認知症=病気ではない、たった一つの理由
認知症は、病気ではない
「認知症は病気である。だから、早く見つけて早く治療をしましょう!」
というフレーズ、見たことがありますよね。 このフレーズには2つの問題点があります。
1:早期治療が難しいということ
まず認知症を疑ったら病院へ、は間違っていません。認知症の状態を生む病気は多数あるからです。アルツハイマー型認知症だけでなく、甲状腺疾患、脳腫瘍、水頭症・・・などなど。治る病気ももちろんあるわけですから「何かおかしいぞ?」と思ったらまず病院と相談した方が良いことは間違いありません。
ただ、アルツハイマー型認知症と診断されたらどうでしょうか。治療薬は現在4種類ありますが、どれも「認知症を治す」ための薬ではなく「認知症を進行させないようにできるかもしれない」という薬です。そのため、本人や周囲の理解がないのに無闇に「認知症だ」とレッテルを貼られてしまうと、その後の生活が制限されてしまったり、家で暮らせなくなったり、将来に絶望してしまったり・・・ そんなことになってしまう方がいらっしゃいます。
「早期診断」が「早期絶望」になるような社会なら、早期診断したくないですよね。
2:認知症の問題を全て医療に託してしまうこと
病気=医者が治療をするもの、と概念的に理解してしまいがちです。例えば高血圧、糖尿病、喘息、、、 周囲がどうこうより、まずは病院にいって治療をした方が良いですよね。おなじように認知症もとにかく周囲がどうこうよりも「病気なんだから、病院で治療をしてもらって」と距離を置かれてしまう原因となってしまいます。
実は、認知症は「病気ではない」んです。理由も何も、そういう定義なんです。
えっ、認知症って病気でしょ?病気じゃないっていうことはどういうこと?
認知症は病気ではなく、状態のこと
スライドはかなり単純化されていますけど、日本神経学会の認知症疾患診療ガイドラインにも、病気ではなく状態であるとのことが記されています。
つまり、病気により認知機能低下があり、かつ「日常社会生活に支障をきたす」状態で 認知症と診断されます。
日常社会生活に支障というのは、社会の在り方によって変わると思いませんか?
まず「脳の障害により認知機能が低下する」にはさまざまな原因があります。
それに対して、日常社会生活に支障・・とは ゴミ捨て、お金の管理、食事など
こうなってくれば、間違いなく認知症の状態ですね。
これは、社会の在り方によっても変わることがあります。
例えば、郵便局でお金をおろそうとしたところ。
受付で、丁寧に対応をしてもらえればちゃんとできていたのに、ある時郵便局が地域から撤退し、ATMだけになってしまったら・・
お金をおろせないなら、食事も取れないし、日常のこともできなくなる・・・じゃあ、もう家にはいられないよね。施設を準備したんで、施設に入ってね。
この排除の流れは「人権」について考えさせられます。
今までは家で住めていたのに、郵便局が変わったことにより家に住めなくなる・・・
認知機能低下については、なかなか対応が難しい病気がほとんどです。
そして、認知症治療薬を使用して「病気が治る」かというと、それも難しい。でも、
日常社会生活に支障・・については、対応可能なんじゃないでしょうか?
例えば、認知症と診断されたあるおばあちゃん。ゴミ捨て場が近くだったから、どうにか捨てることができていましたがー
地域に人が住まなくなり、ゴミ捨て場を遠くにまとめられてしまいました。遠くのゴミ捨て場は距離もあるし、怖い横断歩道を渡らないといけません。
そうやって、ゴミが捨てれなくなったこのおばあちゃん。家はどうなったでしょうか?
「認知機能低下」と「日常社会生活に支障がある」ので、誰がどう見ても認知症の状態です。
このゴミステーションの移動をどうにかできればよかったんじゃないか?周囲のサポートはどうだったんでしょう。また、鹿児島市には「まごころ収集サービス」というのものがあり、自宅までゴミを取りに来てくれるサービスもあります。
つまり、社会のあり方により「認知症」になったり、「認知症」出なくなったりするということ。
あなたの住む街ではどうですか?
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