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カーテン越しの声

その日私は職場を飛び出した。

私は大きな百貨店のアパレルショップで働いていた。
しかし、接客、職場の人間関係、裏方業務、全てが上手くいっていなかった。
お客様とトラブルを起こしたり、業務をいつまで経っても覚えられなかったりと、他のスタッフからの信頼はとうに地に落ちていた。
そしてある時から私は少しずつ狂い始めた。
本当にすこしずつ、でも確実に。
他のスタッフからの指示の意味が分からなくなったり、伝えたいことが上手く伝えられなくなったり、頭が上手く回らず、百貨店自体が閉まるまで泣きながら日報を書いていた日もあった。
私は自身の症状に心当たりがあった。
うつ病だ。

休みの日に予約をとって精神科を受診した。
やはりうつ病、そして重度の注意欠陥・多動性障害だと言い渡された。
私は震える手で上司に退職届けを渡した。
しかし小さなショップではあったが、当時スタッフは私を含めて三人。
到底すぐに辞められるわけはなかった。

そんなある日、エリアマネージャーがヘルプで来ていた。
私はその日も頭が回らず、ミスを連発してしまい、エリアマネージャーに呼び出された。
エリアマネージャーはひとしきり私にミスの注意喚起を行うと「でもまぁ、こんなこと言ったらまた病んじゃうよねぇ。」と言った。

私は頭が真っ白になり、気がついたら百貨店の出口へと走り出していた。
「えっ!ちょっと!」後方からエリアマネージャーの声がしたが振り返らずにそのままエスカレーターを走りおりる。
百貨店を出て人混みの中をむやみやたらに走り抜ける。
気がつくと私の顔は汗と涙でぐちゃぐちゃになっていた。
私は走り疲れてその場でうずくまった。
「病んじゃうよねぇ。」
そんな軽い言葉で自分の状況を言い表されたことに激しい怒りと絶望を感じた。

「大丈夫ですか?」

人混みの中うずくまっている私を見て、体調が悪いとでも思ったのだろう。
スーツ姿の男性が声をかけてくれた。
私は近くのベンチに促され、スーツの男性と一緒に腰掛ける。
「飲み物でも買ってきましょうか?」と言う男性にそこまでしてもらうのは、と丁重にお断りした。
私は息を整え、汗と涙を拭い、男性に「もう大丈夫です。ありがとうございました。」と伝えた。
男性は心配そうにしながらも、その場を立ち去る。
しかし実際何も大丈夫ではなかった。
携帯以外の持ち物、例えば家の鍵などは全てスタッフルームのカバンの中だ。
このままでは今夜の私は野宿することになってしまう。
取りに戻る…ことはさすがに出来なかった。
恐ろしかった。あんなことを言う人が。

結局荷物は近くに勤めていた友人にお願いして取りに行ってもらうことになった。
友人の仕事は夕方には終わるので、一、二時間私はベンチで道行く人を眺めることにした。

午後六時頃、友人は私の荷物を持って集合場所まで来てくれた。
エリアマネージャーの様子を聞くと、呆れた顔で「社会人としてあれはねぇ。」というようなこと言っていたらしい。
自分でもそう思う。
しかし、あれは私の最後の防衛本能だったのだと思う。
これ以上ダメージを喰らえば私は完全に壊れてしまうということが直感で体を動かしたのだ。
友人と喫茶店に入り、近況を報告した。
友人は心配そうに「一度実家に戻ったら?」と提案してくれた。

そして一ヶ月後、私は一人暮らしをしていた家を引き払い大きな荷物を抱えて地元へのバスに乗っていた。

そもそも都会に出たのは、母との関係性があまり良くなかった為だった。
逃げるように実家を出て、逃げるように実家に帰る。
情けなくて涙が出た。
職場で言われた言葉もあいまい、私の泣き声は嗚咽に近くなっていった。
そんな時、バスのカーテン越しに小さく「大丈夫ですか?」という青年の声がした。
私はしまった、他の人の迷惑になっていると思い「すみません、大丈夫です。」と鼻をすすりながら答えた。
青年は「あの、もし本で感動してとかならいいんですけど、悩み事とかなら良ければ聞きましょうか…?」と控えめに訊ねてきた。

私たちはバスの中で小さな声でカーテン越しにぽつぽつと話をした。
うつ病で仕事が上手くいかなくなったこと。エリアマネージャーの心ない一言に逃げ出したこと。逃げるように地元に帰ること。
青年は静かに私の話を聞いてくれた。

そして青年は「辞められて良かったですね。」と一言祝福の言葉をくれた。

私は自身が仕事に耐えられなかったことを悔いていたので、その言葉は胸の奥まで温かく染み込んだ。

そして泣き疲れて話つかれた私は、終点の地元の駅で運転手に起こされた。
どうやらいつの間にか眠ってしまったようだ。
最後まで彼の顔は見れなかった。きちんと、お礼をしたかったのに。

それから半年ほど私は実家に引きこもって、うつ病の治療に専念した。
起きていられる時間はほとんどなく、そうかと思えば全く眠れない日もあった。
日中だいぶ起きていられる時間が増えた私は、母とその彼(両親は物心着く前に離婚している)の営むハンバーガー&焼き菓子屋さんの手伝いをしていた。

カランコロン

店の扉が開く音だ。
私はウエイトレス兼留守番みたいなものなので、入ってきたいかにも私服といった風貌の男性の元まで行き、水の入ったコップを置く。
男性はメニュー表をじっと見つめて「ハンバーガー。パティ二枚で。」と注文した。
その時私は妙な既視感を覚えた。
聞いたことのある声、それもなにか大事なことを言われたことのある声。

「あの、人違いだったらすみません。半年ほど前にバスの中で泣いている女性に声をかけたことはありませんか?」

私のその声を聞いて男性は、はっとした顔をした。
やはり。カーテン越しに話した男性はこの人だ。
なにやら私と男性が知り合いだということを察した店主は「話してくれば?」と廃棄のプリンを私に持たせて男性のいる席に向かわせた。

「はじめまして…っていうのもなんか変ですね。お久しぶりです。」
「お久しぶりです。元気そうでよかった。」
「あの時は隣で泣きじゃくってしまってすみませんでした。お話聞いていただいてありがとうございました。」
「いえ、あまりに泣いているものだからどうしても気になってしまって…。こちらこそら急に声をかけてしまってご迷惑だったのではないかと思っていました。」
「とんでもない!」
私は彼の言葉に救われたことを話した。
すると彼も「実は僕も都会でいわゆるブラック企業に勤めてまして、あの時もうつ状態で今もまだろくに働けてないんです。」
驚きだった。あんなに親身に話を聞いてくれた人が私と同じうつ病だったなんて。
「逆に僕も救われたんですよ?インターネットとかじゃない、生身の人間が自分と同じ悩みを抱えていることを知って」

ハンバーガーが運ばれてくる。

「でも最近は少しずつ調子も良くなってきていて、ここのハンバーガーも美味しく食べられるようになって嬉しいんです。」

そう言って彼はハンバーガーにかぶりついた。
「うん、うまい。」

私もまだ本調子ではないが、ウエイトレスや、深夜の仕込み、販売カーでの出張販売の手伝いなど出来るだけのことをやっている。
彼も私もまだ社会復帰には時間がかかりそうだが、ゆっくりでいい。ゆっくりと歩んでいければいいと思った。

そして今日も彼の注文は
「ハンバーガー。パティ二枚で。」

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