本の読み方
最近、自分が成長していると感じることが多い。
アマゾンプライムでたくさん映画を鑑賞するようになって、自分の世界が広がっている。旅に出れずとも、たくさんの経験をしているような気持になることができる。だから邦画ではなく、洋画が好きだ。世界の街並みが見たいからである。
バイトが休業なこともあって、学期中はなかなか読めなかった本にも手を出すことができた。
しかし、自分の買った本はどこか小難しい本ばかりで、読むことに脳みそをフル稼働してしまうから、あまりたくさんは読めない。
死ぬまでにたくさん本を読みたいが、一日に一冊も読めないペースでは、毎日何冊も発行されている本には到底追いつけない。
すべての本が良書とは限らない。少なくとも、良書呼ばれている本はすべて読んでおきたい。
そんな風に考えている。人生はたぶんそんなに長くない。この一か月があっという間に過ぎていったように、これからの人生もあっという間に過ぎ去っていくのだろう。
自分に残された日にちを計算してみよう。
今18歳11か月と20日くらいなので、19歳ということにしておこうか。80歳ぴったりに死ぬとすると、自分に残された日にちはこうなる。
(80-19)×365=22265
自分には22265日生きることができる。一日一冊として、22265冊の本が読める。これまで読んできた本を合計しても人生では23000冊しか読めない。
Google Booksによると、世界の全書籍の数は1億2886万4880冊になるという。
でもこの情報は2010年のものである。これ以降は調べられていないのでわからない。
でも大体一年に8万冊くらい新しいものが出ている(この時点でもう追いつけない!)と考えると、10年間で80万冊だから、そこまで全体としては大きく変わるわけではないな。
人生で出会えるほんの数は限られているわけだ。今まで一万冊も読んでないだろう。ましてや千冊も読んでいないかもしれない。たくさんの人が、他人に伝えたいことがあって書いたものをとにかくたくさん読むことで、そういう人たちの考え方を自分のものにしていきたいと思う。
一日一冊は到底届かないから、人生で読めても5000冊くらいだと思う。その5000冊をどれだけ良いものにするかは、図書館でたくさん借りてみて、とりあえず読んでみる。途中で面白くないと思った本は自分には合っていないから読まなくてもいい。自分に合った良い本とあっていない悪い本はこのようなことを繰り返すことによって、だんだんわかってくるものである。
最初からいい本に出会えることはそうそうない。自分の人生の一冊、(いや3冊くらいにしておこう。)を見つけるころには、人生とはどういうことなのかが分かっていると思う。
読書は時に楽しくないこともある。課題のために読まされたり、仕事で読まないといけなくなったりする。そんな本は自分の興味の湧くものでなければ、読んだとしても、その本の内容は頭に全く入ってこない。
そんな経験ばかりをした気がする。自分の読みにくい本をわざわざ図書館で借りて、読んでいるふりをするのは時間の無駄ではないか。
自分の読みやすいものばかりではいけないと思うが、自分の読みにくい本ばかりを読んでいても一向に内容は入ってこないし、頭に定着しない。
そのような難しい内容の本を読むときは、小学生レベルでもわかるようにかみ砕いてある入門書から読むようにしている。
何事もいきなり難しいことはできない。水泳初心者に背泳ぎで世界記録は狙えないし、小学生に4次関数の問題を解かせることなんてできない(解ける子も中に入るだろうが)。
どんなに頭がいい人でも入門編から入るものである。入門編で語彙などを増やし、本編に挑むことで、入門なしよりは読みやすくなって、内容が頭に入ってきやすいのではないかと考える。
このようなことを繰り返していると、だんだんと入門書自体がいらなくなってくる。ほかの本で語彙が増えたため、多少の難しい内容は理解できるようになるはず。
という風なことを考えている。自分の読書スタイルは最近このような感じだ。人に読書スタイルを強制することは愚かなことである。人には人の楽しみ方がある。
小説ばかり読んだり、スポーツ選手が書いたものばかりを読んだり、自己啓発を読んだり、様々な形があっていい。
でも本を読まないのは、人生の100分の1くらい損している気がする。
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