄しおってからに!しかも、そこにいるのはうちの部長だ!!美鈴君を、こんなことに巻き込みおってからによ!糞ババアめ、ワンが許さん!!」

 大声の主は、辺土名助教授だった。


「はぁ、もういいわい。儂も糞ババア呼ばわりされたのは初めてさぁね。この真鏡名スズ子をな、糞ババアとはな。お前さん、辺土名さんと言ったな?あんた、琉大の偉いさんかい?」
「いや、私はぜんぜん偉くなんかないですよ。それよりまぁ、糞ババア扱いは失礼しました。だが、漆間を糞ガキ扱いされたので、ちょっと、ねぇ」

 飄々とした辺土名からは、先ほどの気力は感じられない。スズ子は見えない目を辺土名に向けた。

「不思議さぁね。あんたにはこれっぽっちの霊力もないわ。じゃがさっきのは、あれは気力、というのかねぇ。このスズ子を押し切るとはねぇ」

 スズ子に褒められていると感じて、辺土名は照れくさそうに鼻の横を掻いた。

「だけどよ?儂が本気になればよ?あんたを呪い殺すなんぞ、赤子の手を捻るよりも簡単さぁね。かかかかっ!!」

 辺土名はスズ子の言葉に思わず肩をすくめる。だが、スズ子の隣で笑いを噛み殺す神鈴と鈴音の顔を見て、辺土名は少しホッとする。

「とにかくスズ子さん、まずは話しませんか?漆間のご両親も、そのために来たんですから」

 辺土名の言葉に、スズ子も黙って頷いた。
 神鈴もホッとした表情で、辺土名に向かって頭を下げていた。


 優梨たち、そして美鈴たち全員が、スズ子の話を聞いている。
 スズ子は、優梨の父母の事と、優梨の生い立ちを話していた。そこには、この数ヶ月の間に真鏡名家で調べた事も含まれている。

「最初はさ、このババアの息子、誠仁とあの女、宮城由布が出会ったことが、そもそもの始まりなのさ・・」

 誠仁と由布が出会ったとき、誠仁が20歳、由布は19歳だった。ふたりはすぐに恋に落ち、結婚を前提としての交際が始まった。

 誠仁が宮城家に挨拶に行くと、由布の父母は若い誠仁を快く迎えてくれた。事は順調に運ぶと思われた。だが、由布が真鏡名家に挨拶に来たとき、それは起こった。

「あのときさ、由布は、この家の結界を越えられなかったのさ。儂は誠仁に残った由布の気を見て、疑念を持っておったがな。由布のそれは、儂の見立てを越えておった。それでさ、儂は誠仁を咎めたのよ。真鏡名の家名を汚すのか、あんなマジムンを連れて来おって、とな」

 ふと、スズ子の見えない目が、遠いものを見ているように見えた。

「そうじゃな、思い返すと、儂は今日も、あの日と同じ事をしてるさぁね。あの日、あれから誠仁は、帰って来んかったのになぁ」

 その日、誠仁は由布を連れて駆け落ちした。当然、宮城家は激怒する。なにしろ駆け落ちの理由が、娘がマジムンだ、というのだから、怒りはもっともだろう。

 駆け落ちした誠仁は姓を真鏡と改姓し、由布と結婚した。それは、宮城家からも、真鏡名家からも認められない結婚だった。
 そして生まれたのが、優梨だ。だが、優梨が4歳の時、誠仁と由布は事故死する。

 残された優梨を宮城家か真鏡名家のどちらが引き取るか、そういった話し合いも持たれたが、優梨は宮城家に引き取られることになった。それは、優梨が真鏡名家に入ることで宮城家と真鏡名家の関わりをが続くことを、宮城家が強く拒絶したからだ。
 しかし、優梨を引き取ったのは実の祖父母ではなく、叔父夫妻だった。
 それほどに由布の父母の怒りは激しかった。

「その後の話はさ、門中の者に頼んで調べてもらったんだが、優梨よ、お前は子供の頃からずっと真鏡姓のままだったらしいの。つまり、宮城家はお前を引き取っても、家に入れたくはなかったとみえる」

 スズ子の話を聞きながら、優梨はずっと俯いたままだった。ここまでは優梨も聞いていた話だろうが、自分のそんな生い立ちを改めて語られるのは、辛いことだった。

 雄心が優しく優梨の肩を抱く。
 漆間も優梨の手を握りしめていた。

 ここで、スズ子との交渉役となっていた辺土名が口を開く。

「スズ子さん、その由布さんの特異な力というのは、どのような力で、なぜ真鏡名家はその力を厄災と呼ぶほどに恐れるのですか?」
「ああ、辺土名さん、そうじゃの。由布の力、それはの、マジムンを自分の中に取り込んで、我が力とするものよ。そして真鏡名は、それを“魔を呼ぶ力”だと恐れたのよ」

 由布がこの家の結界を通れなかったのは、由布の中に、その時すでに数体のマジムンがいたからだった。矮小なマジムンだったから害はなかったし、誠仁もそれほど気にしてはいなかった。普通に存在するマジムンになりかけが憑いているのだ、くらいに思っていたようだ。

 だが、スズ子始め真鏡名家は由布の本当の力を看破し、そして恐れた。
 誠仁と由布が事故死したとき、真鏡名家ではこう噂されたという。

-やはりだ、やはりあの力は、魔を呼ぶのだ-

「分かったかな?優梨。お前の中にチーノウヤがおるな?そこいらのマジムンとは比べものにならない大マジムンだ。それこそ由布の力を受け継いでいる証拠。お前の父母を死に招いた力さ。私が、このスズ子がそいつを祓って、お前の力を封印してやるから。そうしたら、真鏡名に入ったらいいさ。どうね?」

 スズ子の声を聞きながら、俯いたままの優梨が何かを呟いている

「・・・だ」

 皆が優梨の声を聞いている。そして、優梨が顔を上げた。

「いやだ!!この力、手放すもんか!!」
「なに!お前が一緒におるのはマジムンぞ?それにお前の力は魔を呼ぶ!お前はその力で、皆を不幸にしたいのか?」
「そんなことはない!私の中のコイツは、昔は確かにマジムンだった。でも今は私の一部なのよ!それに、私の霊力とコイツの霊力を合わせて、ずっと、ずっと、漆間を守ってきたんだから!!」

-母さんは力を失うのを恐れている。そしてそれは、僕のため、僕を守るためなのか。

 漆間は思い出していた。
 優梨が東京への移住を決めたのは、沖縄では漆間を守り切れないと判断したからだった。その時は、沖縄のマジムンが強いからだと思った。だけどそれだけじゃない。優梨は、沖縄で発現した由布の、自分の母の力を奪われることを恐れたのだ。

-母さんがそこまでした理由、それも、僕を守るため。

 優梨の想いを受け取って、漆間はそれを守ろうと決めた。
 漆間は渾身の力を込めて叫んだ。

「スズ子さん!あなたは誠仁さんと由布さんが、どうやって亡くなったか知りたくありませんか!」

 スズ子が漆間を一瞥し、ふん、と鼻を鳴らす。

「出来るもんならな。じゃが、もう何十年前だと思うとる?儂が40過ぎだったから、もう30年以上も前さぁね。それにあの現場、マジムンの匂いがプンプンしておった。由布が魔を呼んだに決まってるさ」

 そのスズ子の言葉に、神鈴が割って入った。

「おばぁ、漆間なら出来るよ!この前見たでしょ?私の目を通して。この子の思念読みはただ事じゃない。この子なら分かる。漆間なら!」
「神鈴!おばぁになんてこと!ちょっと黙りなさい」
 鈴音が神鈴を諫めるが、神鈴は聞かなかった。
「ううん!お母さんも知りたくないの?お母さんの、お兄さんのことなのよ?」
 神鈴の言葉に、鈴音は黙ってしまった。やはり真相は知りたいのだ。
「ほぉ、と言うことは、鈴音さん、あなたは、私の叔母さんね?」
 優梨が鈴音を見やって言う。
「そして神鈴ちゃん、あなたは私の、従姉妹」
 神鈴にも目をやる。そして優梨は、スズ子に目線を移した。

「そしてあなたは、私のおばあちゃん。ねぇ!おばあちゃん、私に、孫の私に1回だけ、1回だけでいいの!おばあちゃんらしいことしてよ!ねぇ!」

 スズ子は見えない目をトートーメーに向け、ぼそりと呟いた。

グソー天の国のご先祖様方よ、どうするねぇ?そうねぇ、分かった。それで、いいさぁね」

 スズ子は皆を向き直り、そして声を張る。

「分かったさ!優梨!あんたの願い、このばあちゃんが聞いてあげようね」

 スズ子の合図で、全員がその場所に向かう。
 そこは事故現場、優梨の父母、誠仁と由布が、命を落とした場所だ。


 某日、午後。沖縄自動車道下の側道。
「ここさ。この側道にさ、落ちておったんじゃと。誠仁が運転しておった車がさ」
「ここって、どこから落ちて、あ・・・」
 スズ子の話を聞いた辺土名は単純な疑問を持ったが、すぐに分かった。車は側道の上に被さる自動車道から落ちてきたのだ。
 そこは、沖縄自動車道の北向き車線が、緩く右にカーブしている場所だった。

 スズ子は車椅子に乗り、それを神鈴が押している。その他の面々は、その後に付いて歩いていた。
 車が落ちたという場所は、側道に付帯した歩道だったが、今は雑草が茂り、アスファルトがわずかに見えるだけだ。

「あの、優梨さんはそのとき、車に乗ってなかったんですか?」

 辺土名がまた単純な疑問を投げ掛ける。だがそれはもっともだ。4歳の子供がいても夫婦だけで出掛けるなど、普通の家庭ならばあるだろう。兄弟姉妹や祖父母に子供を預ければいいだけだ。しかし誠仁と由布にとって、頼れる親族というものはいなかったのだから。

「ああ、優梨はさ、車の横に立って泣いていたのさ。無傷でな。あの当時、儂はこう思った。どうせこれもマジムンの力を取り込んで助かったんだろう、ってさぁ」

 そう言って、スズ子は顔を伏せた。

「ああ、今思えばよ?おかしいさぁね。そんな力があったとして、4歳のワラビ子供がマジムンを取り込めば、すぐに優梨もマジムンさ。儂もどうかしていたか、息子を亡くしてさぁ」

 スズ子は顔を上げて漆間を見る。その見えない目は、漆間の奥底までを見通しているようだ。

「神鈴の降霊術でふたりの魂を呼ぶことも出来るがの、強い霊を降霊すれば、神鈴が危ないしの、それに、ふたりはあのとき、何があったのかも分かっておらんだろう」

 スズ子は漆間にその細い腕を伸ばした。

「さぁ、うるまよ、見ておくれ。儂の息子の最後をな。そして教えておくれ、あのとき、なにが起こったのか」
「分かりました。スズ子さん」

 漆間は頷くと、歩道にあぐらをかいて目を瞑った。周りでは、全員が漆間の顔を見つめていた。



 事故が起こったあの日、この側道は出来たばかりでまだ新しい。だけどなんだろう?とても古いなにかの気配。自動車道の架橋からか?架橋の根元に古い何かがある?

 架橋の上の自動車道にも、なにかの気配がある。これは、マジムンの瘴気なのか?でも、ちいさい。

 沖縄自動車道は1日に何千、何万台と車が通る。その車には、もれなく人が乗っている。その人たちの念は、いつしかそこに溜まる。悪いものなら悪く、良いものなら良く、そうなるように出来ている。
 しかもこの上はカーブだ。高速で走る車なら、人はここで感情を高ぶらせるだろう。いかにも念が溜まりそうな場所。

 都会では、同じ路線の同じ駅で、よく人身事故が起こる。人身事故と言いながら、あれは飛び込み自殺だ。毎日何万、何十万という人々が行き交う都会の駅、そこに溜まった悪い念は、人を呼ぶのだ。そしてそれは悪い念として更に積み上がり、また人を呼ぶ。

 この場所には、それに似た気配があった。
 だけど、これはそういう、悪い念、なんだろうか。

 強い霊力を持った人が近づいてきた。この霊力、みっつ。誠仁さんと由布さん、そして幼い真鏡優梨、母さんだ。

 沖縄自動車道を北向けに近づいてくる。もうすぐこの上のカーブに差し掛かる。3人が乗った車はこの後、ここで自動車道の壁に衝突し、弾みで下の、この側道に落ちたんだ。

 なぜ車は壁に突っ込んだ?なにが起きた?なにが原因だ?
 集中しろ、集中しろ!

 あっ!!

 これ、まさかっ!!

 塀に突っ込んだ車が宙に跳ね上がる。
 側道に座る僕の真上に落ちてくる。

 車と一緒に、宙を舞う人の姿が見える。

 男の人と女の人、そしてふたりは、子供の手を握っている。
 誠仁さんと、由布さんと、母さんだ!

 車が歩道に叩き付けられた。誠仁さんと、由布さんも。
 でも母さん、幼い真鏡優梨は、歩道に静かに降り立った。車の横に、誠仁さんと、由布さんの亡骸の横に。

 幼い真鏡優梨は泣いている。
 その体から、ふたつの何かが、離れた。

「ふぅー」

 深いため息を付くと、漆間は目を開いた。そして車椅子のスズ子と優梨の顔を交互に見て、口を開いた。

「見えました。全部分かりました。今からそれを、お伝えします」

 漆間は全員の顔を見渡して、話し始めた。

「これは、この事故を引き起こしたのは、由布さんではありません。それは・・」

 漆間がまず感じたのは、高架橋に取り憑いた薄い気配だった。それはマジムンとするには小さい。そして同様に、自動車道本体の架橋にも気配がある。だがそれらは、ある切っ掛けで爆発的に増大した。

 その切っ掛けとは、誠仁さんが運転する車の接近だった。

 大きな霊力を持った人間が3人も乗った車。それが近づくにつれ、高架橋から、そして自動車道本体から、広く、そして長い距離に散らばっていた気配がこのカーブに集まり、禍々しい瘴気となって膨れ上がる。

 マジムンだ。しかもこいつは、強い。

 そのマジムンは、道路を跨ぐように立ち上がる。その様子はまるで人間の両足のようだ。接近する車はその両足の間をくぐり抜けることになる。

 誠仁さんの車がその両足に差し掛かる。その瞬間だった。

 誠仁さんはその足の間に差し掛かるや、急ブレーキを掛けた。だが両足は車を逃さないよう、両足の幅と向きを変え、車を追う。誠仁さんは更にハンドルを切り、アクセルを踏む。だがその両足は更に車を追い、ついに車を両足で挟み込む。誠仁さんは車を捕らえた両足から逃れようとアクセルを踏み込み、更にハンドルを切った。

 そして車はコントロールを失い、壁に突っ込んだ。
 その様は、スピードを出し過ぎた車が緩いカーブでコントロールを失った。ただ単に、そのように見えただろう。

「このマジムンは、強い霊力を持った運転者を狙っていたんです。そこに3人もの霊能者が通り掛かる。誠仁さんは、このマジムンの瘴気に気が付いたんでしょう。必死に逃れようとして、車はコントロールを失い、自動車道から飛び出してしまった・・」

 その場の全員が、言葉もなく息を呑んでいる。漆間は話を続けた。

「宙を舞う車の中で、誠仁さんと由布さんは死を覚悟しました。壁に衝突したとき、すでに大怪我を負っていたからです。でも娘だけは助けたいと、ふたりは車中で娘の体を守る行動を起こします。それは、自らの霊力の限りを尽くして、娘の体を覆うというものです。ですが、それはふたりの霊力だけで出来ることではありません。そこで由布さんは、自らの中にいたマジムンの力を解放したんです。普段は封印されているマジムンの力、そこに誠仁さんの力も足して、娘の体を守りました・・」

 幼い優梨の命を守ったのは、誠仁と由布の霊力と、由布に取り込まれていたマジムンの力だったのだ。それによって、優梨は車から投げ出された後、地面に着地できた。しかも、無傷で。


「ああ、そうなのか。私にはその時の記憶がまるでない。ただ、明るい光に包まれていただけだ。あれは、父さんと母さんと、そして母さんのマジムンが私を守ってくれた、その光だったのか」
「うん、母さんに思念が残っていれば、そこからかなりのことが読み取れると思ったんだけど、全然残ってなかった。それだけ強い力に包まれたんだね」

 漆間の話に優梨が応え、ふたりは互いに頷いた。

「でもね、母さん、大事なことがもうひとつ」
「大事なこと?それって、なに?」
「母さんのお父さんとお母さんを襲ったマジムン、今もいる。普段は自動車道の上にいるようだけど、ほら、降りてくるよ」
 漆間の言葉を聞いて、全員が身構えた。スズ子以外は。

「かっかっかっか!見えたわ!うるま、お前は大した子供だよ!お前の思念読みを借りて、儂も全てが分かった!うるま、お前には分からんか?こいつの正体!!」
「はい、スズ子さん、この高架橋が出来る前、ここは豚小屋だった!そこで死んで、埋められた豚たちがたくさんいた。その豚が変化したマジムンが、この自動車道の何キロにも渡って取り憑いている。だからここだけでは小さい瘴気しか感じないけど、実際は・・」
「そうさ!よく分かったな!こいつは強い霊力に惹かれて、普段は何キロにも引き延ばした瘴気を一点に集中させる。そしてこいつは、人間の両足を真似ていたな!」
「はい!両足の間を車が通るように!」
「そうさ、つまりな!こいつは豚の怪異!ワーマジムンさぁね!」

 スズ子が叫んだ瞬間、高架橋に掛かる自動車道から濃い瘴気が立ち昇り、側道にいる全員を包み込もうと降り注いできた。

「神鈴!辺土名さんを守ってあげな!」
「分かった、おばぁ!」

 神鈴は辺土名助教の側に駆け寄ると、ふたりの上に霊気の壁を作った。緑色に輝く壁は、降り注ぐ瘴気を防ぎ、触る毎に霧散させていく。
 鈴音はスズ子に寄り添い、やはり瘴気を防ぐ。優梨も雄心も同様だ。

「僕がやるよ!」
 漆間は誰に言うことなく叫び、両手に巨大な霊球を練り上げた。ワーマジムンを一撃で霧散させる大きさだ。

 巨大な霊球に惹かれるようにワーマジムンの瘴気が集まり、そして触れた瞬間霧散する。あとはこの霊球で瘴気全体をすり潰すだけ。これは優梨の技だった。

「よし、行きます!!」
「待て!うるまよ!儂がっ!!」
「うるま、母さんがやる!!」

 ほぼ同時にスズ子と優梨が叫んだ。スズ子はすでに見えない瞳をワーマジムンに向け、体に強力な霊気を纏っている。優梨もチーノウヤの力を解放し、はち切れんばかりの胸の前に両手を置き、銀色に輝く霊気を練り上げていた。

「ほぉ、その白銀の輝き、それを撃つか!優梨!!」
「ああ、撃つともよ!おばあちゃん!」

 スズ子と優梨は互いに顔を見合わせ、タイミングを合わせた。

「せーーのっ!!」「はいやぁっ!!」

 ふたりの息が合い、互いの霊気が絡み合って巨大な霊弾となる。それは見上げるほどの両足に似せたワーマジムンの本体を、触れる側から消し飛ばし、そして、最後に現れた醜い豚の顔を焼き尽くす。
 ワーマジムンの断末魔の鳴き声が空高く響いた。

 それは、車の急ブレーキの音に似ていた。

「あいつめ、誠仁と由布の霊力を吸っておったわ」
「そうね、でも、これで終ったわ。父さんと母さんの、仇を討った」

 誠仁と由布に繋がる、祖母と孫娘、誠仁と由布の命を奪ったワーマジムンは、そのふたりの力で葬り去られた。


「美鈴君、もう、終ったんだね」
「はい、終りました。辺土名助教」
「私には何が何だか分からなかったんだが、ただ、なにか鳥肌が立つような、なにか霞のような得体の知れないものも見えたような、見えないような・・」
「ははは、霊力のない人にはそれくらいでしょうね。でも、私たちがいなければ、助教は死んでましたね、ほぼ」
「美鈴君、そんな明るい顔で怖いこと言わないでくれよ。でも、もう少し分かりやすく教えてもらえると、ありがたいな」
「辺土名助教、それは、僕が・・」
 漆間は霊力がまったく無い辺土名に、あらましを説明した。

 このマジムンは、沖縄自動車道を通る車に乗った運転者から、霊力を得ていた。普通の人間でも、わずかに霊力を吸い取ることは出来るのだ。
 そこで得られるのは、運転者の焦りや怒り、そして恐怖という霊力。

 例えば車を運転中、目の前に子供が飛び出したり、車や壁に衝突寸前などの危ない瞬間に、時がゆっくりと流れ、じんっと体が痺れる瞬間がある。それこそが、霊力が吸われる瞬間なのだ。

 それが限界を超えると、“マブイたましいを落とす”状態になる。 
 もし、そのマブイをマジムンに吸われてしまえば、もうマブイが戻ることはない。

「そうか、そういう体験は私にもあるよ。それが魂を落とす瞬間、マジムンが付け入る隙、ってことなんだね」
「そうです。それと、そうやってマジムンに吸われたマブイも、そのマジムンを祓えば解放されることがあるんです」

 漆間はそう言うと、スズ子に向き直り、側に行った。

「スズ子さん、ちょっと、手を出してください」
「ほ?なんだ?うるまよ。このばあさんを口説くのかい?」

 スズ子はまんざらでもない笑顔を見せて、漆間に手を差し出した。
 漆間はスズ子の手を、両手で包んだ。スズ子は包まれた両手を握りしめ、天を仰ぐ。

「ああ、うるまよ」
 スズ子の見えない両目から涙が溢れ、頬を伝う。
「あぁ、そういうことかい。お前はついさっき、この子たちを、助けてくれたのかい」
 スズ子の側には、漆間の他にふたりの影が立っている。その影は、スズ子に顔を近づけ、何事か話し掛けていた。
 その様子に、鈴音が神鈴に顔を近づける。

「神鈴、あれは、もしかして・・」
「ええ、母さん、あれはね、あのふたりはね・・」

 そのふたりの影の名を、スズ子は呟いた。

「あぁ、誠仁よ、由布よ、このババアを許しておくれ。このアンマー母親が、お前たちを苦しめた張本人さぁね」
「お前たちを信じれば良かった。もう何十年、お前たちに謝りたかったか」
「おお、そうかいそうかい、誠仁よ、お前が儂に謝ってくれるのかい。家を出るんじゃなかったって?おかあが分かってくれるまで、頑張れば良かったって?」
「え?おかあが、こんなに歳を取ったって?当たり前じゃないか。何年経ったと思ってる?」
「ん?いいよいいよ、由布さん、あんたのせいじゃなかった。それはよく分かった」
「これからも、誠仁をよろしく頼むよ。こんなババアの頼みじゃ、嫌かも知れないけど、あのとき、こうやってお願いすればよかったねぇ」
「あん?ああ、優梨かい。いるよ、呼ぶから、待ちなさい」

 スズ子は優梨に向かって手招きした。優梨は戸惑いながらも、スズ子の側に行く。
「ほら、優梨、手を貸しな」
 優梨は言葉もなくスズ子の手を取る。すると、優梨の目の前に、懐かしいふたりの姿が浮かび上がった。

「とうさん、かあさん」

 優梨はその場に泣き崩れた。スズ子の手を握りしめたまま。
 そしてふたつの影は、優梨の体を優しく抱きしめる。

 その後、親子の間にどんな会話があったのか、それは聞かないことにしよう。

 スズ子と漆間はそう決めて、顔を合わせて頷いた。


「あれは、父さんと母さんだった。うるま、降霊術なんて使えたの?」
「ううん、僕は降霊術は使えない。あれはね、ワーマジムンの本体が霧散するとき、神鈴さんがふたりを見つけて、僕に降ろしてくれたんだ」
「そうなのね、父さんと母さん、私にすごいことを教えてくれたわ。それもあの子のお陰、なのね」

 優梨は神鈴に目をやった。そう言えば、この子は若いときの私によく似てる。優梨はそう思ったが、そもそもふたりは、従姉妹なのだ。

「母さん、さっきは聞かないでおこうと思ったんだけど、なんなの?その、すごいことって」
「え?それはね、漆間にも、秘密よ」

 優梨は人差し指を唇に当て、悪戯っぽい笑顔を浮かべた。幸せそうな笑顔だ。
 そんな優梨を見て、スズ子が声を掛けた。その声色には、仕方ないな、という諦めと共に、怖いものも混ざっている。

「優梨よ、お前の言うとおりだったさぁねぇ。由布の力は、お前を救うために必要だったさ。だけどさ、私は、この真鏡名スズ子はまだ諦めないよ?お前の中のマジムン、チーノウヤ、そいつを渡す気には、ならないか?」
「くどいわよ、おばあちゃん!私は・・」

 そんな優梨の言葉を遮って、漆間がスズ子に語り掛けた。

「スズ子さん、僕の母さんは、優梨は、スズ子さんの孫だよね?」
 スズ子は、何を今更、という顔をしている。漆間は続けた。
「だったら僕は、スズ子さんの曾孫だよ?スズ子さんは僕の、大きいおばぁなんだから、僕のこと信じてよ!ねっ!おっきいばあちゃん!」
「なぁにが、おっきいばあちゃん!だ。この生意気なワラビンチャーが!お前はそうだよ!この、真鏡名スズ子の曾孫だよ!」

 スズ子の心が、優しく開いているのを皆が感じていた。そしてスズ子は、優梨に向かって語る。

「分かったわ!うるまに免じて、そいつもお前の一部だと認めてやるさぁね!だが、真鏡名の敷居を跨ぐときは、そいつを封印しておきなさい!まったく、目のやり場に困るわ!そのでかい胸よ!!雄心もちゃんと言っときなさいよ!」
 優梨は思わず両腕で大きすぎる胸を隠した。突然名前が出た雄心も、あたふたと優梨の胸を隠す。
 穏やかな空気がその場に流れた。だが、その空気を破るように、スズ子が驚いた声を上げる。

「あいた!!そうかい、そういうことだったかい!かっかっかっか!!」
「なんね?おばぁ、どうしたの?急に」
 神鈴がスズ子に問い掛ける。
「この場に、もうひとりおるぞ、見えぬ所にな!」
 思いがけないスズ子の言葉に、辺土名以外の全員が身構える。
「ほら、そこ、そこじゃよ」
 スズ子が指差す先、それは、優梨のお腹だ。

「ほら、そこにもうひとり、曾孫がおるわ。うるまはお兄ちゃん、じゃな!かっかっかっか!」

 雄心を始め、全員が驚きの表情で優梨のお腹を凝視する。
 優梨は思わずお腹を庇い、そして叫んだ。

「もうっ!せっかく父さんと母さんが教えてくれたのに、なんでバラすかなぁ!この糞ババア!!」

 その場にいる、全員の笑い声が弾けた。

 だが優梨の耳には、誠仁と由布の笑い声も聴こえている。

 そしてふたりの笑い声は、風と共に皆を包んだ。

 


逢魔の子 真鏡名家の厄災 了

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