逢魔の子 神鈴の恋
時は少し遡り、8月中旬の与那国空港。
日本最西端の空港であるそこに、神鈴の姿があった。
夏休みに入った神鈴は除霊の依頼を受け、与那国島に出向いたのだ。そこには助手として奥間勇二も同行していたが、なぜか辺土名助教授の姿もあった。
交通費と滞在費だけで様々な除霊の依頼を受ける神鈴の存在は、その世界では有名だ。それは高額な除霊費用が掛からないというだけではなく、神鈴の能力の高さもその要因だった。
「神鈴さん、お待たせしました!レンタカー借りてきました。すぐそこに停めてありますから、行きましょ!」
奥間は今や、神鈴の優秀な助手として欠かせない存在だ。
「ああ、お疲れ様だったね、奥間くん。えっと、今日は依頼主に会って話を聞いて、予定はそれだけなんだよね」
「あぁ~、はぃ~そうです、けどぉ~」
-ちぇ、なんで辺土名さんがついてくるんだよ、神鈴さんとふたり、せっかく本島を飛び出したと思ったのに。
適当な返事の奥間を、神鈴が引き継ぐ。
「助教、あとですね、依頼主に会った後に、その現象が起こる場所も見に行きますよ?そんなに長居はできませんから、明日には依頼を完了して、明後日一番の便で帰りたいので」
「ああ、そうか、じゃあ神鈴くん、今日は何が食べたい?なんでも奢るぞ?」
「はいはい!辺土名顧問、神鈴さんはそんなに食べませんし、お酒も飲まないので、お酒なら僕がお付き合いします。さぁ、行きますよ!」
「おいおい、奥間くんには奢らないぞ?おいおい、待ちなよ奥間くん、おいおい」
「はいはい、分かりましたから、顧問は女性部員には優しく、男性部員には厳しいセクハラパワハラ顧問っと、はいはい」
「いやいや冗談だって、奥間くんにももちろん奢るよぉ、沖縄そばで、いい?」
漫才のようなふたりのやり取りを見ながら、神鈴は笑いを噛み殺している。
-まったく奥間は面白い。一緒にいて飽きないなぁ。ちなみに私は酒豪だけど。でも、辺土名さんはすごいんだよなぁ。私たちや漆間たちだけじゃなく、スズ子おばぁを一喝する人なんて初めて見た。すごいんだよなぁ。
辺土名秋徳、将来は准教授、教授と階段を昇るであろう35歳の助教授。
175cmほどの身長はそれほど高くもないが、痩せていても厚い胸板がスポーツ歴を窺わせ、短髪に黒縁メガネは清潔感と知性も感じさせる。そして何より、飄々とした普段の振る舞いからは想像も出来ない豪胆を秘めた男。
神鈴は知らず知らず、この大人の男性に惹かれていた。
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依頼者である建築会社の応接室で、神鈴たち3人はソファに座っている。その目の前に座るのは、この会社の、東江建設の社長、東江富雄だった。年齢は30代後半というところか、5年ほど前に先代社長から会社を引き継いでいる。
「え~、真鏡名神鈴さん。今回は依頼をお受けいただいてありがとうございます。えっと、お一人だと伺っておりましたが、こちらは?」
「ああ、失礼しました。私は琉球大学助教授の辺土名といいます。サークルの顧問をしておりますので、神鈴くんの活動を見る責務がありまして。そして、そちらは神鈴くんの助手の奥間です」
辺土名は名刺を東江の前に差し出し、奥間のことも紹介した。慌てて奥間も口を開く。
「あ、えっと!奥間といいます。運転とかは僕が助手としてやってますので、その・・」
「奥間は最近の神鈴くんの活動にはいつも同行しておりますから、ご依頼の案件に必要な人材だとご理解ください。私はあくまでサークル活動の視察という立場ですから、経費などのお話からは、私はお考えいただかなくて構いません、どうぞお気になさらず」
言い淀む奥間に代わって、辺土名が自分たちの立場を説明した。東江はそれを、承知した、という表情で頷き、依頼の内容を話し始めた。
「では、依頼の件ですが、まずこの業績表を見てください・・」
東江は準備していた簡単なグラフをテーブルに広げた。それを見ると、東江建設は戦後まもなく工務店として創業し、今日まで80年近く続いた建設会社であることが分かった。
与那国島という限られた範囲だから、その年商はそれほど多いものではないし、上下することもあるが、それでも平均した業績はずっと右肩上がりで伸びている。
「こんな風に、うちは何十年も小さいながら安定して経営してきたんですけどねぇ、ここ、ここを見てください」
東江が指差すところは、この5年ほどの業績グラフだった。
「えっと、伸びがありませんね。むしろ下がってるか。それまでの右肩上がりとは対照的です。しかしこれは、市場が飽和して、一時的に低下しているのでは?」
辺土名は見たとおりの感想を東江に投げてみた。
「いえ、辺土名さん、うちの業績が落ちたこの辺りから与那国島は建設ラッシュなんですよ。自衛隊が配備されて人口が増えて、基地建設はもちろん隊員や職員家族の住居、アパート、そして学校。道路やインフラもそう、そりゃすごいんですよ。よその会社はどんどん受注して業績を伸ばしてて」
「なるほど、それなのに、東江建設だけは伸びない。それどころか業績が下がっている」
「下がってるどころじゃないんです。よそは受注しているから、将来的なメンテナンスも受注する可能性が高い。でもうちは、そういうところにも食い込めない。もう、倒産するしかない瀬戸際なんです」
神鈴が初めて口を挟んだ。
「東江さん、申し訳ありませんが、それは会社の経営的な問題ではないですか?なぜ私に依頼をされたんです?」
「そうなんです。ただ業績が落ちてるだけなら、全て私の責任なんですけどねぇ・・」
東江の話では、小口の受注に成功しても、それすら上手くいかないのだと言う。天候不良による工程の遅延はもちろん、着工してみれば地下に掘れない岩盤が出てきたり、構造物が埋まっていたり、とにかく上手くいかない。ただ、そういったことは工事ではよくある話だし、運が悪いと言うことも出来た。
「だけど、どうにも説明できないことが起きるんだよ。それも何度も、続けてね。多いのは機材の不調だなぁ。今まで問題なく動いていた重機が故障する。それも原因不明、でも、現場から撤収すると動き出す。重機に限らず機材全部がそうだ。おかしいでしょ?それとね、作業員が怪我をするんだ。昔から使ってるちゃんとした職人連中がね、掘れば土が崩れて埋まる、高所に登れば落ちる、設備工事なら感電する、ぜ~んぶ入院するような怪我だ。もうさ、工程管理と安全管理の責任を問われて営業停止、なんてことも考えられるくらいだよ」
組んだ手を顎の下に置き、東江はため息交じりにそう語った。
「あ、いや、言葉尻が乱暴になりましたね。すみません、つい。それで、下請けとか何十年も付き合ってる工務店や塗装工とか、全部からね、こう言われてるんです」
東江は、もういちど深いため息をつく。
「あそこの仕事はもうしたくない。東江建設にはマジムンが憑いてるか、呪われてるんだ、って・・・全部、あの新しい社長のせいだ・・・って」
建設会社が工事を施工する場合、工程に応じて多くの下請けを使うことが普通だが、全ての工程において事故は御法度だ。工期が滞り、工期割れすれば最悪の場合違約金が発生する。
更にそれが人的被害を伴うものなら管理責任を問われる事態だ。当然施工主の信頼も失い、以後の入札参加や受注への影響も大きい。
「お話はよく分かりました。確かに公共事業なら施工主は官公庁ですからね、おっしゃるような状況ならかなり大変です。どうかな?神鈴くん、感触は」
辺土名がいることでビジネスの話は理解が早い。後は霊障や呪いのような類いのものか判断するだけだ。
「助教、これだけでは何とも言えないんですけど、ちょっと気になるところはあります。例えば建設機械、現場では動かないのに撤収すると動くんですよね。それは何らかの霊障が原因とも思えます」
そんな神鈴の言葉に、東江は前のめりになる。
「そうですか!で、私はどうすればいいですか!?」
「そうですねぇ、すぐに見てみましょう。機械がある現場は今、ありますか?」
「ああ!ありますあります、ではすぐに行きましょう!」
「はいはい!神鈴さん、オレ、車を準備しますね」
ここまで口を挟む機会がなかった奥間が、ここぞと立ち上がる。そして東江と神鈴たちは、事務所を後にした。
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時刻はすでに午後6時を回っている。夏の沖縄、しかも日の入りが日本で一番遅い与那国島とはいえ、日差しはかなり傾いていた。
東江はいくつかの現場に神鈴たちを案内した。それぞれ重機や発電機など、建築機械や機材が置かれていたが、やはり動かないものがあった。それらの故障は全て原因不明なのだという。そして最後に、東江は3人を自宅にある資材置き場に招いていた。
「じゃあ、最後はこの資材置き場です。ここに動かなくなった機械を置いてるんですよ。それに、ここに置くと、なぜか動かなかった機材が動くんで」
「なるほど、つまり、ここにある機材は動くんですね?」
「ええ、ほら」
東江は手近に置いてあったバックホウに近づき、乗り込んでエンジンを掛けた。轟音を上げ、バックホウが動き出す。すぐにエンジンを切った東江は、バックホウから降りた。
「ほら動くでしょ?でもね、これが現場だとウンともスンとも言わなくなるんですよ」
神鈴はその話を聞きながら、腕を組んで資材置き場を見渡す。
夕暮れのそこは、さながら機械の墓場だ。
「東江さん、あれは?」
神鈴が指差した先には、朽ちた機材が置いてある。
「ああ、あれはですね、大昔に使っていた建築機材です。今はもう動きません。いや、しっかり整備すれば分かりませんけどね、とにかく古い型式なんで、処分するにも費用が掛かりますからねぇ」
「そうなんですか。ふぅ~ん」
神鈴はそれらの動かない機材や重機に近づき、サビだらけのボディをポンポンと叩いた。
「いったい何台あるのかしら」
「え~、大小10台か20台は・・」
東江の言葉には応えず、神鈴はそれぞれのボディをポンポンと叩き、台数を数えていった。
「うん、17台ありました。さぁ、行きましょうか!」
神鈴がそう言って皆を振り返ると、その視線は一点に集中した。
皆がその視線に気付き、そちらを振り返る。
「あ、としこ、なんでここに?」
神鈴の視線の先に立っていたのは、東江富雄の妻、俊子だった。
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東江家のリビングで、美鈴たちは東江の話を聞いている。
「今日回った現場が4カ所、そして資材置き場ですね。どうでしたか?真鏡名さん」
神鈴は腕組みをして、難しい顔をしている。
「はい、まずこれは霊障でした。それはそうと、奥様のこと、お伺いしてもいいですか?」
「え!そうですか!やはり何かの霊が!・・・・え?俊子のこと、ですか?」
「はい、奥様のお話です」
「いや、うん、そうですか。真鏡名さん、やはりあなたは本物なんですねぇ」
しばしの沈黙の後、東江は意を決したように顔を上げ、3人に提案した。
「分かりました。俊子のことをお話しします。でもここでは俊子がいますので、居酒屋でもいかがですか?もちろん経費に入れますから。あ、辺土名さんの分も、もちろん」
その申し出を、3人に断る理由はなかった。
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東江が選んだのは、個室のある店だった。美鈴たちの目の前には、なぜかホッケが置かれ、刺し盛りにはサーモンや甘エビが多く盛られている。
「さぁどうぞ、今日は大将に頼んで特別に盛ってもらいましたから、どうぞどうぞ」
美鈴たちは顔を見合わせている。
-そうかぁ、那覇の居酒屋でもこんなことあるけど、与那国だと、もっとそうなんだなぁ。
与那国では、本土はもちろん沖縄本島や石垣島とも離れているため、サーモンや甘エビ、ホッケといった北の味覚が貴重だった。だから与那国で美味しいものと言うと、地元の人たちにこれらを勧められることもある。だが本当は、新鮮すぎる海の幸、カジキやマチ類、タマン、ガザミやヤシガニ、大振りの夜光貝などが本物の名物なのだ。地元の人たちはそれを分かっていなかったりする。
そして実は、那覇の居酒屋でもそういうことはある。事実、沖縄県民のサーモン愛はかなりなものだ。
「えっと、東江さん、僕が言うのも何ですけど、与那国島の地物って、どういうのがあるんですか?」
奥間がさりげなく注文を入れる。
「ああ、島の地物って、そうねぇ」
東江は首をかしげ、大将に声を掛けた。
「おう、大将!島のものってさぁ、今日はなんかあるね?」
「そうねぇ、ウミンチュが持ってきたカジキの頭があるさぁ、焼くか?ただでいいぞ」
思わず、3人の目が輝いた。
4人はこんがりと焼けたカジキの頭を真ん中に、ひとしきり話に花を咲かせている。
東江の心づくしの刺し盛りはやはり有り難いし、カジキの頭は旨い。ほどよく酒も入ったところで、神鈴が切り出した。
「東江さん、そろそろ奥様のお話、伺ってよろしいですか?」
「ああ、真鏡名さん、そうだねぇ、あんたのことは本当に信じられる。じゃ話そうね」
妻の話を語る東江の口元は、悲しげに震えている。
与那国島で生まれ、幼馴染みで同級生の東江と俊子が結婚したのは、ふたりが30歳になる年だった。始めは順調だった夫婦の暮らしは、最初に授かった子供を流産した4年目から暗転する。
「俺たちはこの島で生まれ育ってね、学校を出るのに島を出たことはあるけど、この島が大好きなのさ。だからここで子供を育てて、孫を抱いて死ぬ、それが俺たちの夢でもあったのさ。ささやかな夢だと思うんだけど、それがさ、あの流産から全て変わってさ」
俊子が流産した翌年から、東江建設の業績はじわじわと下がっていった。そのことを俊子は、自分のせいだ、と責めるようになったと言う。妻のせいではないといくら東江が言っても、俊子は聞かなかった。それどころか、東江にとっては信じられない、そして、とても人には言えないような事を言い出したらしい。
「俊子はさ、年々おかしくなっていったんだけどさ、あのときの言葉はさ、俺もちょっと受け入れられなかったさ」
東江は天井を見上げ、ふぅっと息を吐くと、気持ちを整理するように泡盛のグラスに口を付けた。
「俊子はね、自分の子供はさらわれたって言うんだよ。女が来て、自分のお腹から盗っていったんだって。そしてね、そいつは今もいて、いつも言うんだってさ」
東江は神鈴の目を見ながらその言葉を口にした。
「はやく入れ、入ったら、またもらう・・・って」
奥間は身震いしながら神鈴に話し掛けた。
「神鈴さん、これって、こっちの方がやばいんじゃないですか?オレ、鳥肌が止まらない」
「うん、そうだな。東江さん、もうひとつ、奥様なんですが、夕方お会いしたとき、すごい目で睨んでました。多分、奥間と辺土名さんのこと。なにか心当たりはありませんか?」
「ああ、それはねぇ、その女が憎んでるらしいんだ、男をね。特に島の外から来た男をものすごく憎んでる。それでね、俊子もそんな目つきで睨むんだよ。本当に、申し訳ないさ」
「なるほど、そういうことですか」
神鈴は少し俯き加減で何か思案すると、東江に向けて言った。
「明日、私と俊子さん、ふたりだけで話をさせてもらえませんか?午前中がいいです」
思わぬ申し出に、東江は驚いた表情だが、気持ちはすぐに決まった。
「そうですか、話してもらえますか!ありがとうね、真鏡名さん、ありがとうねぇ!」
-明日は大変。俊子さんの話を聞いて、それから・・・
神鈴は明日のことを考えながら、泡盛レモンサワーの大ジョッキを飲み干した。
その様子を、奥間は目を丸くして、辺土名は目を細めて見ていた。
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翌日、東江家のリビングにいるのは、東江俊子と神鈴の二人だけだった。
神鈴はさりげない話題から入ることはせず、最初から俊子の生い立ちや東江との思い出、結婚に至る年月のことを聞いていた。
最初のうち定まらなかった俊子の視線は、時間が過ぎるほどに光を帯び、夢中になって楽しかった日々を語り尽くす。だが、初めての子供を授かった頃の話になって、俊子の口調は重くなり、時折涙を流している。
神鈴は無理に話を聞こうとせず、キッチンに立ってコーヒーを淹れてきた。
「俊子さん、ほら、俊子さんはコーヒーが好きなのね、いろんな豆が置いてあったけど、一番減ってるのを使わせてもらったわ。さ、一緒に飲みましょ?」
コーヒーをふたつテーブルに置き、俊子の隣に座った神鈴は、俊子の背中を優しくさすった。
「ああ、ありがとう、神鈴さん。ああ、おいしい」
「それじゃ、俊子さん、あなたには何が見えるのか、ぜんぶ私に教えてもらえないかしら」
俊子は神鈴の目を見つめ、頬を震わせながら語り出した。
「神鈴さん、こんなこと富雄さん以外、誰にも言ったことはないの。でもね、いるのよ、今も。今は神鈴さんがいるから黙ってるけど、私がひとりになるとすぐに寄ってきて言うのよ。こども、赤ちゃん、こどもが欲しい、ほしいって。ほら!そこにいるわよ!あの女、絣の着物を着て、見てる、みてるぅ!こども、こどもを盗るってええええ!!」
俊子は涙ながらに神鈴に訴える。神鈴は俊子の肩を抱き、その訴えを否定も肯定もしない。ただ、そうねぇ、ほんとねぇ、たいへんだったねぇ、と言うだけだ。
しばらくの間、俊子は取り乱した様子だったが、急に黙ってしまった。その間も、神鈴は優しく背中をさする。
数分そうしていただろうか、俊子は、はっとしたように顔を上げ、リビングを見渡し、そして神鈴の顔を見た。
「あれ?神鈴さん?私、どうしちゃったんだろ、なんにもいないし、なんにも聞こえない」
何かが落ちたような俊子の顔に、神鈴は微笑みかけた。
「ふふふ、おかしいことなんてありませんでしたよ?俊子さんのせいじゃない、ぜ~んぶあの女のせい。でもね、私が追い出しちゃったから、もうこのお家には入れない」
神鈴は俊子の隣に座りながら、取り憑いていた女の霊を祓っていた。
「でもね、ここには入れないけど、まだいるの。私がちゃんと祓ってくるから、安心してね」
俊子の瞳はみるみる潤み、神鈴の胸に顔をうずめて泣いた。
辛い年月は、涙と共に流れた。
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その日の夕方、神鈴と辺土名、そして奥間は、与那国の集落のそばにある駐車場に車を停め、草むらを掻き分けながら歩いていた。
「神鈴さん、俊子さんは大丈夫だったんですよねぇ、それで、なんでこんなとこに来るんですか?なんかオレ、気味が悪いんですけど」
「ああ、奥間くんもか、私もね、なんだろう、空気がビリビリしてるみたいな、鳥肌が立ってるみたいだよ。なんなんだい?ここは」
「ふたりとも、人頭税って聞いたことありますよね。昔、琉球王府が周辺の離島に課したという厳しい税制」
「ああ、もちろんだよ。子供の背丈ほどの岩の柱を建てて、子供の背丈がそれを超えたら一律に税金を課す、というものだ」
「あ、オレも、知ってますよ!聞いたこと、あります」
淀みなく応える辺土名に対し、奥間はオロオロとそう言うのが精一杯だ。
「ここはその、人頭税にまつわる悲しい話が伝わる場所、クブラバリです」
クブラバリ、そこは広いところで幅が5m、狭いところでも3m近くある岩の割れ目だ。
昔、厳しい人頭税に苦しめられた与那国島民は、人減らしのため、産まれる子供を減らすことを決めた。子供を産めないようにする、そのための残酷な方法が、この岩の割れ目を妊婦に飛ばせる、というものだ。
割れ目を飛び越えることに成功した妊婦は産むことを許される。だが、成功したとしても流産する可能性は高まる。そして飛べなかった妊婦は、深い割れ目に落ちる。割れ目の中で息絶える妊婦もいたという。
「そんな残酷な・・・本当にそんなことがあったんですか?ここで?」
目に涙を溜めて、奥間が呟いた。
「うん、残酷だ。人頭税は実際にあった制度だし、ここ与那国でも苦しんだろう。だがね、クブラバリの伝承が事実かどうか、それは分からない。重税に対する島民の抵抗の証、と言えるかも知れないね」
辺土名は冷静な顔つきでそう言う。
「ええ、何百年も前の話です。助教のおっしゃるとおりかも知れません。でも今日まで伝承されているということは、それに近いことがあったかもしれません。ほら、今も何体もの霊が私たちを囲んでいます。いえ、助教と奥間くん、ふたりを囲んでいますね」
「え?オレと顧問を囲んでるんですか?なんで?」
「むぅ、神鈴くん、私らに霊能が無いからと言って、からかっちゃいかんなぁ」
「でも助教も奥間も、鳥肌が止まらないでしょ?」
神鈴の言うとおりだった。辺土名と奥間は、ここに足を踏み入れた直後から、鳥肌と悪寒が止まらない。
「ここに、俊子さんに憑いていた女の霊もいます。それが一番強い。でも周りにいる霊もかなりの霊圧です。これはちょっと、見誤ったかもしれません」
そう言って霊を見渡す美鈴の目に、信じられない光景が広がった。
「っ!これはちょっと、まずいか」
神鈴の目は、クブラバリの割れ目から這い出してくる数十体の霊を捉えていた。女の霊たちはゆらゆらと揺れながら辺土名と奥間に近づき、口々に何かを呟いている。
-おとこ、おとこ・・・
-おら、そこにおとこがおる、ふたりおる・・
-おとこがなぁ、おれのこどもをなぁ・・
-うばいよった
-さらいよった
-殺しよった
-ころしよった
-おれも、おれのことも、おとこがよぉ
-ころしよったなぁぁぁぁああ!!
数十体もいる霊たちは、その霊圧を上げ、それぞれの霊気が混ざりあった。それはまるで、ひとつの巨大な幽霊の呈を成す。
「奥間、辺土名さん、私の後ろに下がって!私はあなどった。これはすぐには祓えない!」
「分かった!神鈴くんの後ろでいいんだな!」
叫ぶ神鈴に辺土名は即座に応える。
「はい!決して前に出ないで!これは女の霊の集合体、男を、辺土名さんと奥間を狙ってます!」
その瞬間、神鈴は我が目を疑った。強烈な霊圧が吹き付ける中、神鈴の前に立ち塞がる奥間の背中が見えたのだ。
「奥間、ダメだぞ!こいつは人の霊気を吸おうとしていない!この霊は男を、殺そうとしているんだ!」
「あ、あああ、神鈴さん、あああああ、や、やばいかもしれないでぇすぅ。でも、風樹館ほどでは、ありまへぇぇんんん~、今のぉぉおお、今のうちぃにぃぃいい」
奥間の口はだらしなく開き、喋る事もままならない。開いた両腕は痙攣し、両足はがくがくと震えている。
神鈴は呆れた。霊能も無く、すでに霊障を受けている奥間。
「バカ!何が今のうちにだ、おまえが危ないんだって言ってるのに、この、バカ勇二!!」
神鈴を振り返り、奥間が声を振り絞った。
「だってぇええ、神鈴さんにぃぃぃいいい、なんかぁ・・・あったら・・」
最後まで聞かず、神鈴は奥間のシャツを掴んで引き寄せた。
「辺土名さん、お願い!」
奥間を霊気で包むと、神鈴は辺土名に向かって奥間を突き飛ばした。
「おお!まかせろ」
辺土名が神鈴の後ろで奥間を受け止める。
-よし、やるわ。今は集合しているけど、霊の数は数十・・・28体か。
神鈴は両手に印を結び、その手を広げて空を見上げた。目を瞑り、まじないを唱え、天と絆を結ぶ。
天から神鈴に向かって光の道が降りてくる。緑色に輝く神鈴の霊気と、天の道が交わった。
-来た。来たわ。
神鈴は目を開き、目前の霊体に向かって霊気を広げる。それはクブラバリを包むほどに大きい。巨大な霊の集合体は、クブラバリごと神鈴の霊気に包み込まれる。
何者をも癒やす緑色の神鈴の霊気。それに包まれた霊の集合体は見る間にほどけ、ひとりひとり女の霊に戻った。
女の霊たちは憎しみの対象を失い、クブラバリの周りに佇むしかない。
その霊たちに、神鈴が言霊を放った。
「あなたたちの赤ちゃんは、この子たち?」
一瞬の後、神鈴が繋いだ天の道を通って、赤子がひとり、またひとりと姿を現す。
見る間に、28人の赤子が緑色に輝く空間に浮かんだ。
「あああぉぉぉおおおお、あああ、あれ・・あれはぁああ」
「ううぅあああ、あああ、あれは、わたしの・・」
「ああああ、わたしの、わたしの・・・赤ちゃん」
神鈴は、女たち全員の子供を降霊したのだ。
女たちはみな、それぞれの赤子を抱きしめる。涙を流すもの、笑顔をみせるもの、それぞれがそれぞれの思いのまま、赤子を抱きしめる。
憎しみと哀しみに塗れていた女たちの顔は、慈愛に満ちた母の顔に変わる。
そしてひとりずつ、女たちは消えていった。
最後のひとりが消えたとき、神鈴は辺土名と奥間を振り返って言った。
「ぜんぶ終ったよ、辺土名さん、勇二」
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翌日の昼前、与那国空港に、神鈴たち3人と東江富雄、俊子夫妻の姿があった。
「真鏡名さん、俊子がね、こんな一日で、たった一日でこんなに元気になって、元に戻って、俺は嬉しくて嬉しくてねぇ、あなたに依頼して良かった、本当に良かった!」
東江は涙声で神鈴に感謝する。その横では、生き生きとした表情で俊子が笑っている。
「あなた!周りに人がいるのに!それに終わりじゃないでしょ。私たちは神鈴さんたちにご恩があるの。これからバリバリ働かんと!」
「あ、ああ、そうだね、俊子。これからバリバリ働いて・・・あ、そうだ」
東江がなにか思い出したように声を上げた。
「真鏡名さん、そう言えば現場のあれ、霊障って言ってたでしょ?あれは何もしてないんじゃ、今のままだと東江建設は、つぶれちゃう・・」
「ああ、あれですか。あれはとっくに終ってますよ?」
「ええ?いつの間に?」
「あの、資材置き場の古い機械たち、あの霊障は、あの子たちが付喪神になって起こしていたんです。だから言ってあげたんですよ。まだ動く子は、社長がちゃんとしてくれるよ、動かない子も、社長がちゃんとしてくれるから、って」
「あの資材置き場の機械たちが、付喪神?・・ああ、そうか。俺が、社長の俺が、ちゃんとしてやれば良かったのか・・」
東江の目から、また涙がこぼれた。俊子が夫の肩を抱く。そこに神鈴が近づき、俊子に耳打ちした。
「あのね俊子さん、こどもが出来るよ?そうねぇ、来年の夏の初めには産まれるよ?」
俊子の目が、ぱっと輝いた。
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神鈴たち3人は、搭乗待合室のベンチに座っていた。
「あの、神鈴さん、さっき俊子さんに何を言ったんですか?」
奥間が神鈴に尋ねる。神鈴は意味ありげな視線を奥間に送った。
「それはね、ちょっと男には言えない、かなぁ。そうねぇ、占いみたいなものよ」
「へぇ、占い。それに東江さんの家で俊子さんとふたりで話してたでしょ?4時間くらいかなぁ、あの後、もう俊子さんは元気だったでしょ?あのときは?」
「うん、俊子さんには女の霊が憑いてた。それはすぐ分かったんだけど、俊子さんの不調は霊障だけじゃなかったのよ。そうねぇ、流産して、会社が傾いて、そういうストレスがすごくて、鬱病みたいになっちゃったのね。そこに霊が憑いた。だからね・・」
神鈴は俊子の心をほぐすため、俊子が話すことを全て受け止めた。そして心を開こうとする俊子に問い掛けたのは、そんなときに考えたり、経験したりすることだ。
「例えばね、当時見た悪い夢のこととか、つい考えてしまうこと、してしまったことを聞いて、その後、悪夢を見てこう思いましたね、とか、その考えは結局こうなりましたね、そうしたらご主人はこう言ったでしょ?って、俊子さんにとっては占いみたいなものね。それで俊子さん、私のことを信じてくれたの」
占いみたいなもの、それを聞いた奥間の目が、キラリと光った。
「うらない!いいですね、今度の学祭でやりましょうよ!神鈴の館!占いの館!!」
「えっ?いやよ!なに言ってるのよ!バカなの?勇二、バカなんでしょ!それと、もう敬語いいから、勇二の方が年上じゃない、神鈴って呼び捨てにすれば!?」
「え?いいの?ほんと?怒らない?ま、せんか?」
「もうっ!ばか!!」
奥間勇二、今風の大学生と言えばこんな感じ、という風貌。身長は170cmほど、趣味はゲームだがビーチパーティーも大好き。学業はほどほどで、世の中のことも知らないことだらけのようだが、今はなんでも知りたいと勉強中。何がそうさせたのかよく分からないが、とにかく一緒にいて面白いだけ、という平凡な男。
-でも、そこがいいんだろうなぁ、神鈴くんみたいに特別な女性には。
じゃれ合っているように見えるふたりを眺めながら、辺土名はそう思っていた。そして思わず、ふふふ、と声が漏れる。
「ん?どうしたんですか?顧問、なんか変な笑い~おっかしいなぁ~」
含み笑いを聞きつけた奥間が辺土名をつつく。
「全くねぇ、顧問を顧問とも思わないその態度、まぁ、そこがいいんだろうなぁって、思ってね」
「え?なんのことです?」
「いや、これだけは言っとくか。まぁお似合いだよなぁってさ、でな?僕がもう少し若ければなぁ~、なんてな!」
「なんです?それ、どういう意味ですか?オレ、なんも分かんないんですけど」
「まったく君は・・・じゃ、神鈴くんに聞いてみればいいだろ?」
「へ?神鈴・・・さん、じゃない、神鈴に?」
奥間が神鈴を振り向くと、その瞬間、神鈴はあらぬ方向に顔を向けた。
「どうしたの?神鈴、なんであっち向いてんの?ねぇ、神鈴ってば」
「うるさい!ばか勇二!!」
神鈴は結局、奥間と口をきいてはくれなかった。
那覇空港に着くまで。
逢魔の子 神鈴の恋 了