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ニュースに“休み”はない・・・のだけれど

新聞休刊日の朝は、玄関でがっかりする。西日本はまた大雨になる予報だし、アフガニスタンではタリバンが首都のカブールを陥落させたし、そういえばきのうのプロ野球の結果も確認していなかったのに・・・。

いろいろなしがらみはあるだろうが・・・

休刊日は毎月やってくる。販売店の従業員さんを休ませることも必要だろうし、かつては記者も留守番役だけを残して大挙して社員旅行に繰り出していた(軍隊用語「全舷(ぜんげん)上陸」を援用して「全舷」と呼んでいたらしい)。いまはWEBの記事更新もあるし、そもそも「みんなでわーっと社員旅行」などという時代でもないので、どうなっているのかな。

「五輪開催は東京に決定」の日が休刊日だった

ブエノスアイレスでIOC=国際オリンピック委員会のロゲ会長(当時)が「トーキョー!」と紙を見せて滝川クリステルさんらが飛び跳ねていたのが現地時間2013年9月7日午後=日本時間で8日の午前5時すぎ。この日は日曜日で夕刊がないので、通常であれば次の発行は9日(月)の朝刊。ところがこの日は休刊日に設定されていたため、夕刊でやっと「2020年のオリンピックは東京に決定」が掲載されたことになる。決定の瞬間からざっくり36時間後。あれだけ国民が固唾を呑んで見守っていた投票結果をそこまで伝えずにいたのである(夕刊がない地域では火曜日の朝刊が初掲載)。事件・事故の“発生モノ” ならいざ知らず、開催地が決まるIOC総会の日程はずっと前に出ていた。あとで週刊誌が書いたところでは、休刊日を移動させようという議論は特に出ないままだった、という。あの日は読売新聞が16ページにもなる号外を発行して購読者以外にも配達していた。流石の販売戦略だが、他社がどうしていたのかは記憶にない。そういえば産経新聞は一時、各社の休刊日にもあえて朝刊を発行して差別化を図っていたが、いつの間にかそれもやっていないようだ。

新聞社の将来~ビジネスモデルはどこに?

祖父が新聞記者で伯父は通信社記者だったので、基本的に私は新聞社にシンパシーを抱いているし、民主主義にとってその取材力と分析力は絶対になくなってはいけないものだと思っている。それだけにこの旧態依然のビジネスモデルはなんとかならないのか、との思いは強い。このままでは「紙による配達体制は崩壊」して「一部の好事家だけが高額の購読料を支払って読む“教養の書”」になってしまうのではないか。

夕刊もなんとかならないのか。全部で数ページだけ、しかもニュースが載っているのはそのうちのさらにわずか、ということも多い。手にするたびに「嫌々発行するぐらいならやめちゃえよ!」とイライラさせられる。夕刊を廃止した産経新聞は英断だったと思うし、ほかの社がそれに追随しない理由は何なのだろう?そもそも、いま全国紙でも夕刊を発行している地域はどれくらいなのだろう。

テレビ局の報道部門にいた頃、多くの新人は宅配の新聞をとっていなかった。それに半分呆れつつ、「ニュースは継続が大切。最低でも一紙は自腹で購読して、毎日読み続けろ。各紙の読み比べなら出社してからやればいい」と指導していた。「雨が降って濡れちゃった靴の中にも入れられるし、引っ越しの時に食器も包めるよ」とカマすことも忘れなかったが、どこまで従ってくれていたのか。
(21/8/16)

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