「セクハラ」報道のウラにあるもの
愛知県警の警察官が、署長だった頃のセクハラで訓告処分になった、という報道が出た。
たとえ「いやいや、あれは親しくなるための軽口でした」と弁解しても、被害を受けた側が不快を感じればそれは立派なセクハラ、決してあってはならないことだ。
しかし。
この記事を読む限り、この署長は「女の人に手を握られるとうれしいんだよ」などと言ったことがセクハラにあたるという。うーむ、もし本当にその一言だけが訓告の理由なのだとしたら、それっていささか厳格にすぎないだろうか。
これにはきっとなにかウラがあるに違いない、と勘ぐってしまうのが報道記者をやっていたころの習性。以下、なにか根拠があるものではなく、勝手に想像してみただけの“思考訓練”として記す。
・当日はもっと酷いことを言ったりやったりしていたが、詳細が掲載されていないだけ。
・かねてよりセクハラ言動が頻発していて問題視されいた。
・セクハラだけでなくパワハラなどもあり、当日の言動は“氷山の一角”。
・県警内部の出世争いまたは権力闘争で、新聞に処分をリークされた。
「懲戒処分」よりも軽い「訓告」のようだが、いずれにしてもこのように報道されると、この元署長さんのキャリアは“もうおしまい”ということになるのだろう。
「偉くなった」「ならない」に限らずセクハラは決してあってはならない。「隙を突かれたくなければ聖人君子たれ」という時代なのである。
(22/3/12)