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気力

自分がお笑いを目指したきっかけもモチベーションも
結局は会いたいというだけの煩悩であった。
そもそもウケたら快感だという感覚がまるでない
小学校のお楽しみ会とパフォーマンスクラブ(歌やらダンスやら演劇やら各々自由なことをしていいほぼ無法地帯のクラブ活動に所属していた)
でネタをした事があって
クラスでは漫才を声かけたらしてくれた男子と
クラブでは一人でコントをした(今考えてもよくやったなと思う。
普段おとなしいのに一人でしかもお笑いやろうとしていたので先生もびっくりしていた)
どっちも体感っていうか聞こえた音で爆笑していたと思う、
内輪ノリも多少はあるのかもしれないけど人脈や友達関係が薄っぺらかった
あの時にしてはウケてたほうだと思う。
クラブのリハに至っては後に集団で10人くらいでどぶろっくとかを真似したコントをするキラキラチームがいたが、私のとのクオリティが違いすぎて
直前にそのチームが講義しに行って出順交代で私の発表が後に回されるという事も起きた。
しかし、その事実自体は嬉しいのだが、緊張のせいか誰かが爆笑してもこんなもんかって感じがして終わった。
きっとお笑いのあるべき姿、一般的な情熱を私は持ち合わせていなかった。
誰かのためにお笑いやろうと思えたことがなかったし、
飽きたりしたらそこでフェードアウトしていくものだと思ってた。

そんな考えを変える出来事があった。
今年私は人権委員になって二学期までの半年以上を共にした
小学校が同じで頭が良くて優しくてしっかりした女の子が言ってきたことで
「そういえば芸人目指しとってクラブでコントしてたよね、
あれ見に行ったんだけどめっちゃ面白くて
弟も見に行ってたんやけど面白い人がいたって家族でもたまに話すんだ。
芸人になる夢ってまだ変わってないんだね。」
この言葉が嬉しかった。
小4で芸人目指し始めてからの5年間私は何もできてない気がしてた。
大好きだったドラえもんも漫画も全部願掛けのつもりで捨てて
自分が得意だったことを殺してしまった
誰かを気にすることもないが後ろめたさとか後悔が重くのしかかり
なにか好きになることも続かず
お笑いが光じゃなくて重荷であることも認めたくなくて
ここまで時間が立ってしまったのだと思ってた。
しかし実際私には誰かを喜ばせたいという感情があった
誰かを喜ばせる自分があってほしかったのだと思う。
なかなかの愚か者であるかもしれない
しかし結局は全部自分のためであるがそれでもお笑いを離さなかったのは
また何か理由もあるのだろう。
それが今のお笑いの活力であるといえる。

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