42歳無職が生まれるまで②順風満帆
B社に入社して最初に感じた違和感は、社内における広報の立ち位置だった。そしてその違和感こそが、最後に私を苦しめることになるのだが、それは後の話。
この会社ではメディア露出の本数に非常に重きを置いており、明確に年間●本、1本につき●分以上の全国テレビ放送を広報のノルマとして課していた。広報活動は雑誌やラジオ、SNS、他社とのコラボレーションなども含め多岐に渡るが、B社では全国のテレビ放送への露出本数のみを評価基準として重視する姿勢をとっていた。
私が入ったときに既に先にいた先輩は入社して約半年たったばかりということだったが、早くもそのノルマを達成するよう、かなりのプレッシャーをかけられている状態だった。
私は入社直後からその先輩を出し抜いて活躍するよう、他チームの先輩から大層丁寧に扱ってもらった。言葉を選ばずにいうと、ちやほやされていた。はっきりとその先輩は虐げられていたし、無能扱いされていた。愚かにもその状況を私は幸運ととらえ、その先輩とのコミュニケーションを避け、可愛げのある後輩を演じ、早く周囲と馴染めるよう結果を出すことを急いだ。
その後いきなりプレスリリースを書かせてもらうことができ、滞りなく配信まで進められたことで、非常に良いスタートダッシュが切れたと感じられた。その後も短い期間の中で与えられた仕事を無難にこなし、大きな失敗もなく試用期間の3か月が経ち、部長からも問題なくオンボーディングできていると評価され、私はここで広報としてやっていくんだ、と改めて実感を得ていた。
仕事自体は激務だったが、やりがいにあふれていたと思う。
帰り道の街灯は煌めいて見えたし、行きの電車の中でも、もっともっとB社で通用するようにと必要な勉強をした。
人間関係も問題なく、仕事も楽しく、給料も増えた。
本当に良い転職ができた、と心から思っていた。
このわずか3ヶ月後、私は休職届を出すことになる。