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確率を“見る”ということ

 昔のいしいひさいち氏の4コママンガにこんなものがあった。

 宝くじを買おうとする祖母を高校生の孫がバカにして「当選確率って〇百万分の一だぜ。あんなに大きな北海道もこーんなちっぽけに」と北海道の地図を掲げてみせる。祖母が「ノン・アンビシャスボーイやな」と呆れてみせるオチ。宝くじの当選確率と地図の縮尺を強引に並べちゃうという発想がなんとも斬新に感じられたものだ。

 ググってみたところ、年末ジャンボ宝くじの1等の当選確率は2000万分の1。これだけではピンとこないが、交通事故で死亡する確率はその588倍、落雷による死亡の確率も28倍だという。また10キロのコメの袋40個にはおよそ2000万粒が入っているから、その1粒。頭がクラクラしてくる。

 こんなことを思ったのは、メジャーリーグ大谷のホームランボールを奪い合う映像を見たことがきっかけだ。50-50の節目にあたるボールなら何億円にもなるというから、そりゃあそれが目の前に飛んできたら目の色も変わろうというもの。

 しかし。

 あのだだっ広いスタジアムでまさに自分に向かってボールが飛んでくるなんてほんとに夢のような偶然で、期待するだけでも精神の無駄という気分だ。そして、ひとつのスタジアムに5万人が収容されているとすれば、満員のスタジアム400個にひとつだけ飛んでくる大谷ボールをゲットする。それが2000万分の1の確率だ。もちろん「1等7億円なんて高望みはしません。2等の1000万、いや、3等100万でも当たって!」という期待で買うのだろうが。

 北海道の地図と大谷ボール。どっちが絶望的な気分になるだろうか。
(24/10/12)


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