ハル、1歳

1歳のハルは、本当に天使のような可愛さだった。

まだ自我がない1歳。動物のような1歳。
目がクリンとして、なんにでも興味が惹かれてキラキラしていた。
言葉が出るのは10ヶ月と、とても早かった。
多動も相まって、同じ頃にはつかまり立ちをしていた。水遊びやお散歩など、外で遊ぶことは本当に好きだった。
対して、絵本はどうやってもダメだった。まず話しを聞けない、ページめくりを待てない、じっとしていられない。
なので絵本は買っても無駄だと早々に気づき、買わなくなった。視覚的に楽しめる図鑑だけは買っていたが、たいていボロボロになった。

犬がボール遊びが好きなように、ハルもボールが大好きだった。公園でも家の中でも、動くボールを走って取りに行き、めちゃくちゃな方向に投げてゲラゲラ笑っていた。ハルがいるとずっと家の中は騒がしかった。

「寝かしつけ」は諦めていたが、ハルが「電池切れ」で寝るタイミングはおおむね掴めるようになっていた。昼の13〜15時。それ以外の時間はあらゆる手段で興味を惹かせ、強制的に脳ドパミンタイムを続けさせて起こしていた。

どの子もそうなのだろうけど、眠さが増すと、とっっても不機嫌になった。泣きわめき、駄々をこね、錯乱状態に近くなった。「あ、これがせん妄といやつか」と勉強になったのを覚えている。人は脳の機能が低下すると、人格が変わるのだ。
ハルは「電池切れ」の10〜20分ほど前からこんな状態になるので、とても分かりやすかった。

騒がしい、多動で目が離せない。
この二つがクリアできれば、ハルは喜怒哀楽やその時の脳の状態が手に取るように分かりやすく、次にどんな行動を取るべきか対策しやすい子だった。


…けど、夫が怒鳴りつけて叱るようになったのも、この頃からだったの思う。
「言って聞かせなければならない」と思っていたのだろう。私ももちろん「ルールを教えるための叱り」は何度もした。
しかし、なんせADHDの乳幼児。常に危ないこと・迷惑なことしかしない(手を振り解いて飛び出し、高いところに登る、買ったお菓子をその場で開けるなど)ものだから、何度も何度も同じ注意、同じ声掛けを繰り返すうちに「コイツ、アホなのか?」「コイツ、わざとやってるのか?」と疑念を持つようになった。

ただ、本人は叱られて行動が止まり冷静になると、めちゃくちゃ申し訳なさそうな表情に変わるので、こちらの説明や声掛けを理解してないわけではなさそうだった。
今思えばこれらは多動・衝動性から来るものが多かったけど、当時は気付けず、「叱る」「目につくものを隠す(ルートを変える)」「他のもので興味をそらす」以外の対策はほとんどできていなかったと思う。

この頃、すでに保育園に入所していた。
私はこの頃、仕事が忙しくなり、かなり疲弊していたと思う。毎日夜18:30にお迎えに行き、バタバタと夕飯を食べさせ、お風呂に入れさせ、21時には私も息子も「電池切れ」で寝ていた。
疲れがいろんなことを誤魔化していたようだった。休日に一緒に息子と過ごすと、育児の大変さに苦しくなっていた。でも可愛い。愛しい。一緒にもっといたい。
得体の知れない相反する感情に、モヤモヤとし続けていた。私は本当は子どもが嫌いなのかも、母親になるべきじゃなかったかもと思うことも多々あった。

保育士からは「今日もお友達をひっかきました」「叩きました」「噛みつきました」のオンパレードだった。悲しくなった。どうすればいいか、分からなかった。
平日は確かに、ほとんど本人と向き合う時間は無かったと思う。なので休日はとにかく本人を愛そう、一緒に楽しいことしようと、公園などにたくさん連れて行って、一緒にはしゃいで遊んだ。笑顔でいようと心がけた。一緒に遊ぶ限りは、本当に楽しかった。息子のニコニコ、ゲラゲラと笑う表情が大好きだった。けど、常に危ない行動と隣り合わせで、一時も目を離せず、走り回っていた。同い年の子どもの手を引き、のんびりと歩く綺麗な格好をした母親を見かけると、悲しくなった。なぜのんびり歩けるのだろう?なぜあの子は手を振り解かず、走りださないのだろう?

ハルが親に手を出し攻撃することはほとんどなかった。(たぶん、先回りの対策ができるようになってたからかもしれない)
なぜ保育園で友達に手を出してしまうのか。私の愛情不足なのか。私はダメな親なのか。グルグル考えていた。
夫は「へー今日も喧嘩したのか、男の子ってそんなもんなのかな」とノンキで大きな問題に捉えず、私は誰にも相談できず、むしろだんだん「私はちゃんと母親やってます」と仮面を付けるようになったと思う。何もかもが馬鹿な毎日だった。

ある日、保育園の集団懇談会で、母親が集まって子どもの「好きなところ」を言うということがあった。今でも強烈に覚えている。
子どもらは園庭で遊んでいて、母親らは薄暗い教室で丸く輪になって座っていた。みんな順番に、いかに自分の子のここがすごくて、大好きでというのを話していくけど、私は内心焦った。

「好きなところ」「自慢なところ」が全く思いつかなかったのだ。「好きになろうとしてる」のだから。

今の私なら、あの頃のハルについて、いくらでも挙げることはできる。「なんにでも夢中になるところ」「外遊びが大好きで、体力オバケなところ」とか。
でも当時の私は、嫌なところばかり目につき、毎日に疲弊していた。
なんて言ったか覚えていないが、他の母親たちは苦笑いをしていた気がする。(私の勘違いかもしれないけど)
私は他の母親、他の子どもと過度に比べてしまい、勝手に傷つき、勝手に孤独を感じてしまった。

もっと早く、本人の特性を見極める努力をすればよかった。
もっと早く、誰かに相談すればよかった。

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