逢魔の子 真鏡名神鈴(まじきな みすず)
沖縄の10月は、最高気温が30度を下回る日が増え、台風も滅多に来ない季節だ。サシバが渡り、北東の風が爽やかな沖縄の短い秋。観光するにしても何にしても、沖縄で一番いい時期。だが、最低気温は普通に26度以上もあるので、本土の感覚なら真夏だし、海で泳ごうと思えば泳げる。
安座真漆間と八千代言葉、琉球大学1年目の秋である。
沖縄本島のみならず、大隅諸島、奄美諸島から八重山諸島に至る琉球弧に伝わる民間伝承を研究し、その歴史と関係を紐解くという高尚な建前を持つオカルトおたくのサークル、“琉球弧伝承研究室”でも、すでに終盤の就職活動や卒業論文作成の最中、4年生は忙しい日々を送っている。
部長の4年生、比嘉光良も例外ではなかったし、未だ内定をもらえていない状況に、その顔には少々焦りも見える。と、普通は思えるのだが、当の比嘉はいたってのんびりしたものだった。
「部長、もう10月ですけど、就活しなくていいんですか?それに、卒論だってもうすぐ提出の締め切りなんでしょ?」
のんびりサークルに出ている場合ではない、という意味を込めて声を掛けたのは、2年生の新垣真美だった。
「え~?いいのいいの、単位は大丈夫だしさ~、就職だって、卒業して探したっていいのさ。僕、焦って仕事を探したくないタイプだから~」
「すっごいですね、私はまだ2年だけど、もう考えてますよ?来年から就活が始まるんですから。それに面接とかでサークル活動のこと聞かれたりしますよね?正直、このサークルのことどう言おうかなって」
「え~、そんなの、琉球弧の歴史についてふか~く学んでいますから、それを御社のイメージアップやグローバル戦略に活かしたい、とか言えばいいんじゃない?」
「それ、なんかすっごく良いんですけど、でも琉球弧の知識を使って、どうやって企業のイメージアップやグローバル戦略に活かすんですか?」
「え?そんなの僕だって知らないよ~、そう言っとけばいいって、僕も先輩に教わったからさ~。ははは」
「はぁ、なるほど、我がサークル伝統の就活対策、ってわけですね?」
新垣はため息交じりにあきれ顔を作って見せた。だが、新垣にはもうひとつ心配事があった。
「ところで、来年の部長さんって、やっぱり副部長がなるんですか?」
「いや、当銘くんにはね、ちょっと、僕に部長は無理ですって断られちゃってさ~」
「え?だって、副部長はとっても真面目にサークル出てくるし、うちの唯一の良心っていうか、まともっていうか・・あとは誰が・・」
「うん、だからね~、僕も当銘くんだって思ってたんだけどさ~、本人が辞退するんだから無理に押し付ける事はできないよね~」
「まぁ、そう、ですねぇ」
「だからね、彼女に頼んだらね、いいですよって言うからさ~、頼むことにしたんだ~」
「彼女って、うちの女性部員って言うと、え?まさか・・みすず?」
「そうそう、真鏡名神鈴」
「え~、だって、神鈴って私とおんなじ2年ですよ?しかもサークルには、たまぁ~にしか来ないじゃないですか」
「うん、でもさ、彼女ってたまに出てくると、すっごいネタ持ってくるでしょ?それに、彼女が普段なにしてるか、知ってる?」
「い、いえ。でも確かにそうですね。神鈴ってば、来ればびっくりするようなオカルトネタを持ってきますね」
「そう、彼女ね、学校の暇をみて色んなとこに、それこそ琉球弧全体に出掛けてるんだな~」
「琉球弧全体、ですか」
「そう、それで何してるかっていうとね、彼女、除霊して回ってんの!!」
「え?除霊って、マジですか?」
「まじまじ!彼女、真鏡名神鈴はね、オカルトおたくっていう造花サークルに咲いた、一輪のホンモノ、なのよ」
「神鈴ってホンモノの霊能者、だったんですか」
「霊能者っていうかね、ユタだね。彼女の家って、その家系らしいよ?」
「真鏡名家がユタの家系、ってことですね。知らなかった」
「でさ、週末にさ、神鈴が帰ってくるらしいから、全員集合掛けよう。そんときみんなに発表ね!」
真鏡名神鈴、琉球大2年生。ユタの家系にして本物の霊能者。そして琉球弧伝承研究室の、次期部長である。
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週末、琉球大学サークル棟の入り口。
3階建てのサークル棟には全てのサークルが部室を構えている。それら部室の窓は各サークルの看板や芸術的?オブジェが外から見えるように配置されているものが多い。
その2階の真ん中に、琉球弧伝承研究室の窓が見えた。
ひとりの女性がその窓を見上げ、なにやら呟いている。
「あの、すみません、あの窓の部屋になにかご用ですか?」
話し掛けたのは、集合時間に少し遅れた金城日葵だった。
「え?あら、あなた、あの窓のサークルの人?」
「あ、はい、1年生です。あの、あなたは?」
「ふふ、ごめんなさい。私もあの窓のサークルの人。全然出ないから会ったことなかったわね。私、真鏡名神鈴っていいます」
「え!じゃあ、新しい部長さんの?」
「ええ、私です。比嘉部長に頼まれちゃったからね、ホントはやりたくないんだけど」
「す、すみません、私1年の、あの、金城日葵っていいます」
改めて見ると、真鏡名神鈴は不思議な雰囲気を湛えていた。背は高く、180cm近くに見える。白いブラウスに黒いテーパードパンツのシンプルなコーディネートは、長身と相まってシャープなシルエットを作りだしている。それにも増して、絹糸のように輝く長い黒髪に、切れ長の瞳とうっすらと笑みを浮かべる口元が、彼女の神秘性を醸しているようだ。
「ところでね、あなたの他の1年生に、なにかおかしな人、いない?」
「おかしな人って、どういう・・」
口ごもりながらも、日葵の脳裏には、漆間の顔が浮かんでいた。
日葵は漆間と言葉から、小学1年のとき、自身も関わった怪異との闘いのこと、漆間の母親、名城明日葉のこと、そして高校3年のとき漆間と言葉が闘った怪異のこと、全てを聞いていた。もちろん漆間の力、霊力についてもだ。
もしかしてこの人は、漆間の霊力をこの場で感じているのでは?日葵はそんなことを思った。
「そう?う~ん、ここに立ったらね、部室の窓の辺りからなんか、ね」
神鈴はやはり、サークル棟の部室から相当離れたこの入り口で、すでに何かを感じ取っている。
「うん!まぁいいわ!もう時間過ぎてるし、さ、行きましょ?ひまりちゃん」
日葵は頷くと、神鈴の後ろについてサークル棟の部室に向かった。
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「ひまりちゃん、遅刻だよ~、うちな~タイムは仕事では駄目だからね~、サークルならまぁ、いいんだけど~、でも、次期部長の遅刻は、だめ~」
日葵と神鈴が部室に入ると、比嘉部長がのんびりと声を掛けた。
少し照れ笑いしながら頭を下げて席に着く日葵に対し、神鈴は入り口で全員の顔を見渡すと、すぐ、まっすぐに漆間の目を見た。
-この人、すごい人だな。こんな人がいたんだ。
神鈴と目が合った瞬間、漆間も彼女の能力の高さに驚きを隠せなかった。神鈴の霊気は鮮やかな緑色、穏やかだが全てを包み込む力を感じさせる。
新しい部長のお披露目であるこの日、比嘉部長の号令に応えて、普段サークルに出てこない幽霊部員も集まっていた。真鏡名神鈴もそのひとりだが、彼女は在籍だけの幽霊部員ではなく、サークルの誰よりも琉球弧の伝承に詳しく、そして実際の怪現象にも相対している。
「はい~、じゃ、全員揃ったから、発表しま~す。来年4月からの部長さん、真鏡名神鈴さんで~す。みなさん、はくしゅ~」
比嘉の音頭のもと、全員が拍手で神鈴を迎えた。神鈴はその場で礼をし、背筋を伸ばして挨拶を始める。
「みなさん、次期部長に指名されました、真鏡名神鈴、今度3年生です。そのまま4年生まで部長をするかもしれません。どうぞよろしくお願いします」
神鈴はもう一度頭を下げ、席に着いた。
「はい、ありがとう~、では次に、副部長は、今度4年生の当銘健太くん、書記会計は、今度3年生の新垣真美さんです~、みなさんよろしくお願いします~」
比嘉の進行で滞りなく会は進み、取り敢えずの終会を迎える頃、部員のひとりが手を挙げた。
「あの、すいません。ひとついいですか?」
発言したのは、普段サークルに出てこない、完全幽霊部員の奥間勇二だった。
「はい~、えっと、3年の奥間くん?珍しいねぇ~、はいはい、なにかありますか?」
「えっと、実は、同級生の友達から相談されたんですけれども・・」
奥間が言うには、同級生の家の近くにある公園で、怪現象が起こるという。同級生の家は、今では珍しくなった駄菓子屋を営んでいるが、その怪現象の噂のせいで、子供たちが寄りつかなくなっているとのことだった。
そもそも、その公園には都市伝説のような噂が昔からあり、誰も気にすることはなかったのだが、この数年、怪現象を目撃する子供が増え、商売にも影響しだしたらしい。
「・・・で、僕が大学でオカルトサークルに入ってるからって、友達が僕に相談してきたって感じなんですよね」
「えっと、オカルトサークルじゃなくって、琉球弧の伝承を研究するサークルなんだけどね~、ま、建前だけなんだけどさ~、それで・・」
「ちょっといいですか」
比嘉部長の話を制し、神鈴が声を上げた。
「その怪現象っていうの、もう少し詳しく教えてもらえないかしら?」
奥間にとって神鈴は下級生だが、神鈴の言葉には威厳があった。自然と奥間は敬語になる。
「あ、はい、昔からの噂って言うのが、公園の大きなガジュマルの下に椅子が4つ並んでて、普通だと木の葉とか枝とか虫とかで汚れるもんだけど、その椅子は4つともいっつも綺麗で、それは、4人の幽霊が座ってるせいだ、っていうんです。で、その幽霊を子供たちが見たっていうんですけど・・」
子供たちは4人の幽霊が椅子に座っていると言うらしい。しかもそれは夜だけではなく、昼間にも見える。そしてその幽霊は4人の老人で、目が合った子を指差して、何事か叫びながら迫ってくると言うのだ。ただ、目撃した子によっては、4人の幽霊は老人ではなく、小学生のような子供に見えることもあると言う。
「それで、そのお友達は、幽霊をなんとかならないか、とあなたに相談してきた。ってことなのね?」
奥間は頷く。もう自分が上級生であることは頭にないようだ。
「分かりました。その公園に行きましょう。じゃ、そこのあなた、一緒に行くわよ。えっと、名前は?」
「あ、はい、安座真漆間です。1年です」
神鈴はまっすぐ漆間を見て同行を命じた。その言葉には、抗えない迫力があった。だが、漆間は神鈴の姿に、なぜか母の優梨の姿が被って見えていた。
-なぜだろう。霊気の色は違うけど、母さんと同じものを感じる。あ、そうか、僕が初めて会ったときの、僕の担任だった頃の母さんと似てるんだ。
小学校の入学式で初めて会った担任、真鏡優梨。白いブラウスに紺のスーツスカート。清楚ながら凜とした雰囲気と知性を漂わせる女性。真鏡名神鈴は、その頃の優梨とよく似ていた。
「じゃ、安座真君、行こうか」
終会間際とはいえ、まだ会は終わっていないのに、神鈴はすでに立ち上がっている。だが部長の比嘉もそれを止めはしない。なにしろこのような話になると神鈴が止まるはずはないと、比嘉は知っていたからだ。
その時、言葉が手を挙げた。
「真鏡名さん!私も行きたいです!!」
神鈴は顔を言葉に向け、品定めでもするかのように、言葉の全身にスッと目線を送った。
「へぇ~、ええ、いいわよ?あなた、名前は?」
「はい、八千代言葉です。安座真君と同じ、1年です」
「はい分かった!じゃあもう出ますが、他に行きたい人いますか?」
「はいはいはい!!私も行きたいです!」
今にも出て行きそうな神鈴に慌てて手を挙げたのは、日葵だった。
「あら、ひまりちゃん、あなたもなの?う~ん、ひまりちゃんかぁ。でも、いいか。私と安座真君がいれば、万に一つも・・・」
神鈴は少し考える仕草を見せたが、決断は早かった。
「はい締め切り!じゃ3人共、行くわよ!じゃ奥間さん、公園まで案内してくださいね」
「は?オレ?あ・・・はい!」
友人の相談で自分まで巻き込まれ、奥間は少々面食らったが、確かに案内がなければその公園まで行けないだろう。
「全部で5人ですよね、じゃあ、オレの車で行きましょう」
比嘉を始め他の部員をその場に残し、5人はサークル棟を後にした。
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奥間の車を降り、5人はその公園の入り口に立っていた。
それほど大きくはないが、小さくもない。滑り台やブランコ、今では珍しくなったジャングルジムもある。大きなタコのオブジェは頭の中に入ってあちこちから顔を出せるし、8本の足はもちろん滑り台になっている。たくさんの子供たちが遊べる、良い公園だ。
だが、この公園に遊ぶ子供の姿は無かった。
それは、公園の真ん中に生えた大きなガジュマルの下の、4個の椅子にまつわる噂のせいだ。
地面に直接置いてある円筒形の4個の椅子は、確かにきれいだった。普通、公園の椅子、それも大きな木の下の椅子ならば、枯れ葉や枝や草などが積もったり、土で汚れているものだが、この椅子の上はまるで拭いてあるようだ。
その4個の椅子の前で、神鈴は腕組みをしていた。
「ねぇ、安座真君、どう見える?」
「ええ、老人、ですね。4人」
不意に声を掛けられたが、神鈴と同様に椅子を注視していた漆間は慌てることなく応えた。
「そうね、老人だわ。これが子供に見えることがあるのね。どういう条件でそう見えるのかしら」
「それはちょっと分かりませんが、残っている思念が少ないです。この4人は、相当な昔からこうしているんでしょう。多分、この椅子が無かった頃から」
「あなた、残留思念も読めるの?すごいわね」
「そんな、真鏡名さんも読んでるじゃないですか」
「ふん、まぁ、そうね」
そんなやりとりを見ていた奥間は、漆間と神鈴の顔を交互に見ながら目をパチパチとしばたかせた。
「あのさ、ふたりとも、今日初めて会ったんだよね。で、なんなの?その、なんとか思念とか、4人いるとか、本当にいるの?オレ、なんも見えないんだけど」
そんな奥間のシャツの端が、後ろからツンツンと引っ張られた。振り返ると、日葵が頬を赤らめながら見上げている。
「奥間先輩、あのですね、安座真君、うるまくんに関しては、本物なのですよ。私はうるまくんのこと、よ~く知っているのです。でも、あの神鈴先輩もそうなんですねぇ、ビックリですねぇ。我がサークルには、本物がふたりもいるのですよ」
「ほ、ほんもの?」
「はい、ほんものの、霊能者です」
日葵は自慢げに鼻の穴を膨らませている。言葉はそんな日葵にあきれ顔だ。
「ひまちゃん、なんでひまちゃんが自慢げなの?それに、今そんな場合じゃないよ?」
「あ、そうだった、ここにも本物がいるんだった。でも、あのふたりのプロと比べると、アマチュア?」
「もう!失礼ね!!でも、うるまたちと比べられたら、そのとおりだわ」
高校3年生のとき、漆間と一緒に“おとなの花子さん”と闘って以来、言葉も少しだけだが霊気を扱えるようになっていた。
「でもね、あそこの椅子、私にもうっすらと見えるのよ。4人の影、老人、かなぁ。子供のような感じもするかなぁ。でね、ずっと私たちのこと見てるよ?って言うか、ひまちゃんのこと見てるみたい」
「げげ、八千代さんって言ったよね、君も見えるの?君も霊能者?ど、どうなってんの?うちのサークル、ほんもののオカルトサークルになってんじゃん。で?4人の幽霊が、この子のこと、見てる・・」
「やだ!ことちゃん、変なこと言わないで!コワイよ、それ」
「ううん、間違いない、ほら、ひまちゃんが動いたら、4人の目線もそっちに動いたよ。ひまちゃん、間違いなく見られてる」
言葉の言うとおり、ガジュマルの下に並んだ椅子に座る4人の老人は、ずっと日葵のことを見ていた。そしてそのことに、漆間と神鈴も気付いていた。
「安座真君、どうやらこれはマジムンとかの怪異じゃなく、純粋な地縛霊のようだね。そして、あれらはひまりちゃんのことが気になるようだ」
「そうですね、なぜひまちゃんか。う~ん、女子だからって言うと、言葉も女子だけど、あ、美鈴さんも・・・女子か」
「あ?あざま、おま・・いや、君は何が言いたい?」
「あ!いえ!!ひまちゃんは、その、一番子供っぽくて、美鈴さんは、えっと、おとなのじょ・・・女性だなぁ~って」
「え?おとな?そ、そうか?おとなに見えるか?そうか、それならまぁ、いいんだが」
神鈴は実際、漆間たちと1学年しか変わらない。だが、その長身とスタイルと共に、シンプルなコーディネートを着こなすセンスは抜群だった。しかも、凜としたその立ち振る舞いは、言葉や日葵にはない大人の雰囲気を醸し出している。それにやはり、漆間の担任だった頃の優梨に似ていて、漆間はそれを否応なしに意識させられていた。
「だが、安座真の言うことには一理あるかもな。八千代は年相応、普通の女子大生に見えるが、ひまりちゃんは背も小さいし童顔だ。パッと見、中学生。見ようによっては小学生にも見える。私は、まぁ、おとな、だしな」
「は、はい、そうなんですよね。あの霊たちがひまちゃんを見つめているのは、やっぱりそれが理由なんじゃないかって・・」
-神鈴は怒らせるとコワイ。これからは気を付けねば。
神鈴の機嫌が直ったのと、自分の言ったことを認めてもらったことで、漆間は少しホッとしていた。
「ところで安座真、君は、ああいった霊と対話したこと、あるか?それか、そういう能力は、あるか?」
霊との対話。神鈴の問いに、漆間は腕組みして、少し考えた。今の父、安座真雄心はそういう能力を持っていたが、自分自身にはない。あるいは、そういった経験をしたことがないのだ。
「いえ、無い、かもしれませんし、やったことがないので・・」
「分からない、か」
神鈴は少しだけ口角を上げ、漆間の肩にポンッと手を置いた。
「じゃ、安座真は少しの間、そこで見ているといい」
そう言うと神鈴は、霊たちに向き直り、両の手を腹の上で組んだ。そして背筋を伸ばし、集中を高めると、聞こえるか聞こえないかという声で、何かの呪文を唱える。
漆間は神鈴が唱える呪文に聞き覚えがあった。今日、サークル棟の部室にいたとき、どこからか聞こえてきたのだ。それは物理的に聞こえたわけではなかった。ただ頭の中に直接響いていた。
-あれは、神鈴さんの言霊だったんだ。
神鈴の言霊に応えたのか、4人の霊は視線を日葵から外し、立ち上がって神鈴の前に並んでいる。そのまま数分、神鈴の呪文が途切れ、霊たちはまた、それぞれの椅子に戻っていった。
「ふぅ、終わったぞ。あの霊たち、やはり悪いものではなかったな・・・」
神鈴は漆間たちに、霊たちのことを教えてくれた。
大きなガジュマルの下にある4つの椅子。そこに座る霊たちは、誰かを待っているのだそうだ。老人の姿は、彼らが死んだときの姿。そしてそれは、まだ椅子も無い、大きなガジュマルが若木だった頃の話だった。
老人たちがまだ小学生だった頃、4人でここに集まって遊ぶのが常だった。ある日は鬼ごっこ、ある日は相撲、そしてある日は、かくれんぼ。
その日、女の子がひとり、4人の遊びに加わった。知らない子だったが、4人はすぐにその子と仲良くなり、いろいろ遊んだ後、最後にかくれんぼをすることにした。
鬼は4人の中のひとり。女の子と後の3人は、思い思いに散って、そして隠れた。
鬼はすぐに3人の仲間を見つけた。でも、女の子は全然見つからなかった。仲間たちはいつも同じようなところに隠れるのだが、初めて一緒に遊ぶ女の子が隠れるところなんて、さっぱり見当が付かなかった。
それで、4人は全員で女の子を探すことにした。だけど、広場の隅々を探しても女の子は見つからなかった。
ガジュマルから少し離れたところに、涸れ井戸があった。誰かが、あそこに隠れたんじゃない?と言ったが、そこには近づくなと大人たちに言われていたので、みな、そんなことないよ、と言い合った。
でも、見たんだ。恐る恐る近づいた涸れ井戸の底に、うっすらと、女の子が倒れているのを。
4人は悲鳴を上げて逃げた。ガジュマルの下まで逃げて、口々に言った。
どこの子か分からない女の子。死んでる。井戸の底で。
僕たちのせいだ。僕たちのせいだ。僕たちの・・・
4人はそのことを、誰にも言わず隠すことにした。そして4人は、罪の意識に苛まれながら人生を送ることになる。何年も、何十年も。
皮肉なことに、4人は祝われるほど長生きをした。だが、子供の頃に負った罪の意識は消えない。
そして、寿命を全うした4人は、次々にこのガジュマルの下に集まって、椅子に座るようになった。
これからも、ずっと、座るだろう。あの子が戻ってくるまで。
あの子に、謝るまで。
「これがあの霊たちから聞いた話だ。つまりな、あの老人たちは、悪霊じゃない。ただ、小学生くらいの子供を見ると、あの子が戻ったのでは、と近づいてしまうんだよ」
その話を聞いて、言葉と日葵は涙ぐんでいた。特に言葉は、霊たちの心に多少なりとも触れたようで、涙は頬を伝っている。
奥間は神鈴の話を聞いても、何が何だか分からなかったが、悪い霊ではないと聞いて少し安心していた。ただ、問題は残っている。
「あの、じゃあ、オレの友達には、安心しろ、悪いものではなかったぞ、とか言えばいいんですか?」
「うん、そうなんだが、安心しろって言っても、この現象が終わらないことには、噂は絶えないだろうなぁ」
「え~、そんなぁ。じゃあ友達の駄菓子屋、終わりますよ~」
漆間はそんな皆の様子を見ながら、別のものを感じていた。おそらく、神鈴の言霊に応えたのだろう。何かの思念が、濃くなっていた。
「美鈴さん、ちょっと、霊たちにもう一度話し掛けてもらえませんか?」
「ん?いいが、安座真、何を言えばいいんだ?」
「はい、とりあえず、こっちを見てくれ、と」
漆間の頼みに応え、神鈴は再び霊たちに向き直り、集中して呪文を唱えた。霊たちは再び立ち上がり、神鈴の前に進む。
その間に漆間は、先ほど感じた思念に集中していた。
-これ、残留思念じゃない。今、ここに集まってきてるものだ。それに、これって・・・
それは球体で、ガジュマルの木の枝から下がる気根に、まるで木の実のようにぶら下がっている。漆間はそれを、両手の平で包み込むように取った。
「美鈴さん、霊たちに、これを見て、と伝えてください」
神鈴は頷くと、顔を漆間に向け、霊たちにそちらを見るよう促した。
霊たちに考えを伝える術を、漆間は知らなかった。だからただ、心を込めて彼らに言った。
「その女の子って、この子?」
漆間は包んだ両手を開いた。そこから放たれた球は、みるみるうちに人型に変化する。そこには、ふわりと宙に浮かぶ、女の子がいた。
その女の子を見た瞬間、4体の霊気が大きく膨れ上がった。
「お!安座真、これ、まずいかも!この霊たちみんな、そうだ、そうだ、この子だって言ってる!」
「美鈴さん、落ち着いて。彼らに僕が今から話すことを、そのまま伝えてください」
漆間が女の子の思念から感じ取ったのは、かくれんぼをした日より前の出来事だった。
ここに生える大きガジュマルがまだ、小さな木の芽だった頃、ここには涸れ井戸しかなかった。この集落ではもう使われなくなった涸れ井戸。女の子はお使いがてら、興味半分で井戸を覗き込み、そして落ちた。
誰にも知られぬまま、時は過ぎた。
まだ小学生だった女の子は、そのまま井戸に縛り付けられてしまった。
遊びたいなぁ、誰かと一緒に、遊びたいなぁ、って、思いながら。
ある日、女の子はガジュマルの下で遊ぶ4人の男の子を見つけて、嬉しくなって、井戸から出て一緒に遊んだ。そしてかくれんぼをして、女の子は涸れ井戸に隠れた。それは、自分の体を見つけて欲しいという女の子の願いもあったから。
そして4人は、涸れ井戸の女の子を見つけた。
そのとき、4人はこの女の子が、涸れ井戸に落ちて死んだのだと思い込んでしまった。
神鈴がそこまで伝えると、4人の霊気は更に大きく膨れ上がった。正気を失ったように蠢くそれは、まるで悪鬼のように見える。
「安座真!大丈夫か?霊圧が大きい!それに霊たちが、自分たちを騙したのか、あのとき、もう死んでいたのか?って、こりゃ怒ってるぞ?悪い霊ではないが、今すぐ祓うか?」
「美鈴さん、待ってください。もう少しですから」
「もう少しって、なにがだ?」
「ほら、この子、見てください」
女の子の霊は、泣きそうな顔で4人を見つめている。そしてその唇は、何かを話すように動いていた。神鈴がその動きを読む。
「・・・ご・め・ん・な・さ・い・・・ごめんなさい?」
神鈴がその言葉を口にした瞬間、4人の霊は女の子に殺到する。神鈴は完全に虚を突かれた。
「ま、まずい、安座真!やるぞっ!!」
両の手を組み合わせ、瞬間的に印を結んだ神鈴は、それを4人に向け突き出した。神鈴の霊気が塊となって放出される。だが、それは、漆間が手の平から発した目映く光る霊気に防がれた。
「大丈夫、美鈴さん、大丈夫ですよ、ほら」
4人の老人が、ひとりの女の子を囲んでいる。彼らの言葉は音にはならないが、心に直接響き渡った。
「あぁ、良かった。僕たちが騙されてただけなんだね」
「ようやく見つけてあげられた。ごめんね、あのとき逃げて」
「戻ってきたんだね、ずっと、会いたかったんだよ」
「寂しかったんだね、ごめんね、これからは、ずっと一緒だ」
4人の老人は涙を流しているようだ。いや、老人の姿は瞬く間に消え、4人は、小学生の男の子になっていた。
4人の男の子と、ひとりの女の子。
5人は手を繋ぎ、輪になった。みんな笑っている。そして、5人は光の輪になって、ふわりと空に昇っていった。
ガジュマルから1枚、ひらひらと葉っぱが落ちる。そしてその葉っぱは、椅子の上に落ちた。
葉っぱはもう、椅子から落ちることは、なかった。
・
・
「あの、オレ、見えましたよ。最後んとこで、なんかこう、煙の輪っかみたいのが、ふわって昇っていくの」
奥間が運転しながら神鈴に話し掛ける。まったく霊能のない奥間だが、状況によってはそういう現象が見えることもある。今回がそれだった。
「そう?まぁ、見えない方がいいことも多いんだけど」
「いやぁ、オレもう信じちゃいました!なんですか、このホンモノ集団!美鈴さんも漆間も、すげぇでした!オレ、サークル来ますよ!もう、運転手だろうがなんだろうが、この奥間勇二に、お任せください!!」
「奥間さん、私より上級生じゃないですか、敬語はいいですよ」
「あはは、オレもう、そういうの関係なくなっちゃったんで、気にしないでください。ところで、見えたのは4人の老人って言ってましたよね?子供たちの話では子供の姿のこともあるって、それはどうなんですか?」
「ああ、見る子によっては、老人に見えたり子供に見えたりするっていうんでしたね。それはきっと、あの霊が子供に見えた子は、霊感が強いんですよ。あの霊たちの子供の部分を見たんだと思います」
「そうなんですねぇ、でも神鈴さん、なんかすごかったなぁ。オレな~んも見えてないんだけど、カッコいいのは分かりましたよ?“安座真!今すぐ祓うか!”とか、な!安座真!」
神鈴に心酔した様子の奥間が漆間に話を振ってくるが、漆間は別のことを考えていた。奥間の問い掛けには応えず、神鈴に話し掛ける。
「あの、美鈴さん、ちょっと聞いていいですか?」
「ん?なんだ安座真、別にいいぞ?」
「美鈴さんの名字って、真鏡名ですよね。僕の祖父に聞いたんですけど、沖縄では同じ字を充てて、シンキョウメイとか、マキョウメイ、マキョウナって読むって」
「うん、そうだな、沖縄でもそう多い姓ではないが、読み方は多いな。でも、どうしてそんな事を聞きたい?」
「実は、僕の旧姓、真鏡っていうんです。昔、母の両親が改姓したらしいんですけど」
「マキョウ?マコトのカガミで、真鏡か?」
「はい、まぁ、僕は元々“名城”っていう姓で、ちょっと色々で今の母の姓、“真鏡”になって、また色々で今の父の姓、“安座真”なんです。名城が本当の母の姓なんで、今の父母はどちらも義理の父母になるんですけど」
「今の母、そうか、義理のお母さんなのか。で、そのお母さんの名前は?」
「優梨です」
「本当か?安座真のお母さんは、真鏡優梨って名前だったのか?」
真鏡優梨、その名前を神鈴は知っていた。自分の両親と親族たちが話しているのを聞いたことがあるのだ。
-安座真漆間か、真鏡優梨は義理の母親だから、あの力を継いでることはないのよね。でも、サークル棟の外でも感じたし、私の霊気を防いだあの眩しいほどの霊気、この子、ものすごい力だわ。
「・・・おばぁに言っておいた方が、いいわね」
「え?美鈴さん、おばあって?」
「ううん、なんでもないの。さぁみんな!今日のこと、サークルに戻って資料にまとめるわよ!」
「え~?今からですかぁ~?あ、ガソリン代出ますよね、ね!美鈴さん!」
「私たちはいいですよ~、ね!うるま!ことちゃん!」
「うん、私も、今日のこと書きたいな。なんかすごく感動しちゃったし」
奥間も言葉も日葵も、とてもいい雰囲気に包まれている。今回の霊現象を共に体験したことがその要因だろう。だが神鈴と漆間には、それとは別の思いが巡っていた。
-真鏡名家から出て行った人の名前、真鏡。この事をおばぁに言ったら、どうなるんだろ。私なんか足下にも及ばないあの人たちは、あの力を、いったいどうするんだろ・・
-真鏡優梨っていう名前を、美鈴さんは知っている。つまり母さんは真鏡名家に縁がある人だったってことだ。このこと、母さんに言わなくっちゃ。母さん、すぐに来るだろな・・
この日の出会いは、漆間たちの運命を大きく左右することになる。
そして車は、それぞれの思いを乗せて南へ走った。
つづく