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『そして、僕はOEDを読んだ』を読んだ

骨をつかんだ原始人が、相手に殴りかかる。人類がはじめて使った道具は暴力のためだった・・・という『2001年宇宙の旅』の冒頭にならえば、辞書をつかんだ幼稚園人は、うんこちんこを引く。はじめて使った辞書は、下ネタのためだった・・・。
誰しも経験があるだろうこの行為は(いや言いすぎました)、しかしやがて成長し、正しく必要な語彙を調べるように、進化を遂げていくものだ。

ではその進化が行きつき、スターチャイルドと化した人類がいたとしたら・・・?

この本は、幼少期からひたすら読書に耽溺し、長じて辞書コレクター(正確には”語彙”コレクター)となった著者が、2006~2007年の1年をかけてOED=オックスフォード英語辞典、全20巻2万1730ページを読み通した記録である。

辞書はもちろん「引く」「調べる」ものであって、「通読」するものではない。かつて日本でも『新解さんの謎』と題し、『新明解国語辞典』が赤瀬川原平氏によって「発見」されたことはあった。そのあまりに「新解さん」と呼ばずにおれないような主観的で実感ある偏向した語義説明は、「辞書読み比べブーム」を一部で巻き起こした(らしい)。
しかしなお最初から最後まで読む猛者はいない。たとえ辞書を編纂している者の中でも。
(辞書学会に参加して尊敬する辞書編纂者に企画を話し、ちょっと引かれる場面(p.213~)は物悲しい)

OEDは「英語彙」のすべてを収めようとした書物だ。すべての見出し語は過去の文書へさかのぼり、用例を引用される。現在の意味から、数十年前の意味、そして数百年~千年前の初出、と文字で記録された最古の場所までさかのぼり、その一単語のプロフィール
(=横顔、という意味だが、もはや足の裏や十二指腸も見るのがOEDである)をつまびらかにしていく。

ゆえに先の全長となり、「S」だけで実に4巻が割かれ、「set」などそれだけで25ページ! わかりきった単語ほど微妙な差異があり、語義の分類は枝葉におよぶ。setの説明部など著者は2度挫折し、読み切ったころには吐き気しか感じるものはなかったという。
(なにも苦行としてやっているわけではないのだが)

章は前書きののちA~Zに分かれ、各章にエッセイと、その項目で目に留まった興味深い・・・そして現在ほぼ誰にも使われていない/そのことが惜しい/あるいは至極当然であるという・・・単語をコメント付きで紹介。
たとえば。

Acnestis(名詞)動物の肩から腰にかけての部分で、かこうと思っても手が届かないところ
OEDを読み始めてすぐにこの単語に出会えたことを非常に光栄に思う。名前なんて絶対にないと思っていたものを表す単語が実在していたことを知るのは、言い知れぬ喜びであり、俄然、辞書を読むという発想自体は、全く道理に外れたものではないと思わせてくれた。(p.19,20)

Pandiculation(名詞)疲れた時や朝起きた時に、「あーっ」と手足を伸ばす行為

誰もがやっているのに、誰もその行為を何と呼ぶのか知らない。(p.192)

Unbepissed(形容詞)尿がかけられていない、尿で濡れていない
一体全体どのような場面で、どのような目的で、こんな単語が必要だったのだろうか。ある時、尿がかけられたものの数が異常に増えて、その緊急措置として、かけられていないものと区別する必要があったとでも言うのだろうか。(p.257)

6年前にヒットした『翻訳できない世界のことば』(エラ・フランシス・サンダース著、前田まゆみ訳)は、世界各国の環境・文化から生まれた語彙=世界の切り取り方、を素敵なイラストとともに紹介してくれた。

それを対比すると明らかだが、本書はひたすら書物の森・海をさまよう。密室的、「タモリ倶楽部」的に。

しかしそこにこそ世界はある。かつて誰かが、世界のなかで、ある現象を「ひと単語で」表そうと思ったこと。説明文では足りない・・・一言でこの存在をこの世に降ろそう。その営みの証拠をOEDは拾い集める。それは言葉が本来持つ呪術の集積かもしれない。

などと、そんなことは思わなくてもいいが、

著者の(他人からは愚行だとちゃんと認識した)シニカルな口調も心地いい、奇書
その後、2度目の挑戦も成功したのか追記を入れ、ぜび文庫化してほしい。


(田村幸誠 訳、2010年12月、三省堂)
(原著 Reading the OED: one man, one year, 21,730 pages、by Ammon Shea、2008)








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