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意識高い何かになれない私(たち)が願う、ちょっとだけ世界がよくなる明日。
できればずっとごろごろしていたい。
起きても昼寝のこととごはんのことしか考えていないし、どんな食事でも卵かけご飯をシメにするのが常だしその卵かけご飯には醤油もかけず食べるのが好きで、食パンは焼かずにそのまま食べる。
そう、食パン、それもホテル食パンといわれるものをそのまま食べるのが好きで、ホテル食パンでなくても超熟とか何枚でもイケるけど、とにかく、こじゃれたパン屋さんなどではなく近所のスーパーで買った、近所のパン屋さんが卸しているらしいパンが最近お気に入り。で、米粉パンとかカルツォーネとかブリオッシュとかをスルーして、バターロールかホテル食パンを買ってくる。そして、なにもつけずに頬張るのだ。
ちなみに、同じ棚に置かれているフランスパンはクープがパリッと割れていて綺麗に膨らんでいるしこちらも美味しいので、その(近くに実店舗があるであろう)パン屋さんは本当に美味しいパン屋さんだと思う。あ、言い忘れましたが当方、元パティシエで元パン職人です。
そのホテル食パンをもふもふと食べていた。
ふと、あるものが目に入った。
クリーム色の生地の上に、うっすらと、茶色い筋。
一見すると、食パンの型か窯についていたすすか何かのようである。まあ気にするほどのことではないだろう、と思いながら食べていると、今度は黒い物体が目に入る。
1ミリほどの大きさの、黒い粒。なんだろう。そう思いながらもう一口頬張る。意識低い民の私、惰性には弱い。美味しいパンと空腹の誘いにはなお弱い。できることなら気付かないふりをして食べてしまいたい、と思っている。
だがしかし、さっきの茶色い筋とは違ってさすがに不安になる。そのくらい、黒い。黒の自己主張がはんぱない。
さすがに、まじまじと目を近づけて観察してみることにした。
それは薄いヴェール一枚かけられたような体(てい)で、つまり、生地の表面に付着しているのではなく、しっかりと練り込まれている。しかも、練り込まれたうえでその1ミリほどの粒感を保っているということは、固形物だということだ。
このような状況に陥ると、人は十中八九、あれを探すと思う。つまり、あの、節くれだった脚のようなものとか、全体のカーブの外側につながっているかもしれない、羽のようなものとか、である。
この瞬間が最もドキドキする。
こういうとき、人はどういう結末を望むのだろう。見つからないでほしいのだけど、どこかで望んでいるような気もする。ああ、やっぱり虫だった! という瞬間のカタルシス。そしてその次には、それがどのような種類の虫なのか、躍起になって特定にかかるのだ。
そうは言っても、いざ自分の身に降りかかればそれは「めんどう」でしかない。ただのゴマかケシの実であってくれ。ほかのパンから飛び込んできただけの、食べられる何かであってくれ。と願う。まあ、ゴマかケシではないことだけはわかるのだけど。
しかし予想に反して、その黒い物体には脚も翅(はね)もなかった。どうやら、虫ではないようである。
では何なのだろう。
生地から剥がしてみようとすると、そいつはびよんと伸びた。
???
黒くてゴムほどではないが軽く伸びて生地に混ざりきらないもの。感触でいうと、タールとか、そういうものに近い。
たとえるなら、顔を洗った時に落ちたフイルムマスカラ。あれのかたまりみたいなもの。だと思う。
なんだ、マスカラだったらまだいいや。いや駄目だろう。人の皮膚についていた化粧のカケラなんて不衛生にもほどがあるだろう。しかし虫よりいい。
誰がなんと言おうと虫よりマシである。虫、お前はダメだ。
たとえこの黒い物体が毒性のあるものだとしても、1ミリそこそこのものからにじみ出たことを考えれば、相当薄まっているはずだ。というわけで、虫でなければとりあえずいい。というのが正直な気持ちなのである。だからこその、カタルシス。見つけたくないけど、見つけたい。そういうカタルシスとカタストロフがせめぎ合う。
そんなわけで、得体の知れないその黒いびよんとした物体を前に、葛藤すること数秒間。いろいろ、さまざま、頭を巡ったものの、かろうじて人としてのなにかが私を諦めさせた。
残りの1/3枚はゴミ箱行きとなった。
さて問題は、袋に残った、おいしいホテル食パン2枚の処遇である……。
パッと見、残りの食パンはきれいなクリーム色にバターのまざったマーブル色。なんの問題もない、ホテル食パン。
見た目にはわからない。食べてもわからない。余程のことがない限り健康を害することもない。
言われなければわからない。
しかしながら、その黒いカケラがそこに存在するということは、隣の袋を手に取っていたとしても、それが触れているかもしれないということ。
同じ窯、あるいは同じミキサー、同じ厨房で製造されていれば、どこにだって混入の可能性はある。
そんなことを言っていては、今後あのお気に入りのロールパンも、ホテル食パンもアップルパイも一生買えなくなってしまう。
いや、これはこの店だけの問題ではない。虫であれ何であれ、なにかが混入することは人がそこを出入りして歩いて作業していればきっと避けられないことなのだ。きっと目に見えないだけで、どんなものにもホコリやらチリやらが常に混入している。
だから問題は、私がそれに気がついてしまったこと、その一点でしかない。
そして、意識の低い私はきっと「気が付かなければそれでよかった」に違いない。
そんなもんだ。
多かれ少なかれ、人は目に見えている範囲で不都合が起きるのが嫌なだけなのだろう。
事故物件を気にして引越し先を選ぶたび、きっと何万年という歴史にも載っていないような時代から考えたら、そこここに遺体は埋まっているだろうと思う。
どんなに愛の深い人でも見知らぬ人の悩み全部を請け負えるわけではないし、
目の前のおいしそうなパンの誘惑にはきっと勝てないし、
知らない限り、きっと想像しないようなことで誰かを踏みつけていたりもする。
そんなもんなのだ。
「見えないところでやれ」とまでは言わないけれど、実質的にはそれと大差ない。
いや、それだって「見えないところでやれ」という自分を見たくないという願望に過ぎないのかもしれない。
私がパンの中に黒い粒を見つけたとき、その正体を探りながら真っ先によぎった「めんどう」は、それをよく表していると思う。
知ることは、とてもめんどうだ。見過ごせなくなるから。
そして、そこに毒性や害があるかどうかも関係なくて、ただ自分が直感的に、感覚的に「イヤ」かどうかの判断基準でしかないことも、自分が一番よく知っている。
しょせんは、意識低い民の戯言である。
そんなもん。
時々思う。誰かにとっての大問題も、たとえば食パンの生地に混入した小さな異物のようなものかもしれない。
関係ない人にとってはめんどうで、遠くの人には存在しなくて、そこには虫けらほどの生と死が存在しているかもしれないし、していないかもしれない。いずれにせよ、ほとんどの人や、世界には、それ自体が影響することもない。
私の命だって、嘆きだって、きっと「そんなもん」なのだと思う。
私の家族も、友人も、たくさんの人の普遍的な営みの中に紛れて消えていく命のひとかけの、一瞬。でしかない。
でも、「そんなもん」の集合こそが社会を作り、世界を作っている。
せめて、目に見える範囲のことだけでもよくなるように、そう願う人が散らばっていれば、もしかしたら、1ミリくらいはなにかが良くなるのかもしれない。
大きな力がない私にできることって、そういうことしかないと思うから。
……食パンはやっぱり、捨てずに食べることにした。
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