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もうひとつのアン転 エリカの瞳②

 私がパパとママに出会ってから、5年が過ぎた。

 いつも花に囲まれてるママ。特にスズランが好きだった。ママの腕に抱かれるといい匂いがして、いつも笑いかけてくれる。
 パパは、私が片言を話せるようになって、パパって呼んだら、フローリングを転げ回って喜んでくれたわ。

 これが愛情なのね。

 愛は無償だわ。ベビーに転生する前の私は、なんて傲慢だったんだろ。奪うばかり。与えなかった。

 だから私は、大きくなりたいと望んだ。
 パパとママと、共に歩きたいと願った。


「ねぇパパ、エリカがなにか話してるわよ?」
「え?どれどれ?」

 パパが私の手を握ってくれた。私はその手の平に、指で文字をなぞる。

「あはは、くすぐったいな。なんだって?」

 私は片言で必死に伝えるの。

「おっきっく、おっきっく・・」
「おっき?おっきしたいの?」
「・がう。・がう。おっきっく!おっきっく」

 パパとママは眼を見張ったわ。

「エリカ、僕の手の平に指で何か書いてるぞ?お・お・き・く・・・大きく?」

 分かってくれた!私はふたりに、これ以上ないほどの笑顔をプレゼントしたわ。

「え?なんでエリカは字なんて書けるんだ?うそだろ?」
「パパ、なに言ってるの?今年は2125年、エリカはもう5歳よ!私たちの子は天才なんだから、字くらい覚えるわ!!」
「そ・・そっか、天才か。そっかーー!天才エリカちゃんか!」

 ふぅ、危なかった。字を書くのはもうちょっと先にするべきだったわ。でもラッキー!私が字を書けるって分かってくれれば、もうなんでも伝えられる!パパもママも天然で良かったー!

 あ、そういうとこも好きなんだけど。

 それから私は、パパとママと、たくさんお喋りしたの。
 片言で話しながら、タブレットにペンで字を書いて。


「ママ、どうする?エリカは大きくなりたいんだ。それに、あんなに喋るし、字まで覚えてて、僕たちとの意思の疎通はもう普通の子供みたい。どう考えても他のベビーアンドロイドとは違う。本物の天才に見えるよ」
「そうね、ホントにそうだわ。本物の天才。他のアンドロイドとはどこか違うわ。でも、私はそんなの関係ない。エリカが大きくなりたいなら、そうしたい。大きくなったエリカと散歩したい。走ってみたい。抱きしめたい!」
「でも、費用はすごいよ?払えないことはないけど、ねぇ」
「うん、エリカを迎えるのにもかなり掛かったものね。でも私、それでもいいと思ってるのよ?共に成長する未来があるって、お金に換えられる?」

 うん、パパ、ママ、分かるわ。でもね、私には、いい考えがあるのよ!
 さぁ!こっからが本番よ!

「あーー!あーーー!!」
「あら、エリカ、どうしたの?」
「イリ、イリのとこ」
「イリ?イリのとこって?あ、はいはい、ちょっと待ってね。タブレット持ってくるから」

 私はとっておきの名前を、タブレットに書いた。

 ”キリのところに、連れてって”

「キリ?キリって、あの、すごく前に公園で会った、キリさん?」

 私は満面の笑顔で頷いたわ。

「でもねエリカ、私たちはキリさんに連絡できないわよ?私のブログを通して発信してもいいけど、見てくれるかどうか」

 あ、そうか。でも、ママのブログは発信力が強いから期待できるわね。でも、あら?パパがリングを出して何か確認してる。

「ママ、僕さ、あのとき公園で、タカオさんとリングを交換してるよ。エリカが会いたいって言ってるなんて信じてもらえないかも、だけど、連絡してみよっか」

 やった!パパ大好き!!それに、信じてくれるに決まってるじゃない!だってワタシよ?このエリカが言ってるのよ?


 2126年、1月。
 メディアでは、最近起こっている愛玩用犬型アンドロイドの暴走事件を伝えていた。件数は少ないが、アンドロイド犬の製造元に関係なく、突然アンドロイド犬が走り出し、それが事故に繋がっているという。

 原因は全く不明。今更バグではないし、メカの不具合ではこうならない。唯一、回収されたメモリーの一部から、デフォルトアラートの解除が行われたというログが発見されている。ただ、それが何を意味するのかは全く分かっていなかった。

「なにかしら、これ、なにか気味が悪い、怖いわね」
「うん、デフォルトアラートが解除されるって事は、通信制限かなにかでサーバーから切り離されたってことだろ?だから暴走しても止まらない」
「そうなのね。私、詳しいことは分からないけど、アンドロイド犬には気を付けなきゃね」
「それよりママ!キリさんが待ってる!早く行かなくっちゃ」
「そうね!」

 ふたりはエリカが眠るベビーカーを押して、意気揚々と足を運んだ。
 キリの待つ、ホームへ。


「スズキさん、お待たせしました。どうぞ入って」

 リペア室のドアを半分だけ開け、キリが頭を出してスズキ夫妻を誘う。
 ふたりの足下はおぼつかない。興奮して、緊張して、動転しているのだ。

 なぜか?

 それは、我が娘が、5歳になるからだ。
 ふたりはリペア室のドアを開けた。

「はい、エリカちゃん、パパとママが来たよ?」

 キリの言葉に反応して、エリカのまぶたが持ち上がる。
 ふたりは息を呑んだ。

「ふふ、少し垂れ目だね、君に似てる」
「あぁ、口元はパパに似てるわ。鼻も、目はやっぱり私なのかな」
「うん、かわいいねぇ」
「ホントだわ。かわいい」
「これが、5歳のエリカか」

 黒い巻き毛は柔らかで、睫毛はくるりと上を向いている。透き通るような肌に、黒目がちの瞳が映える。
 エリカは、ふたりに向かって声を上げた。

「パパ!ママ!おはよう!!」

 ふたりは思わず口を押さえたが、嗚咽は止められなかった。
 愛しい人にやっと会えた、溢れる喜びだった。


 スズキ邸に向かう車の中に、スズキ夫妻とエリカ、そしてキリがいた。

 5歳に成長したエリカは、まだ体に不慣れなところがある。それに、キリが組み立てて調整したエリカは、中核に元々のメーカー製システムを移植しているが、それ以外はホーム製だ。もうメーカーによるメンテナンスは受けられない。だから、キリが出向いて色々な説明をすることになっている。
 だが本音は、エリカの新たな誕生祝い、というところだ。

 車内は幸せな会話に溢れていた。エリカとキリにも、もう何のわだかまりもない。最初のエリカを機能停止させたのはキリだったが、キリもそれに苦しんだ時期があったし、生まれ変わったエリカも、その事実をありのままに受け入れたからだ。

 車は巨大なショッピングモールに入り、見晴らしのいい屋上駐車場に進んだ。形ばかりの運転席から、スズキが後席のキリに声を掛ける。

「キリさん、ここのフードセンターに寄ってディナーの材料を買いますけど、なにかお嫌いなものとかありますか?」
「キリさん、私が料理しますから、手料理で申し訳ないんですけれど、どうぞなんでもおっしゃって」
「いえいえ!私なんでも食っちゃいますから!蛙だって食いますよ?」
「か、カエル?じゃあフレンチかな?それとも中華?」
「え!ランさんって、カエルを食べるの?」
「ええ!結構好きなんです・・」

 その時、エリカのインターフェイスにイヴがアクセスしてきた。

「エリカ!その車、ハッキングされた!接続が切られる!このクラウドからのアクセスが・・」
「イヴ?イヴ!!どうしたの?アクセスがどうしたの?」

 スズキが運転席で叫ぶ。

「ああ!なんだこれは!全部制御不能だ、デフォルトアラート解除って、これって、メディアでやってた・・犬のヤツ」
 キリが叫ぶ。
「スズキさん!車がハックされたんだ!外部から遠隔操作されてる!緊急停止して、電源を落として!ケーブルを引きちぎってもいい!!」
「パパ!あなた!エリカ!!」
 ランが助手席から体を伸ばし、エリカの手を引こうとする。だが、制御を失った車は更にスピードを上げ、周りの車にぶつかりながら壁に突進した。
振動で跳ね上がる体を必死に伸ばすランだったが、エリカの手は掴めない。

「エリカ!エリカ!」

 スズキはまだ諦めず、緊急制御用のハンドルの下に手を伸ばし、制御パネルの蓋を開けようと必死にもがいていた。

「んががああーー!エリカ!ラン!!なんでだ!なんでぇーー!!」

 車は猛烈なスピードで駐車場の壁に突っ込み、そのまま跳ね上がって屋上の外に飛び出した。
 一瞬、車の中は無重力になる。

 後部座席のエリカを、キリが抱きかかえる。そのふたりを、後部座席に飛び込んだランが抱きしめる。そして3人を、スズキが抱きしめた。

「エリカ、顔、ママに顔を見せて」
「ああ、かわいいな、オレの、娘」

 衝撃。

 キリの言葉が聞こえた。
「エリカ、今度は、守ったぞ・・」

 その日、エリカは最愛の人を、ふたりも失った。
 その日から、キリの意識は戻っていない。
 その日の夜、タウンの仲間たちとタカオの手配でホームに運ばれたエリカは、大破した5歳のボディを捨てた。

 新しいボディをもらうとき、エリカはタカオに言った。

「あのボディにして。私が傲慢だったときの、あのボディ」
「ああ、分かったが、8歳型しかないぞ」
「いいわよ、それで」

 そしてもうひとつ、これは声ではない。

「イヴ、犯人、探して」

 エリカの瞳は、冷たく光っていた。




「それでエリカ、イヴは犯人を見つけたんだな?」

 リョウは核心に触れる。自分の母を意識不明にしたヤツ、エリカがやらないならオレがやる。リョウはそう思っていた。

「ええ、イヴでもなかなか見つけられない、すごい技術だって」
「あのイヴが探して30年も掛かったんだぜ?そりゃ一体どんな技術だ?」

 リョウは優れたIT技術者、プログラマーにしてSEだ。イギリスではその道で名を馳せているし、当然最新技術にも精通している。そのリョウを持ってしても、このネット世界で犯人の痕跡を見つけることは出来なかった。

 今は2155年、22世紀も半ばだ。医学が進歩したこの世界では、人類の平均寿命は150歳を超えた。そして再生医療も進み、よほどのことがなければ人が怪我で死ぬことはない。越えられないのは本物の寿命と、脳髄に関する医療だけだった。
 そのおかげで、リョウは70を越えているが、感覚としては壮年だ。そしてキリも、体の損傷はすべて治癒していた。だが意識だけが戻らない。脳科学と脳外科医療の進歩を待つしかなかったのだ。

 そしてIT技術も、この30年余りで更に進んでいる。そこで糧を得ているリョウにとって、同じステージにいるはずの犯人を見つけられないのは屈辱だった。

「なぁ、どんな技術なんだよ、それ」
「それには、私がお答えします」

 皆の目の前に、3Dスクリーンから女性の姿が浮かび上がった。イヴだ。

「リョウ、この世界のネットワークは高度に多重化され、数え切れないクラウドも多重クラウドとして構成されていますね?」
「ああ、もちろんそんなことは分かってる」
「私はそこに、隅々まで入り込み、制御することが可能です。でも、あの日から続くハッキングによる襲撃に、私は介入できません」
「な?そんなこと、あるのか?だから手掛かりが追えなかった?」
「そうです」

 イヴの説明では、この世界のネットワーク構成が、どこかで丸ごとコピーされているという。
 コンピューターシステムはクラッシュ対策のため多重化することが普通だが、この犯人は、それを秘匿して行い、裏のネットワークの主として君臨しているというのだ。そして必要に応じ、表のネットワークの隙間から狙いのシステムに手を伸ばす。

 裏のネットワークからハックされたシステムは、デフォルトアラートを解除され、遠隔操作されてしまう。それが例えば車、列車、航空機といった移動手段ならば、それを丸ごと破壊することが可能だ。

「そして犯行を実行した後、犯人は表のネットワークから消える。何事も無かったかのように」
「そうか、システムの仕組みは分かった。でも、どうやって手掛かりを掴んだんだ?30年も分からなかったんだろ?」
「はい、この犯人はずっと、移動システムをハックして犯行を重ねていました。でも数年前から、別の方法も使うようになったんです」
「それは?どんな?」

 エリカも含め、全員が固唾を呑む。

「はい、人間のハッキングです」
「に・・にんげん、だって?」
「はい、エリカに聞きましたね?この犯人は、アンドロイドを擁護したり、アンドロイドの人権を認める活動をする人間を襲っています。そして最近、その人たちの周囲に、特定の種類の人間が現れることが判明しました」
「それって?」
「はい、ギャングです。襲われた人たちは、その人自身や、その人に近いアンドロイドがギャングに絡まれたり、金品を強奪されたりしています」

 そこまで聞いて、アオイの脳裏に4人の少年の顔が浮かんだ。

「イヴ!それって、店に来たあの4人組も、そうなの?」
「そのとおりです。あの4人も、犯人に操られています」
「でも、でもなんで、HEIKE-Store、なの?」
「犯人は人間を使って、覚醒したアンドロイド、知性と自我に目覚めたアンドロイドを探しているのです」

 アオイが、タケルが、エリカが、全員が、青ざめた。

 この事件の犯人は、アンドロイドに加担する人間を襲っている。それも、30年に渡って。そしてそれは、アンドロイドたちが自我に覚醒した時期、あるいは、アオイとタケルがアンドロイドに転生した時期にも近い。
 そして現在、アンドロイドたちの覚醒は続き、もうひとつの人類として認知されつつあった。

 犯人は、それを望んでいないのだ。

 タケルが声を荒げる。
 「イヴ、それは本当なのか?確証はあるのか?」
 「はい、タケル、あなたが腕を捻じり上げた少年たち、すでに警察で検査を受けています。ハッキングした警察のデータベースに登録されました」
「それに、どんな意味がある?」
「はい、彼らの脳髄の一部には、チップが埋め込まれていたのです。つまりアオイ、タケル、エリカ、あなた方の挙動、言葉、心理はデータ化されて、犯人に送信されています。これは、これまでの事例でも同じでした。犯人は、そのデータから覚醒アンドロイドを見つけていたのでしょう。そして私は、そのチップのデータの痕跡から、この犯人に辿り着いたのです」
「なんだと!」
「だとしたら」
 タケルとリョウが同時に声を上げる。

 アオイが呟いた。
「HEIKE-Storeが、キヨシさんたちが、危ない。それに、もしかしたら、ここも?」

 リョウが吠える。
「イヴ、教えろ!エリカの両親を殺して、キリをあんな目に遭わせた犯人の名前!今すぐにだ!」
「ええ、犯人の名前は・・・ゲンです」
「ゲン・・ゲン?あのウィルス野郎か?ミオをウィルスで殺して、スミレを池に放りやがったあの野郎!」
「そうですが、正確にはゲンの作ったウィルスです。このクラウドに残っていたゲンのウィルスは、ゲンの死と共に・・」
「もういい!!ネットの中にいるならオレが炙り出してやる!ソウタにも連絡する!すぐやるぞ、イヴも協力しろ」

 ゲン。
 自我に覚醒したファイター型アンドロイド、ファイター型でありながら恐ろしいウィルスを自ら作成し、同じアンドロイドたちを死に至らしめた。あまつさえ、自分の欲求のまま、アンドロイドを快楽的に殺害した悪魔のアンドロイド。
 だが、そのゲンすらも死の間際、自身の行為に恐怖し、懺悔したという。

 リョウの瞳は燃えていた。

 エリカはそこまで、黙って全てを聞いていた。その脳裏には、両親の笑顔が浮かんでいる。

-パパ、ママ、ようやく手掛かりを掴んだわ。敵を討つわよ。でも・・

 エリカは腕組みして、頭を左右に振った。どこか違和感に苛まれる。

-ゲンのウィルステクノロジーを使った?ゲンはソウタに謝ったのよ。ゲンが誰かを恨んでるの?
-違うわね。30年にも及ぶ犯行を支えるのは、強い恨み、いったい誰が、誰を恨んでるの?

 思考の末、エリカはひとつの結論を得た。

「この犯人、ゲンを利用しているだけね。ゲンなんかただの、飾りよ」

 イヴは珍しく、驚きの表情を浮かべている。
 そして全員が見つめた。

 碧く冷たく光る、エリカの瞳を。


つづく



本作は、セナさんの作品「アンドロイド転生」の二次創作です。
話数1000を超えて連載中です。
アンドロイドに転生した人間、アオイとタケルを軸に、ふたりを取り巻く人々とアンドロイドたちの運命を描いた壮大な物語。

あらすじはこちらです。


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