【センター試験】センター試験受験記(その③)
2017年9月、僕は十数年ぶりに母校を訪れた。高校の時は学校がセンター試験の願書を出してくれたが、卒業後に個人で受験するには、卒業証明書などの準備が必要となる。(通訳案内士のセンター試験での科目免除を狙っている方は、よく情報チェックして9月からいろいろと準備をした方が良いですよ!「成績通知を希望する」「2教科以下の受験」でお値段は12,800円ナリ。)
ちらほら、在学生がいる。なんか、当時の僕より立派に見える。この子たちは何を目的に勉強しているだろうか?僕が高校生の頃は、「勉強する意味」とか特に考えていなかった。「少しでも偏差値の高い大学に」とか「みんな大学に行くから」とかそんなところだった。なので、勉強するにもいまいちやる気がでず、大学に入ってもほぼ遊んでばかりいた。
まず僕が真面目に「勉強をやろう」と思ったのは社会人1年目で海外に行ったころからだと思う。皆さんと比べると、かなり遅いかもしれない。
僕の会社はなかなか変わっていて、入社1年目で海外研修(自由選択、給料は出ない)があり、そこで自分なりにいろいろして過ごす。仕事はしなくていい。趣味を極めたり、ボランティアをやったりする。僕もこの研修に参加して、カナダのトロントに1年いた。(僕はビリヤードとか、たまーにボランティアとか、海外ニートを満喫していた。)
ここで最初の挫折があった。僕は英語が喋れなかったのだ。ホームステイのお母さんが、何かグワーっと言ってくると、とりあえず「…Yes」とか言っちゃう。おそらくYesとかNoで答える質問じゃないのに。
「英語やらなきゃダメだな」と痛感した。その後、日本に帰ってからも、毎日10分以上は継続して英語を勉強した。「少なっ!」と思うかもしれないが、最初はこのぐらいでいいのだ。慣れてきたら徐々に勉強時間を増やす。
実は、通訳案内士を目指したきっかけというのも海外にある。毎日10分以上の勉強が功を奏してか、6、7年ぐらいたつと英語はかなり上達していた。実力(?)に運が重なって、また海外に1年間研修に行けることになった。次はポルトガルのポルトというところだ。魔女の宅急便でキキが「海の見える街!」と言う様な、綺麗な街だ。ここで海外の設計部隊とお仕事をするのだ。今度は、少しは英語が上達していたのだが、別の問題があった。
ポルトガルの人はおしゃべり好きである。そして、自分の国にとても誇りを持っている。日本の事もいろいろ聞かれるのだが、僕は全然答えられない。今度は挫折というほどでもなかったのだが、「日本の事、全然知らないな」と痛感した。「日本の事を伝えたい」+「英語」という要素が重なって、通訳案内士という資格に行きついたのだ。(偶然、オリンピックが2020年に開催される、という事も重なったのだが。)
高校時代は「英語?受験勉強以外使わないでしょ?」とか「日本史を勉強して意味あるの?」「現代社会?なんか暗記がいっぱいあるんでしょ?」程度にしか思っていなかったのだが、社会人になって「ちゃんと勉強しておけばよかったなぁ」と思うことが多々ある。数学、化学、生物などほかの科目においても然り。意外と関係ないところで、ひょっこりと顔を出すのだ。例えば経営のお勉強で数学の微分が出てきたり、料理などで化学の知識が必要だったり。
今回のセンター試験のお勉強だと現代社会や歴史だが、「資本主義と社会主義」「少子高齢化とは?」「貿易と為替の関係」や「京都・奈良の文化遺産の重要性」「日本がなぜ戦争したのか?」「オリンピックや万博の意味」とか高校時代には意識しなかった事が分かってくる。高校の時は点(暗記)でしか見えていなかったことが、線(時代の流れ)で見えるようになってくる。高校時代にこういうことを教えてくれる人がいればなぁ…。(いたかもしれないが、当時の僕には馬耳東風だっただろう。まぁ、「今からでも遅くない!」と思うので勉強するのだが…)
高校生や大学生には是非一度、勉強する意味を考えてもらいたい。そして、早いうちに「海外の風」に吹かれることをおススメする。(上から目線で申し訳ありません。)
そんなこんなで、早起き勉強を継続し、2018年の1月になった。センター試験はよく天気が荒れることで有名だが、この日はよく晴れ渡ったすがすがしい冬の日だった。場所は沼津東高等学校。静岡県東部では有名な進学校だ。受験する子はみんな賢そうに見える。その中に30代のおっさん一人。「この人、何浪しているんだ?」というような、若干、冷たい目線で見られながら教室に入る。試験開始時間まで机で最後の追い込み。そしていよいよ試験開始となった…!(続く)