ふっふっふ、まだまだ赤ん坊よのう
会社が開催したAI活用のための講座を受講した。社員としては定年退職した立場ながら、スタッフ職で居残っているために受講できるもの。講座は基礎の基礎からやってくれたもので、最低限の常識として触ったことくらいはあったので、そこに戸惑いはなかったところ。
それよりも、日進月歩で進化しているとされるAIサマのお手並みを拝見したくなった。
業務で社内報的な媒体にコラムを書いている。ちょうど年末向けのネタの下書きをやろうとしていたので、構成のために書き出した要素を提示、「社内報コラムを書いてください」と指示した。もちろん「お手並み拝見」だけでなく、要素がとっちらかってまとめあげるのが億劫になりそうだったのでラクをしてやろうというサボり根性があったことは否定しない。
AIくんが出してきたものに驚いた。単語の羅列だった私の要素に助詞などを加えて文章にした「だけ」なのである。文章として破綻はしていないが、逆に言えば「それだけ」。
もうひとつ。
年末のこの時期はウチの部署で出す翌年のスローガンの検討を始めることになる。最終的に決めるのは最高首脳なので、私たちはあくまでも「案」をたくさん提出するだけだが、とはいえ、「今回こそは俺の案を採用させてやろうではないか」と毎年意気込むものだ。
これもAIくんにアイデア出しをやらせてみたが、やはり出てくるのは「お前は昭和の会社か」という陳腐で古臭いものばっかり。「数撃ちゃ当たる」のひとつの弾として提出する気にもならない代物ばかりだった。
世の中には、業務のメールなどでも文章を書くのが嫌で嫌でたまらない、だからいつまでたっても上達しない、という人が一定数でいるらしい。私にしてみれば“書くべきこと”が決まっているならそれを文章化すればいいだけのように思うのだが、それが苦手なのだろう。そういう方にとっては現在の生成AIでも十分に時間短縮や負担軽減になるだろう。
しかし。
やはりコラムのような文章やスローガンのための発想などは、筆者なりの視点とそれを楽しく提示する文章の面白さが肝心。そこのトコロでいまのAIさんは人間サマにまったく太刀打ちができないのね。ちょっと安心した次第だ。
(24/10/11)