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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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黄金のレガシー, ストーリー感想

はじめに

  • FFXIV Dawntrail Patch 7.0 「黄金のレガシー」メインクエのネタバレを含みます。というかネタバレしか含みません。未クリアの方はブラウザバックを。

  • あくまでメインクエとエキルレ解放クエくらいまでしかやってない段階での感想なので、サブクエまでやるとまた感想が変わるかも。

  • 前半では主にポジティブな感想を、後半では気になった点を書きますので、ネガティブな評価なんて見たくないという方は後半は見ないで下さい。

  • 本感想の一切の転載を禁止します。

  • © SQUARE ENIX

事前の期待

FF14では、これまで10年間にわたってハイデリン・ゾディアーク編が展開されてきました。暁月のラストでは、これまでの伏線を全て使った大団円を迎え、非常に満足度の高い終わり方を見せてくれました。そのため、新たなストーリーが始まる黄金のレガシーでは、果たして同じような盛り上がりを見せてくれるのか、不安を感じていたプレイヤーも少なくなかったと思います。

さらに、漆黒と暁月で素晴らしいシナリオを書いてきた「なっちゃん」こと石川夏子さんが、黄金のレガシーではメインライターではなく、後輩のライターを監督する立場になるということが発表されました。このことも、黄金のレガシーのシナリオを不安視する要因の一つとなっていました。

石川夏子さんは、これまでFF14のメインシナリオを牽引してきた重要な存在です。彼女の手腕によって生み出された漆黒と暁月のストーリーは、多くのプレイヤーを感動させ、FF14の物語をここまで盛り上げてきました。そのため、彼女がメインライターから外れるということで、新しいライターがこれまでの質を維持できるのか、不安を感じるプレイヤーがいたのも無理はありません。

一旦は大団円を迎えたメインシナリオのリブートである点、偉大なシナリオライターの立場変更、一方でグラフィックスアップデートという一大変更もある中、果たして黄金のシナリオはどのようなものになるのか。実は期待と不安が半々くらいの状態で冒険をスタートさせました。

ポジティブな感想

全体としての感想

トータルで、非常に良かったです。グラフィックスアップデートの成果を遺憾なく発揮した新大陸の色々な地方での冒険を楽しめましたし、新大陸の地方・部族の宗教、文化、生活、思想、歴史を詳細に描いていく試みは大成功だったと思います。これは、「ストーリーを楽しむ」というファイナルファンタジーの強みを、MMOという、その世界に住む・体験するという方向性で伸ばしている取り組みだと感じました。プレイヤーは冒険者として新大陸の地に足を踏み入れ、そこに息づく人々の営みに触れることで、ゲームの世界観により深く没入することができるのです。

候補者から王へと成長していくラマチの成長譚は、王位継承者レースでかつてのグルージャジャ王が辿った旅路をなぞる展開となっており、これまでの「光の戦士」の冒険とはひと味違った面白さがありました。新大陸の各地を回り民を理解して成長していくストーリーとしたことで、新大陸の様々な地方の文化などを描くことと、ラマチの成長を描くことがうまくかみ合ったストーリーになっていたと思います。

後半のサイバーパンクでSFな展開や絵作りは、ガラッと変わって面白かったです。欲張りすぎるくらいの内容でしたが、魂から記憶のみを分離し、保管し、再現することで永遠に生きる存在になる"永久人"という設定は(SFとしてはさして新鮮な設定ではないものの)まさかFF14のメインクエの中でこの展開をやるかという驚きがありました。アンロストメモリーのナミーカとウクラマト、クルルと両親、エレンヴィルとカフキワのシーンは、どれも素晴らしかったです。

個別に好きだった点

種族の中ではペルペル族のクエストが特に良かったです。お互いが相手にとって価値のあるものを差し出して交換することで、物の価値は何倍にもなり、そして知ることで相手を好きになるというメッセージは、今回の黄金のテーマに沿った良い導入だったと思います。一方、強者感を出していたゾラージャは、実は他者との繋がりを作れず、成長の機会も逃しているという対比も印象的でした。

キャラの中ではグルージャジャが本当に良いキャラでした。後継者たちにとって超えられない父として、かつてトラル大陸を旅して国と民をまとめ上げた偉大な王として、このキャラが立ってなかったら全てが台無しになってしまう重要な役どころでしたが、演技も演出もすばらしく、バトルでの強者感、王や父としての豪放さと優しさがよく出ていました。ヒカセンとのバトルで理王がもう居ないのを忘れて大技が不発になるシーン、後の幻影ではしっかり二人で放っていて激エモかったし、最後に実は理王は亡くなっていたことが分かるシーンも、ああ、やっぱりそうだよね…となりながらも、回想にしか出てこない理王の存在の大きさが改めて実感できるものでした。というか、武王と理王、両方同じ声優(松田健一郎さん)って凄いな!?



繰り返しになりますが、期待と不安、半々で臨んだ黄金のストーリー。トータルで見るととても良かったです。グラフィックスアップデートで美しくなった世界を十分に堪能させてくれる、良いストーリーでした。

一方で、個別には気になった点、引っかかった点もありました。あくまで一個人の感想として、読みたい方だけこの先にお進み下さい。



気になった点

ゾラージャの掘り下げ不足

まず、一番気になったのはゾラージャの掘り下げ不足です。最初から何を考えているかが分かりにくいキャラとして描かれていましたが、最期まで彼の真意や背景がやや不明瞭なままだったように感じました。

悪役であることと魅力的であることは全く矛盾しません。例えば紅蓮のヨツユ、漆黒のエメトセルク、暁月のゼノスは、いわゆる悪役でありながらも魅力的なキャラになったと思います。それは、そのキャラの背景や信念がしっかりと描かれていたからこそでしょう。結果として主人公との避けられないバトルに至り、カタルシスをもって倒されていきますが、実は彼らの物語こそが裏のメインストーリーだったとも言えます。

彼が奇跡の子と呼ばれるプレッシャーに悩み、偉大すぎる親に、血が繋がらないのに自分以上に家族になっている弟妹達に強いコンプレックスを抱いたというのは、設定としては分かります。が、ほとんど語られません。なんなら奇跡の子というワードがバトルのAoEとして出てきただけでした。

偉大すぎる父親に対するコンプレックスを解消するため、彼はどうしても王にならねばならなかったのでしょう。おそらく、そのために家族とのつながりも犠牲に努力したことでしょう。しかし、結果として父の幻影に敗れ、継承者としての資格を失い、こともあろうに自分以外の二人の弟妹が「連王」に即位する結果に。その絶望はどれほどのものだったでしょうか。

ゾラージャについては、彼の行動の動機やそこに至った経緯などがもう少し描かれていれば、より深みのあるキャラクターになったのではないでしょうか。彼の抱える闇や葛藤、そして最期の心情などが、もう少し丁寧に描写されると良かったように感じました。

異なる思想・信仰を持つ人達との和解の描き方

まず、「双血の教え」を持つマムークとの和解のプロセスについて触れたいと思います。双血の教えは、フビゴ族とブネワ族の婚姻によって生まれる強い力を持つ双頭のマムージャこそが種族を救うという宗教的な思想です。しかし、ストーリーでは、ほとんどの子供が殻を破って生まれて来れない=死んでしまうことを「罪」として描き、多くのマムークの人々やバクージャジャがその罪に苦しんでいたことが明らかになります。主人公達は、そんな酷いことは許せないと奮起し、特殊な環境でも育つ作物を提供することで、その教えを捨てるよう説得します。

これは、異なる思想や宗教を持つ人々を、一方的に否定し、優れた技術で改心させるという話になってしまっているのではないでしょうか。確かに、多くの子供が命を落とすという点は残酷に感じられます。しかし、それを乗り越えて生まれてくる双頭の子は、二つの種族をつなぐ架け橋となり、大いに祝福されるのです。このような双頭の子の誕生を望む婚姻を、果たして罪と言えるのでしょうか。人間の場合でも、精子の大半は卵子に辿り着くことなく失われますが、これを罪だと考える人はいないはずです。

物語の中では、登場人物たちが都合よく罪悪感を覚えていたことになっており、簡単な調査で解決策が見つかり、皆が急に心を入れ替えてしまいます。しかし、異なる信仰を持つ人々との真の和解を描くためには、もう少し丁寧で時間をかけた描写が必要だったのではないでしょうか。この部分の描き方には、やや違和感を覚えてしまいました。

利害の衝突と決別

次に、アレキサンドリアの「永久人」についての描写を見てみましょう。この話は、漆黒のエメトセルクとの対峙を彷彿とさせます。

古代人を蘇らせるために一人戦い続けるエメトセルク。彼は人間のことを「なりそこない」と呼びつつも、決して彼らを全否定はせず、時に優しさや甘さも見せます。一方で、自分の信条を曲げることは決してありませんでした。最期はヒカセンに討たれ、「ならば覚えておけ」と言い残して、歴史の舞台から退場します。(全然退場してなかったのはさておき)

永久人を守るために戦うスフェーンも、優しい心を持ち、対峙する相手のことを心から好ましく思っています。しかし、自国民を守るためには心を殺してでも戦わなければならない。そして、エメトセルクと同じく、最期はヒカセンに斃されるのです。

彼らの価値観は、根本的なところでは大きく異なっていないのかもしれません。しかし、古代人と現代人、アレキサンドリアとトライヨラ、どちらかが生き残るためにはもう片方が犠牲にならざるを得ない。そのようなせめぎ合いの中で、彼らは互いの立場を理解しつつも、最後まで妥協することはできませんでした。

ラマチの「相手を知り、話せば、誰とでも分かり合える」という信条は、家族に愛され、世界を知らずに育った彼女の純真な思想を表しています。しかし、現実の世界では、どれだけ努力しても理解し合えない相手、許せない相手、利害が一致せず共存できない相手が存在するものです。そのような状況では、綺麗な正解などありません。それでも、対話を諦めず、最後まで相手と向き合い続けること。時には、戦いになることもあるでしょう。

ラストのスフェーンとのバトルは、まさにその点を描いているはずでした。しかし、スフェーンがあまりに「優しい王様」として描かれたため、彼女自身が自分たちの行いに疑問を感じているかのようです。これでは、エメトセルクとの対比において物足りなさを感じざるを得ません。

エメトセルクは、自分の信条に基づいて行動し、最後まで揺るがなかった。一方、スフェーンは自分の行いに確信を持てていなかったように見える。二人の話は似ていますが、物語やキャラクターとしての魅力には大きな開きがあるように感じます。

そもそも、これほど難しいテーマを扱うのですから、漆黒編で見事に描ききったものを、もう一度同じように繰り返す必要はなかったのかもしれません。新しい物語を紡ぐためには、新しい視点や切り口が必要だったのではないかと思います。

「技術」の扱い

これは細かい話ですし、今に始まったことではないのですが…

「技術」の描かれ方にも少し疑問を感じました。登場人物たちが技術を持ち寄って困難を解決するという展開自体は心躍るものがあります。しかし、FF14では「技術」があまりにも便利な解決策として使われすぎているように思えてなりません。「この○○の技術を応用すれば××ができる!」という具合に、一夜にして新装置が完成し、十分なテストもなく実戦投入されて問題が解決される様子には、リアリティを感じられないのです。(グラフィックスが向上するとなおさら。クリスタリウムの技術で移動砲台が完成して敵のドローンをバンバン打ち落とすのは…その…うーん…)

現実の世界では、新技術の開発にはかなりの時間と労力を要します。そして、いきなり実用段階に持ち込んだ場合、期待通りに動作しないことがほとんどです。物語の中で技術を扱う際には、そうした現実的な側面にも配慮があると、より説得力のある描写になるのではないでしょうか。技術を魔法の杖のように扱う演出は、時として物語への没入感を損ねかねません。

技術の力を借りて困難を乗り越えるという展開を否定するつもりはありませんが、もう少し丁寧でリアリティのある描き方があれば、より物語に説得力が増すように感じました。


おわりに

そろそろまとめましょう。

FF14の物語へのこだわりは今回も感じられましたし、グラフィックスアップデートによる美しい世界の中を冒険するのは本当に楽しかったです。トータルではとても楽しめましたし、大好きなシーンや大好きなキャラクターもたくさんできました。

パッチ7.0は、FF14にとって大きな節目を迎えて再スタートを切った1作目であり、開発チームにとっても難しいチャレンジだったと思います。漆黒や暁月のような傑作を生み出した後で、新しい物語を始めるのは容易ではありません。しかし、彼らは見事にその難題に立ち向かい、素晴らしい世界を作り上げたと思います。

一方で、キャラクターや物語の掘り下げ方に一部不満が残ったのも事実です。中にはエメトセルクとスフェーンのように、過去の物語を繰り返しているように見える部分もありました。バランスを取るのは難しいとは思いますが、せっかく新しいメンバーで新しい物語を始めたのだから、過去の成功にとらわれず、新しい試みにどんどん挑戦して欲しいと思います。

とはいえ、これらはあくまで一プレイヤーの感想に過ぎません。開発チームの皆様には、プレイヤーの意見に真摯に耳を傾けつつも、最終的には自分たちの信じる道を進んでいって欲しいと思います。FF14の新しい物語は、まだ始まったばかり。次のパッチ、そしてその先の展開に大いに期待しています。きっと、また新たな感動と驚きに出会えるはず。これからの10年も、とても楽しみにしています!


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