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キーボードや配列に凝るのは「無駄」

QWERTYキー配列は非効率的で、ローマ字入力は非日本語的だから撲滅すべし

 というような配列沼の「臭い部分」にズブズブと浸かってしまうと、日本語とキーボードの可能性を押し広げようとする人々の苦労そっちのけで擬似派閥抗争のような感覚に陥ってしまう。
 やれ、どの入力方法は優れているだの、あれを使ってるやつは繊細さが足りないだの、文章書きのプライドはどこへやら。口汚い罵りの言葉ばかり書き連ねることになる。
──まぁ僕のことである。
贔屓の球団に勝ってほしいとかいう感情と同じ次元で、あれがいいのこれがいいのと騒いでいても何にもなるまい。大事なのは将来の物書きに何を書き残すのかである。僕個人はローマ字でもQWERTYでもかまわない。漫画原作のプロとして生活していけるかどうかには、あまり関係ないことが理解できたからだ。まあその話は後で。
 みんなが興味あるのは、
1,新世代かな配列はローマ字を捨てて覚えるべきライフハックなのか?
2,どういう条件で有利になり、どういう条件で意味をなくすのか?
 だと思われる。
 配列を変えてみることに興味をもった人に「こっちへおいでよー楽しいよー」とだけ伝えたり、効率がいいことは明らかだから信じろ、というのでは、僕みたいな、仕事から逃避してタイピング練習ばかりしているパソコンおたくしか釣れないのではないか?

実際に勧誘してみた

 僕のまわりにはプロのライターが多い。 それもベテランの、大きなメディアで大量の記事を、ちょっぱやで仕上げられる猛者猛者の猛者である。彼らは仕事柄、効率化には常にアンテナを張っているし、ガジェット界の流行にも関心が高い。
「最近、こんなの試してるんだ」と話をふってみるのは自然な流れでもある。
 まあ結果はご想像の通り
「この方法でローマ字より効率上がるのはいつになるの?」
 という質問に僕は答えられなかったのである。
 なにしろ彼らの仕事は過酷なので、取材してすぐに数千字の原稿を書いて、チェックに出してしまうこともあるし、何時間というインタビューを何万文字という読み物に仕上げることもある。早く、長く、確実に、短文も長文も大量に書く。しかも現場によっては何キロもあるカメラを一日中歩き回って、その日のうちにメディアセンターで書くこともあるという。僕もカメラで手伝ったことがあるが、あの仕事には自作キーボードも、かな配列も出る幕はない。
 彼らが求めるプロの道具とは、タフで、安くて、いつでも手に入って、代替品が多少肌に合わなくても自分をアジャストすることで対応できるような品であった。自作キーボードとは正反対の環境と言えるかもしれない。

開発者のジレンマ

 新配列を開発した人は当然、自分の提案がどれほど工夫されたものであるかを語る。我々ユーザーはその売り文句を見て、(生意気にも上から目線で)どの配列を試すかを選ぶのであるが、開発者のいう「覚えやすい」という言葉は、何割か差し引く必要がある。開発した人は自分で何年も練習しているので、ローマ字しかやったことがない人がどのくらいでメリットを感じ始めるかを想定できないのだ。
 僕も小なりといえどゲーム会社などやっていたので、テストプレイの難しさは知っているつもりだ。テストプレイヤーが上手くなりすぎてユーザーと乖離するなんてしょっちゅうだし、工夫して簡単にした抜け道に気づいてもらえないなんてこともある。
 そして今は配列をカスタムすること自体は、さほど難しくない。
 だから、あまり配慮されないままに加工を施して、元々の工夫を台無しにしてしまうことも簡単である。はい、僕のことです。もう戻しました。
 ある配列を練習することは、ありていに言って苦行である。イライラするし、他の配列とごっちゃになったりするし、仕事は待ってくれないから、それはべつにローマ字ですることになるし……。新下駄配列と薙刀式を交互にやると大混乱必至である。智者は時に同じ橋を渡るというか、同じ日本語の効率を求めているものだから、似たような場所に似たようなキーが配置されるのは避けられない。なので僕は新下駄を練習している間は薙刀式をお休みすることになってしまった。

 ただ、先ほども書いた通り、この二方式は時に同じ橋をわたるので、明らかに新下駄配列を覚える抵抗感が少なかったのは事実である。少なくともNICOLAを初めて触った時ほどの、やりにくさを感じることはなかった。

 そして薙刀式で手をホームポジションに置くクセがついたせいか、あろうことかローマ字入力まで速くなってしまったのである。これでは学習効率の比較などできるはずもない。
 教育学の世界では遺伝と環境の関係を調査するのに、一卵性双生児を追跡調査することもある。片方にローマ字入力を与え、片方にJISカナを与え、何年もかけて調査することは可能だろう。もしかしたらすでに研究されているのかもしれないが、特に差はなかったのかもしれない。言語処理能力においてタイピング方法の関与する部分は小さいと思われるからだ

ユーザーは本当に次世代を求めているのか

 たくさんの人が配列やキーボードをカスタムできる環境が整ってきたので、現状、多くの配列と、そのカスタムがある。
 カスタムとは語源にそって言えば、個人個人に合わせて加工することだからCAPSとCTRLを入れ替えるようなのも含まれる。昔はノートパソコンのWindowsキーが邪魔で、キートップをもぎ取って使っている人も珍しくなかったものだ。
 それと比べると、QWERTYの否定、ローマ字の排除はハードルが高い。自分の息子にそうするように教育しようという人は少ないんじゃなかろうか。だって社会に出たらみんな使ってるんだから。
 配列沼の入り口でモタモタしている、僕みたいな何か書く方法を変えてみたいと思う人間からしたら、なるべく「ハズレ」を引きたくないと思うのは当然である。とは言っても、まだ練習してない方法の良し悪しなどわかるわけもなく、怪しげな個人の感想につられて右往左往するところが、何となくバイクを初めて買う若者に似ている。
 そして、一個しか知らないのにviだemacsだと論争し、どのUNIXが、Linuxが、ディストリビューションがと騒ぎ、数種類触っただけで評論家づらして語り(僕ね)、結局は最初の道具をコツコツ使って仕事をし続ける人が偉い、そんなことになりかねない気がするのだ。特にはじめてのLinuxはどれを入れたらいいの?ってときに性能やファイルシステムで選んだりしないだろう。サポートが豊富で、開発に活気のあるやつを選んでいるはずだ。ぶっちゃけ新下駄配列を試してみたのもMozcで利用できるようになったのがきっかけだったし。
 結局のところローマ字入力が使われている理由の99.99%はこのサポートが手厚いという理由だろうし、それで困る人も少ないから現状があるのである。

漫画原作者がキーボードやタイピングにこだわるのは「無駄」である

 そもそも、僕がタイプする仕事の量なんてしれているのである。毎週連載していた作品でさえ、セリフの文字数は2200字しかなかった(今数えた)。僕はネームで書くことも多いので、ト書きの量もそんなに多くない。このくらい、何回か書き直したとしても指など痛くなるわけがないのである。
 それと比べて、漫画家が道具にこだわるのは理由がある。それは指にかかる負担の量が何桁も違うからである。
 一本の漫画を書き上げるのに必要な「ペンを動かす回数」は、軽く何万回もの世界に入る。ちょっとの工夫の違いで腱鞘炎が治らなくなったり、指が恒久的に変形してしまうことも珍しくない。
 だから漫画家はペンにテープを巻いたり、マクロを組んだカスタムキーボードを宇宙船のコックピットのように並べる。きょうび当たり前の光景だ。
 つまり漫画原作者、少なくとも僕くらいの人間がキーボードや配列にこだわったところで、何ら原稿料にも生産量にも、もちろん作品の質にも影響はないし、全くの無駄と言ってよいのである。

──でもね、僕は無駄が大好きで、パソコンが大好きで、新しいことを覚えるのが大好きなのよ。そんな周り道でしか気づかないことが、ある意味、僕の栄養なのよ。
 みんなもやってみるといいよ、薙刀式とか練習してみても、今までのタイプが下手になることは絶対にないので、パズルだと思ってイライラしてみたらいいんだよ。

 そして今回気づいた、本当に僕が得たものは、また今度書きます。
 ローマ字とQWERTYは本当にいらない子なのか?


 最後に、今回の文章は薙刀式で書きました。久しぶりで完全に忘れてて、かなりの部分が新下駄とごっちゃになってて、3600字書くのに三時間もかけてしまいました。最後の方は思い出してきて、わりとサクサクに戻ってきたことをメモしておきます。


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