メンヘラくそビッチ、彼氏に依存する
自分の人生なんだし、自分が納得できる生活を送りたいと思って数年過ぎた。思えば甘ったれた人生だったと思う。でも別に今日はそんなわたしにダメ出しをしたいわけじゃなくて、どちらかといえばかわいそうだね、と言ってあげたい気分。
かわいそうといわれることが嫌いな人たちが世の中に一定数いることを知って驚いた。正直自分には理由がわからない。周りから見たら「辛いんだね、同じ気持ちにはなれないけれど、あなたの辛さをわたしは受け入れますよ」という共感能力みたいなものを、相手から与えてもらえるってすごいことだと思うんだよなぁ。それってすごく感謝すべきこと。辛くなんかない、かわいそうなんかじゃない、なんてわたしから見たら虚勢なんだよなぁ。
一方どれだけ辛い思いをしていても、同情してもらえない人間もいて、そういう方々はだいたい自分のことしか考えないで「わたし辛いの、だから同情して」の気持ちがマックスに達している。見てるとオエッっと吐き気がするタイプ。人間とは現金なものでしんどいアピールをされればされるほど、どんどん気持ちが遠のいていく。どんな優しい心を持った人間でも、天邪鬼な気持ちはどこかにあって、もう面倒みきれないなと思った瞬間から相手が嫌悪の対象になる。
今度は自分の話になるけど、自分がこうして望んだ生活に対して、たまにこれでいいのかなって思うことがある。へとへとで帰ってくる恋人にご飯作って、料理の片づけとかお皿洗いとかマッサージとか、するよ。するんだけど、たまに「あれ?なんでこんなことしてるのかな」って思うことがすごく増えて、それは恋人の仕事が忙しすぎてわたしに割く時間も余裕もなくなってしまったのだろうけれど、前みたいに一緒に楽しんだり出かけたりすることがなくなってしまって正直さみしい。そう、さみしい。付き合いだした最初のころはあんなに楽しかったしお互い思いやれていたし。でもどうしてそれがわたしは上手にできなくなってしまったのだろうか。
欲張りだって人はいう。でもご飯作って、ありがとうってお礼をいわれて、そこからほとんど口きいてこないでオーラ出されるとこっちもなかなかしんどいんだよ。料理美味しかったです。ごちそうさま。じゃあこれからはおれのゆっくりするタイムだからあんまり邪魔してこないでね。あー体だるいな、マッサージしてほしいな、気持ちいいからそのまま寝ちゃお。これだと確かにひとりぼっちでいるより恋人と一緒にいたいけれど、利用されてるみたいで悲しい。
きっと向こうには向こうのいいぶんがあって、俺はハルナにこれだけ尽くしてるし譲ってるって思ってることが沢山あるんだと思う。だったらいっそその話をし合ったほうが楽なのかもしれないな。こうしてあげてるのに、ああしてあげてるのにって黙って二人ともフラストレーションためるよりよっぽどいいのかもしれない。
人間関係の心の距離感をうまく保つ方法をツイッターでよく見るけど、お互いのことを他人と思え、とかなかなかそんなうまいこといかないよ。他人と思って過ごしてたら、一緒にいるときの喜びすら感じられないじゃない。もう大きい楽しみは期待しないよ。せめて小さい幸せが少しずつわたしの周りに増えてきて、だんだん満たされていければいいのに。