ショートホラー 不吉の音
次々と入るメール対応に振り回されながら、膨大な見積もり、請求書データの作成とチェックに忙殺される午前中。社員の皆がモニターに釘付けになり、キーボードを叩く音だけがオフィスに響く。
とても終わらないと思えた仕事もひと区切りが付き、12時をかなり過ぎてようやく取れた昼休み、明美と映子のふたりは社員食堂にいた。時間に余裕があれば社外でランチというところだが、早く戻らないと、また仕事が溜まってしまう。
「はぁ、繁忙期はいっつもこうだけど、考えてみれば暇なときなんてないよね。うちの会社って、結構ブラックなんじゃない?明美はどう思う?」
頬杖をついて社食特製Bランチの白身魚フライをつつきながら、映子はしきりにぼやいている。
「うん、ブラックかホワイトかって言えば、ブラックだよね。私、もう疲れちゃった。まだ午前中終わったばっかりなのに」
明美も同じ社食特製Bランチだが、ひと口も食べず、映子が食べるのを見つめている。
「明美?食べないの?どうかしたの?」
「うん、なんかね、食欲がないの。映子が食べてるとこ見てるだけでお腹いっぱいになっちゃった」
「え~?大丈夫?なんか目の下まっくろだし、寝れてる?」
「うん、寝てると思うんだけど、すっごくたくさん夢を見てるような」
「へぇ、ほんと大丈夫かなぁ・・どんな夢を見るの?」
「うん、えっとねぇ・・」
映子の問いに応えようと、明美は目を瞑って上を向いた。そのとき、音が聞こえてきた。
「あ、あぁ、この音、夢の中で聞こえる音だ。ここでも鳴ってるんだな。ね、映子、この音がね、ず~っと夢の中で鳴ってるのよ。そしてね、私はたくさんのモンスターに囲まれてて、そこで暮らしてるんだけど・・」
「ちょっと待って、何の音が聞こえるの?」
「ほら、よくさ、ホラー映画でさ、殺人鬼やモンスターが出てくるときに鳴る音楽ってあるじゃない。ズ~ンダ、ズズ~~~ンダ、ズンダズンダズンダズンダ、みたいな感じの、不吉な音」
「うん、あるけど」
「それがね、夢の中で・・」
「今も?」
「うん」
「聞こえないよ?そんなの」
「え?うそ」
その日から、明美は聞こえない音を聞くようになった。
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「梅村明美さん。お話を聞かせていただきます。カウンセラーの竹町です」
あの日から、明美は会社を休んでいる。あの音が鳴り止まないからだ。
寝ていれば夢の中で、目覚めても一日中、何をしていても鳴っている。しかもこの数日は、夢の中に現れるモンスターたちも、現実に見るようになっていた。
モンスターはお化けや幽霊や妖怪といった見た目ではなかった。もっと普通に存在する、でも見たことがない動物のような。2本足で歩いてはいるが、腕は4本、目は前後左右に8個、口は顎の下をぐるりと取り囲むように付いている。それが普通に隣で生活しているのだ。
「その、モンスターというのは、今も見えますか?」
「えっと、今は竹町さんしかいないから、モンスターはいないと思うんですけど、ちょっと目を逸らすと、目の端の竹町さんが、その・・」
「モンスターに見える?」
「はい、見えます」
「そうですか、先ほどから梅村さんのお仕事の話とか、全て教えていただきましたが、かなりお疲れのようです。特に眠れないのはお辛いでしょう。その幻聴や幻覚というのもかなり堪えますよね」
「はい、もうなんか、ギリギリの感じなんです」
「よく分かります。梅村さんの状況については、私から先生の方に報告しておきますから、どうか安心してください。もし、もっと話がしたかったら、先生におっしゃってくださいね。また私がお話をうかがいますから」
竹町は優しい微笑みを浮かべ、落ち着いた声で明美を安心させてくれる。だが、やはりあの音は鳴っているし、気を逸らせば竹町はモンスターに変身してしまうのだ。
「竹町さん、わたし、わたしは、病気なんですよね。こんな幻を聴いたり見たり、これって、病気なんですよね」
「はい、それは先生が診断されるでしょう。それとね、これで梅村さんが安心するかどうか分かりませんが、今、梅村さんが聴いたり見たりしているものは、ある意味、現実とも言えるんですよ?」
「え?それって、どういう・・」
「ええ、見たり聴いたりという外からの刺激、触ったり、熱いとか冷たいとかもそうですね。それって全て、脳がそう思うからそう感じるんです。つまり、他の人に見えないものも、他の人に聞こえない音も、梅村さんがそう感じると言うことは、それは梅村さんにとっての”現実”なんです」
「私にとっての、現実」
「そうです。だから、聞こえるものは聞こえる、見えるものは見えるって、割り切ってしまってもいいんですよ」
「そうか、現実、なんですね」
その日以来、明美はありのままを受け入れた。目の前にいるモンスターは、人間の姿がそう見えているだけだ。そしてそれは自分の現実。いつも聞こえる不吉な音も、普通の音がそう聞こえているだけ、そしてそれも自分の現実。そう割り切ってしまえば何のことはない。処方された薬の効果もあったが、自分を受け入れることが何よりの薬となった。
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「あげび、なんがげんぎになっだみだい?がおいど、いいね!」
「う゛ん!あぎがどうね、じんばいがげだわ」
えいこは正面の目だけをくるくると動かすと、顎の下の口を開いて、可愛く笑う。そして小さな4本目の手で特製Bランチの皿の動物を掴むと、暴れる動物の首をかじり取った。
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「ああ、ずびぶんど、びょくなりばしだね、うべむだざん」
「だげまぢだん、ぼんど、あぎがどうごだいまどぅ、もう゛、だいびょうぶでぶ・・」
この心療内科に来て、ほんとに良かった。この人に話を聞いてもらって、ほんとに良かった。
でも安心は出来ないわ。ちょっと油断すると、見えちゃうの。
つるりとした見た目で腕が2本しかない、目も耳もふたつだけで、あり得ないところに鼻と口が付いている、気持ち悪いニンゲンが。
そして、あの音も聞こえるんだもの。ガタンゴトンとか、カンカンカンとか、一日中響いてる得体の知れない不吉な音や、不吉なリズムを刻んで、訳の分からない不吉な言葉を叫ぶ、ニンゲンの声みたいなものが。
そうか、私はまだ治っていないんだ。
うん、また行こう、そして話を聞いてもらおう。
ダゲマヂだんに言うんだ。
ニンゲンガミエマス、ッテ。
了