メンヘラ界隈でのTwitterの限界
短文でも質が悪くても書き続けることがダイジダヨー、とnoteのチームさんがおっしゃってたので、これからは上手かろうが下手だろうがTwitterの140時にも満たない文章だろうが、なんとなく書いてみようかなと思う。とはいえ、日中眠りっぱなしだったり、ゲームにのめりこんでいたり(その割には下手)、気が向いたら夕飯を作って彼氏と一緒に食べて、一日が終わっていくので、あまり面白い内容とは言えないのかもなぁ、なんて。
実はTwitterをそろそろ本格的にやめようかと思っていて。30になってから初めて、ちょうど5周年くらいなのかな。わたしは双極性障害(躁鬱病・双極症)10年選手で、Twitterからたくさんの情報を得た。薬の情報だったり、規則正しい生活で脳内分泌物を整えて情緒を安定させるとか、認知行動療法で考え方のゆがみを少しずつ矯正したり。同病の仲間も得て、ともに励まし合ったり、労わりあったりもした。その頃の経験は決して無駄ではない。
ここからはいやな言いかたになるけれど聞いてください。突然の敬語。正直、双極性障害と診断されてきたひとたちが実は発達障害だった、というケースが鬼のように増えてきている。たしかに発達障害の二次障害で単極性うつだったり双極性障害だったりパニック障害だったりを併発してしまうひとたちはたくさんいる。
別にそれはかまわない。発達障害だったことで自分が安心するならそれでいいと思うし、二次障害の精神病もうまいことつきあっていければいいね、というのが双極性障害オンリーの障碍者の気持ち。ただ、最近双極性障害の情報がめっきり減った。わたしのTwitterは基本的に同病人しかフォローしないため「診断が発達に変わりました!」「治らない障害の躁鬱からうつ病になりました、わたしは頑張れば障害者から抜け出せる!」とかつぶやかれると、「じゃあもう利害が一致していないからフォローせんでもいいんじゃないかのう…」というもやもやっとした気持ちになる。
そうなってくると、Twitterのタイムラインは発達の情報と、うつをよくするための謎の自己啓発アカウントと、うまそうなメシテロの写真と、かわいいワンチャンとネコチャンの動画しか見るものがない。いや、楽しいよ。美味しいご飯作れるようになりたいし、たまにバズる動画もツイートも見たいけど。でも自分の障害に対する情報は、もう既に知っているものだったり、新薬が発売される知らせだったり、そんなものしかない。それって意味あるのかな?別にTwitterである必要なくない?
さっき言った同病の分かり合える友人は確かにできた。でもそれも、最近なれ合いのように感じてしまって辛い。正直言って、双極性障害のアカウントは多分これ以上増えることがないと思う。頭打ちってやつ。双極診断自体が減ってしまったから。昔よく話していたアカウントの人はみんな新しい世界で頑張っているかもしれない。もしくは生きづらさに耐えかねてこの世から消えてしまったのかもしれない。
これもまた厄介な話で変な嫉妬も生まれ始めた。いま交際している彼氏とはそんなTwitterで知り合った。ネット恋愛で「会ったこともないのに好きです!」とかそんな頓珍漢なことはなく、共通の知人と飲みに行った先に彼がいて、そこからとんとん拍子に話が進んでいった。ただそれだけ。付き合うまでにTwitterはあまり関係なかった。それはたまたま知り合ったツールだった。
しかし付き合えば付き合うにしろ、彼氏は「ツイ廃」なんだなぁということが判明してなんだか悲しくなってしまっている。一緒にデートに出かけても、写真を撮ってTwitterにアップしてフォロワーからのイイね!やら返信やらをやたら気にしている。そこにわたしは必要ない。彼氏はわたしとじゃなくてTwitterとデートしてるんだなと思った悲しい瞬間。
考えれば考えるほど、Twitterにメリットを感じなくなってきたわたしは、そろそろ別にSNSにうつろうと思ってnoteに来た。フォロワーは全然増えない。仕方ない。まずはTwitterよりnoteを見る時間を増やしたり、つぶやきくらいでもいいから書くなりフォローしに行ってみたいな。消極的な性格だけれど、スキとフォローくらいはしても誰も怒らないよね。
メンヘラ界のみなさん。とにもかくにも、ちゃんと医者の指示通りお薬飲みましょうね。それが一番。