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ソウルフル・ワールド

ディズニープラスで映画『ソウルフル・ワールド』を見ました。前にも一度見たのですが、当時はあまり刺さらず。noteでこの映画について書かれている方がいて、久しぶりに見てみたくなったのです。

https://www.disney.co.jp/movie/soulfulworld

ざっくりとあらすじ

プロのジャズピアニストになることを夢見るジョーは、夢が叶うチャンスを手にした日にマンホールに落ちて魂ーソウルの世界に迷い込んでしまいます。そこで夢ややりたいことを見つけられずに何百年も生まれることを拒否しているソウル・22番と出会います。
夢を叶えることが人生のすべて、生きる意味だと信じるジョーと、生きることに意味を見つけられず「生まれる価値なんてない」とこじらせている22番。この二人の関わりの中で、夢が叶うことが人生で最も大切なことではない。日常の一瞬一瞬が素晴らしいと気づくストーリーでした。

人それぞれ心が躍るもの(好きとか得意とか、劇中ではきらめき)があるけど、それは生きる意味(使命とか運命のようなもの)ではない。
生きることに意味や目的を求めるなんてナンセンス。生きること自体が幸せに満ち溢れている。というような内容だと感じました。

わかるんだけど、心にひっかかる何か

感想としては「うん、そうだよね。わかってる…」と思いました。
何か釈然としない。この釈然としない“何か”がなかなか掴めませんでした。
そして実は1週間ほど下書きを繰り返しました。

ジョーが生きることの素晴らしさに気づく場面では、彼の記憶の中にあるキラキラした気持ち(きらめき)がふぁ〜っとよみがえります。
そこで私も自分の心にしまってあったきらめきを感じた瞬間を思い出してみることにしました。

海上がりのシャワーの気持ちよさ、新雪を滑るふわりとした気持ち、思い立って新幹線に飛び乗る高揚感…。
確かに私にもきらめきはありました。でも、そのどれもが今の私にとっては不安を伴ったことになっていました。ふわっと心が動くものが、灰色になってしまった。
ケーキを選んだり、新しいお店を開拓したり、そんな時もワクワクがあったはずなのに、今はピントが合わない。決められないし、しんどいことになってしまった。

きらめきを思い出したジョーに対して、「生きること自体が幸せに溢れている」と頭ではわかっているのにきらめきの感覚を取り戻せない私。
そんな簡単にきらめきの感覚って取り戻せない。
ここがこの作品を純粋に受け入れられない“何か”だったのです。

鈍った感覚でも幸せを感じていたい

先日のnoteにも「今が幸せだと思える」と書きました。矛盾していますよね。日々の小さなこと、旬の野菜が美味しい、空が青い、風が気持ちいい、そんなことを意識的に積み重ねて、これって幸せだよね、私は大丈夫だよねと頭を使って確認作業をしている感じだったんだと気づきました。

灰色の空を見ると不安になるのは彩りが無くなってしまったような錯覚を起こすから。快晴より雲があって欲しいのは時間の流れを感じられるから。鈍ってしまった感覚だとしても動作確認せずにはいられないのです。

迷子のソウル

ソウルフル・ワールドに話を戻すと、やっぱりスルーできないのは「迷子のソウル」です。生きたままでソウルの世界に迷い込んだ存在として描かれています。地上では精神を病んだ状態の人のようです。この「迷子のソウル」を救い出してくれる人たちも登場します。救出された「迷子のソウル」が肉体に戻ると一気に元気になるのですが、あれいいな〜と思って見てました。あんな簡単に元気になれる方法があればいいのに!

やっぱり幸せに目を向けて生きる

私も相当こじらせていると感じさせてくれた作品でした。私は生まれ変わったと思うことにしているけど、元気な頃の自分をいまだに好きなんだな、と実感しました。そして比べちゃってるなぁ〜とも。
かっこ悪いけど「幸せだ!」と言ってる奴ほど虚勢を張っているみたいなことですよね。
本当は不安だらけで「つらいよー助けてー」と思ってる。でも言葉にしてしまったらいつまでもその状況から抜け出せない気もするし、幸せなところに着目して生きていたいと改めて思いました。

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