三日間の箱庭(19)喜屋武尚巴(2)
前話までのあらすじ
大手広告代理店に勤める久高麻里子は、パワハラに悩みビルの屋上からその身を投げる。
久高がチーフを務めていたチームの喜屋武尚巴は、三日間が繰り返すたびに身を投げる久高麻里子の、わずか5秒間の葛藤を知り、後輩である麻里子を助ける決心をする。
チームメンバーの佐久間、伊藤、新田と共に久高麻里子救助作戦を立てる喜屋武。
果たして麻里子を助けることはできるのか?
■喜屋武尚巴(2)
それからの時間、俺たちは会社のフロアに入り浸り、更に入念な打ち合わせとシミュレーションを繰り返してその時を待った。
このループが始まってから、会社はもう本来の機能を果たしていなかったから、社員はいつでも会社に出入りできた。会社に来なくなったやつも多かったし、3日間のうちにどれだけ面白い広告や企画を打ち上げられるかを生きがいにしているやつも同じくらい多かった。
その中でも俺たち久高チームのモチベーションは最高だ。
久高チーフを救うことはもちろんだが、それがどれほどの人たちにインパクトを与えるか、想像もできない。
繰り返す3日間に閉じ込められて、変えられないと思った運命は、実は変えられる。それを知った人たちは次の瞬間、どんな行動を起こすんだろう。
ともあれ、まずは久高チーフのご両親の顔が目に浮かぶ。
ー久高の両親、俺はまだ泣き顔しか見たことないんだ。喜ぶだろうなぁ。
「よしっ!絶対に助けるぞ!!」
言葉に自然と気合いがこもる。無言でうなずく皆の顔にも緊張がみなぎっている。
5月30日、午後23時56分、あと数分で時間が戻る。
フロアには俺たち久高チームだけ。全員が自分の席について、その瞬間を待った。戻る瞬間と戻った瞬間、同じ位置にいればイメージしやすい。即座に動けるからだ。
佐久間は入念に椅子から飛び出す準備をしている。戻った瞬間は居眠りしてたような気もするが、きっと大丈夫だろう。ともかく、おまえが窓を破ってくれなきゃ始まらない。頼むぞ!
新田は机の下に手を入れて、ランディングネットの感触を確かめている。まさかスズキじゃなくて人間を掬うことになるとはね。それより部下の趣味も把握してないとは、俺も駄目な上司だなぁ。
伊藤はあまりやることがないけど、やっぱり緊張しているな。しかし、久高を受け止めるには俺だけの力では難しいだろう。しっかり俺を引っ張ってくれよ!
そして俺は、とにかく転ばないようにしよう。
もし佐久間の窓ガラス破壊が失敗しても、体ごと突っ込んでやる。
うん、転んじゃ駄目だ。
23時59分55秒。
俺は皆の顔を見渡した。
「頼むぞみんな!」
瞬間!!
「戻った!!」
佐久間の声を合図に、俺は新田と共に椅子を蹴った。当然俺の方が早い。
新田はランディングネットのグリップを俺に向けている。
「喜屋武さん!!」
新田が叫ぶ。
「うまいぞ新田!!」
新田の口元が誇らしげに緩む。
俺はネットのグリップを掴むと窓に突進した。
そんな俺より一足早く、佐久間が窓際に突進している。右手はすでにオフィスチェアの背もたれを掴み、走る勢いをそのまま伝えて窓ガラスにぶち込んだ。オフィスチェアの脚部は重い。佐久間はその重さと自分の脚力を利用したんだ。そこに鍛えられた腕力が加わる。
グァッシャーーン!!!
窓ガラスは粉々に砕け、オフィスチェアは闇に消えた。
「見事!!」
俺は一声叫ぶと間髪入れず窓の外にネットを差し出した。
「?」
「久高は?」
思った瞬間、巨大な力がネットをへし曲げた。一瞬のことなのに、時間がゆっくりと流れているように感じたのか。
「うがぁっ!!お、重い!!」
両手で掴んだネットのグリップが抜けそうだ。しかし今は、自分の握力とネットの強度を信じるしかない。俺の後ろでは新田と伊藤が必死に俺を引っ張ってくれている。一瞬の荷重には耐えた。よし!次は片手を離し、久高を掴むんだ。
そこで初めて、俺は久高の顔を見た。
久高は、ネットを胸に抱きかかえるように捕まえている。
顔はまっすぐ俺に向けられている。そしてその目も、まっすぐに俺の目を見つめていた。
俺は右手を伸ばし、久高の左腕を掴んだ。
「掴んだ!佐久間っ!!!」
俺は左手も離し、久高の左腕を両手で掴んだ。ランディングネットが虚空に消える。すぐに横から佐久間の手が伸び、久高の右腕を掴んだ。
佐久間は窓から上半身を乗り出している。今にも落ちそうだが、伊藤が後ろで佐久間のズボンを掴んで引っ張っている。
「伊藤!グッジョブ!!」
なぜか佐久間が嬉しそうだ。伊藤を褒めたのに。
「佐久間!伊藤!新田!いいか、引っ張るぞ!!!」
「ほほいっ!」
「佐久間君がんばって!!」
「お?おうっ!まかせろ伊藤ちゃん!!」
もう大丈夫だ。
久高チーフが、久高麻理子が、帰ってきた。
・
・
俺と佐久間に引き上げられた久高は、窓際にへたり込んでいた。伊藤と新田が久高の顔をウェットティッシュで拭いてやっている。
久高の顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
「みんな、みんな、ごめん、ごめんね」
久高は何度も何度も皆に謝った。溢れる涙を何度も拭いてやっている伊藤と新田の顔も、涙でぐしゃぐしゃだ。
「伊藤、新田、もういいだろ。お前たちも顔を拭け」
俺の言葉に、伊藤と新田は顔を見合わせて、ぐしゃぐしゃの顔で笑いあった。それを見る佐久間も感無量の表情だ。そんな佐久間に、久高が声を掛ける。
「佐久間君、私さっき、窓から椅子が飛び出すのを見たよ?」
「あ、それオレっす」
さりげなくチャラい佐久間の言い様に、皆の顔がほころんだ。
「それから大きな網が突き出されて、ちょうど私の胸に当たったから、必死で掴んだの」
「あ、それは喜屋武さんっす」
「喜屋武さん、この前はゲンコツだったのに?」
やっぱり見ていたのか。正拳突きで窓ガラスに敗北した俺は、苦笑いするしかなかった。
「久高チーフ、いや、久高麻里子」
声を掛けた俺を久高は見上げた。
「おかえり」
久高の目から、また涙が溢れてきた。
「ただいま、喜屋武先輩、でも」
「なんだ?」
「私を掴まえたとき、うがっ!重い!!って言いましたよね。あれ、セクハラです」
その言葉を聞いて、全員が顔を見合わせた。そして、笑いが弾けた。
「さて!久高チーフ、今なにしたい?」
俺はちょっと思わせぶりな目線をフロアの奥にやり、久高に問いかけた。
「そうですねぇ、やっちゃいますか」
「おう、やるか」
俺は久高を立たせ、二人並んでフロアの奥にふんぞり返っている武田の前に進んだ。
「武田課長」
久高が話しかける。
「あ、あ~ぁ、久高君、よ、良かったねぇ~、助かって」
しどろもどろの武田の言葉には応えず、久高は語気を強めて言い放った。
「この、パワハラ野郎っ!!!」
同時に久高は腰を落とし、力を溜めて渾身の正拳を武田の顔面に放った。
「っつえーーいっ!!」
裂ぱくの気合と共に放たれた正拳は、武田の鼻面すれすれで止まった。
「業務を放棄したこと、ここにお詫びいたしますわ」
久高の顔が、目が、輝いている。死んだ魚のようだった久高麻理子は、もういない。
「さてと」
俺も口を開く。
「後輩の不始末の責任は、先輩も負うってことで」
俺はすっと腰を落とし、一瞬で気を溜め、そして解き放った。
「どぉりゃーーっ!!」
久高の気合を超える魂魄の一撃は、やはり武田の鼻面すれすれで止まった。武田はあんぐりと口を開け、白目を剥いてよだれを垂らしている。
「俺たちが当てると、死ぬからな」
「そうですね」
俺と久高は顔を見合わせ、笑いあった。
ふと、久高が声を上げた。
「おれたちがって、それに喜屋武さん今の型、空手やるんですか?」
「あぁ、話してなかったな。俺な、琉球空手やってんの、5段」
「はぁ」
久高がため息を漏らす。
「なんだよ」
「それで窓ガラスに正拳ですか、しかも破れないなんて、恥ずかしい」
「はぁ?なんだよそれ」
俺は呆れたように言ってみたが、久高は俺の顔をまともに見てくれなかった。そして久高は、なぜか慌てて言葉を繋ぐ。
「そ、それで私、落ちながらずっと思ってたんですけど、この世界の時間って、戻ってます?」
この後、俺たちは久高に、この世界のことを教えることになった。久高が落ち続けている間に起こったことだ。
この世界の時間は約3日間続き、また同じ時間に戻ってしまう。それをもう数百回繰り返していること、この世界は何回か核戦争で滅亡していて、メンバー全員が死ぬか瀕死の状態になったこと、そして、こんな世界で人間が生きる目的は、この3日間を幸せに生きることだけで、それを教義にした宗教のようなものもあること等々。
「ほんと!あの北K国の変な頭の奴!ぼんぼんミサイル撃ってくるんですよ?もう、私ったら3回も死んじゃったんです。もう、とっても熱かったんです!」
とんでもない出来事も、新田が言うとあまり真剣味がなく、みな苦笑いしている。
「しかし今の世界を動かしてるのって、あの宗教みたいなのだよね。クラムっての?」
佐久間の言葉に伊藤が続く。
「そうみたいですね、クロスオブライツ・ムーブメント、通称クラムって呼ばれてて、これまでの既存の宗教もそのクラムの考え方を取り入れてて」
佐久間も続く。
「そうなんだよね。とにかくこの3日間を平和に、みんなが平等に過ごすことが全てで何より価値のあることだって。だからそれを支えてくれる労働者が最も優れた人であって、みんなが感謝しなくちゃならないって、でも犯罪者は」
「そう、犯罪者は即死刑とか4日目は存在しないから考えちゃ駄目とか、ちょっと過激で、怖い」
伊藤の言葉を受けて、新田が話し出した。
「私なんて立ち入り禁止の港でシーバス釣ってたら、いきなり後ろから海に突き落とされたんです。その人無表情で、“ここは立ち入り禁止だクラムの裁きを与える”って、溺れそうな私に棒読みイントネーションで言うんです。もう怖くて。ライジャケ着ててよかった~」
新田の話には、やはりみな微妙な表情だ。しかしクラムが世界中に強い影響力を持っているのは事実だし、その発端が日本で起こった殺人事件で、だから人を殺す行為が認められているということもよく知られている。確かに怖いし、不気味だった。
「みんな、なんだかすごいことになってたんだ、私、ずっと落ちてるだけだったから」
久高が申し訳なさそうにつぶやく。
「おいおい久高、何言ってんだ?それも十分大変じゃないか。それにな、これからお前は3日ごとに助けられるんだからな?次もちゃんと俺を向いて落ちろよ?」
俺の言葉に、久高の顔がパッと赤くなる。怒ったのか?
・
・
つづく
予告
無事、久高麻里子救出に成功した尚巴たち。
そして尚巴は、麻里子の両親が迎えに来る時間だと告げる。
両親は、飛び降り自殺した娘の遺体を引き取りに来るのだ。
毎回同じ時間に、もう何百回も。
生きて再会を果たす麻里子と両親。
そして、麻里子の父親は意外な言葉を尚巴に掛ける。
喜屋武尚巴編、最終話。
おことわり
本作はSF小説「三日間の箱庭」の連載版です。
本編は完結していますから、ご興味のある方は以下のリンクからどうぞ。
字数約14万字、単行本1冊分です。
SF小説 三日間の箱庭
*本作はフィクションです。作中の国、団体、人物など全て実在のものではありません。
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