はじめのエッセイ[Imbackプロジェクトその2]
20230904追記
気が付けば、このエッセイを書いた翌年の科研費申請も、ほぼ終わってしまいました。しかし、自分の頭が科研費向きになっているうちに、加筆修正して完成させたいと思います。また特にこの「エッセイ」は、自分で読み返していても、長くなってしまったと思います。申請書作成に向けて急ぐ方は、読み飛ばしてください。
Imbackプロジェクトについて
このコロナ禍で、研究に大きな影響を受けた研究者の方も多いのではないかと思います。特に、「教育を重視する」大学の教員、つまり、いわゆる研究大学ではない多数の大学で、日々の講義対応や実務対応に追われていた方の中には、研究が止まってしまった、そろそろ再開しなければ、といった方も多々お見受けします。私自身はといえば、研究費申請書のチェックなどを主な業務とする研究支援の会社を立ち上げたのは良いものの、コロナ禍で多大な影響を受けました。他幾つかの事情も重なり、公私共に順調とは言い難い状況です。そこで、自分の研究に戻るぞ、研究者としての自分を取り戻すぞ、という方々を応援すると同時に、私自身の仕事を立て直すという意味も込めて、Imbackプロジェクトと銘打って、これまでの研究支援活動で蓄積したノウハウ等を公開していくことにしました。
何を試みるのか
何をしていくのが良いのか、何を公開すると意味があるのかと考え、科学研究費助成事業の特に基盤研究(C)、若手研究の計画調書作成において、採択されうるために重要なポイントとそのプロセスを示していくのが良いと考えました。研究=科研費では決してないのですが、研究のサイクルを回すには資金獲得はほぼ最初のステップであり(下図参照[1])、科研費はその中でもすべての分野の学術研究者に開かれています。このプロジェクトは、科研費獲得に向けて努力されている研究者の方々、特に「教育を重視する」大学教員の方々と、私自身のために行います。その意味を込めて、今後はたびたび「我々」と表現したいと思います。
どのような方を主な対象とするのか
科研費計画調書(申請書)作成に向けた本やインターネット上のコンテンツもすでに多数存在します。そこに私がもう一つ加えるにあたって、同じようなものではあまり意味がありません。そこでまず、科研費を取るのに、数年以上に渡って努力が中々実らない方々を主な対象にしようと思います。そういった方の申請書には、幾つか共通する癖のようなものがあり、それに対するアドバイスなどもほぼ決まっている一方、あまりコンテンツにはなっていないと思います。私自身、研究支援の仕事をしていると、科研費申請に苦戦されている教員・研究者の方々から、興味深い研究アイデアや研究経験、あるいは研究に活かすことのできる独自の経験の話を伺うことがとても良くあります。ただそれは、大抵は面談など直接接して初めて私も知るものであり、元の申請書ではまずわからない、つまり評価者にはまず間違いなく伝わっていないものだと思います。それはとてももったいない。そこで、研究者としてすでに経験を積まれている方が、その経験を「採択されうる申請書」にどのように持っていくかに焦点を絞って、基本的なところからお伝えしていきたいと思います。すでにご自身で実行されている点は、どんどん読み飛ばして頂ければと思います。
また、すでに研究者として経験を積まれている方には、細かく書き方の話をするより、科研費とその申請書について、どのような考え方、捉え方があるかをお伝えした方が、汎用性が高く、またそれぞれの分野の独自の状況にも合わせやすいと考えました。私自身も(元研究者として)そうなのですが、研究者の性質として、考え方や捉え方が提示されたときに、その理由を知りたくなり、またそれを知ることで理解が深まる方も多いかと思います。このコンテンツでは、私が今までの経験[2]で得てきた、それは何故かといったところは、注釈を中心に説明していこうと思います。
「教育を重視する」大学教員にとっての科研費の重要性
「教育を重視する」大学の教員の科研費申請に特に着目する理由は2点あります。1点目はこのコロナ禍で大きく影響を受ける可能性があると考えているからです。私も大学の身近でそれなりに長く仕事をしてきましたが、この2年間はこれまでに見たことがない様々なことが起こったように思います[3]。現在、表面上は元に戻りつつありますが、大学は何を失い、あるいは何を得たのか、学生はどのような機会を失い、あるいは何を得たのか、各大学で教員方一人ひとりが自問自答されていることと思います。その中で私は、大学が新しいことを生み出す雰囲気[4]、特に学生がそれを味わう機会が相当損なわれたのでは、と懸念しています。学生を惹きつける新しいことは、研究によっても生み出されます[5]。その研究をどうやって活性化、再活性化させるかといった際に、特に「教育を重視する」大学でこそ急ぎ取り組まなければならないのではと思います。
2点目は、近年「教育を重視する」大学も積極的に科研費に応募するようになっていますが、「研究」大学[6]とのノウハウの蓄積などで差があると実感しているためです。その差は大学の組織的な努力の結果であり、肯定的に捉えられるべきもの[7]ですが、一方、そのノウハウ自体が良い研究につながるとは限りません。また、大学間の競争が激しくなる程、ノウハウが伝わりにくくもなります。つまり、科研費を日本全体の良い研究アイデアを可能な限り拾おうとするシステムとしてみた時[8]、あまり望ましい状態ではない。また、日本全体の研究の活力を、一人でも多くの研究者が十分にその力を発揮しているかどうかとしてみた時にも、あまり好ましい状況ではないでしょう[9]。このコンテンツは個々の研究者の方に向けたものであり、これ以上政策やマクロな話に立ち入る必要はないと思いますが、科研費を日本国のシステムとして捉え、我々の立ち位置を明確にしておくことは、申請書作成にあたっても有効です。国の補助金は、その根本的なところで、自身の立ち位置と方向を明示して、それを国が認めて、初めて得られるものだからです[10]。
このように、我々が科研費を獲得することは一つの新たな研究のスタートになるだけでなく、上記2点とあわせて大きな波及効果が見込まれ[11]、積極的に挑戦する意義があることをお伝えしたいと思います。
科研費申請はすでに学術研究活動の一部なのではないか?
最後に、科研費申請に改めて向き合って下さる研究者の活動は、研究活動そのものだと、私は強く主張しておきたいと思います。多分無駄になる事務仕事ではなく、今や学術研究の始めのステップそのものなのです。また現在では、ほとんどの大学において、教員が科研費の申請書を作成しブラッシュアップすることを、少なくとも仕事と認めています。その仕事の結果、来春我々が科研費をついに獲得し、研究に本格的に取り組めるようになれば、最高です。また、例え科研費が獲れなかったとしても、よりよい申請書を作成しようとした努力が、研究活動に戻るきっかけとなり、また研究自体も少し前進させると信じています。このことは、世の中とまでは言えなくても、所属する大学に、そして所属する学科の学生達に少なからぬ活力を吹き込むことでしょう。また、活力を吹き込むようにしなければなりません。
とはいえ、そこまですごいコンテンツができるとは全く思っていません。私の仕事の経験上でも、研究者が科研費申請の添削本を買って読むことやセミナーに参加することは、申請書の下書きに基づいて面談や修整を行った場合と比べて、その効果が格段に落ちるのが実際です。これは、個別具体的に第三者が指摘しなければ中々気が付けないことが、申請書に関しては数多くあるためでしょう。また私自身、正直なところコンテンツ作成が苦手で、文章も上手くないことを自覚しています。それでも、私自身インターネット上の文字情報という形式で、どこまで一般化してお伝えできるか、まずは挑んでみたいと思います(少なくともそれまでは無料の予定ですが、この段階でご支援頂けるとそれは大変ありがたいです)。是非フィードバックをお寄せください。可能な限りこのコンテンツ自体に反映させたいと思います。この取組が国や各大学・研究機関の取組の補完となり、そして何より我々の中から一人でも二人でも、来春には科研費に採択される方が出てくることを心より願って、このプロジェクトを始めます。
[1] Hessels L. K., Franssen T. Scholten W., and de Rijcke S. (2019) Variation in Valuation: How Research Groups Accumulate Credibility in Four Epistemic Cultures. Minerva 57 127-149. より。この図の整理は、The credibility cycle (Latour and Woolgar 1986)に基づいています。研究者としての評判・周囲からの認知(Recognition)が蓄積していく仕組みを理解することは、研究者としてのキャリアパスを考える上でとても重要です。それと同時に、私はこの図において、研究資金(Money)と論文出版(Publications)については他からの矢印がない点に着目しています。そして、このサイクルをどこからまわせば良いかといえば、論文の投稿・出版についても多額の費用が必要となる現在、研究資金(獲得)からであると考えます。
[2] 私(岡本)は、自然科学系の研究者をした後、ファンディング機関、大学のリサーチアドミニストレーション部門等で働き、また同時に、研究評価や科学技術政策について大学院等で学んできましたが、その中で得た知識と経験で使えそうなものはできるだけ書き出すつもりです。そのため、視点が安定しない、話の整合性がとれないといった部分も出てくるかもしれません。ただ、我々が一番納得できそうな理由、申請書作成にあたって役立ちそうな理由といったあたりを優先して説明していきたいと思います。
[3] 若干ポジティブな方向の変化でいえば、大学がこれほど素早く対応できるとは思わなかった、入試方法の見直しにより学生の多様性が増した、といった意見も主に欧米の大手大学からは聞こえます。しかし、「教育を重視する」大学では、そこまで楽観的な方向ではないと私は感じています。
[4] 例えば、R. ホフスタッターの古典的名著「カレッジの時代※」などをみても、研究、そして学問の自由は、少なくとも米国では200年以上前から、優秀な学生と教員を惹きつけるためのものでした。そこで重視されるのは、新たに得られる知識自体というより、新しいものに触れられそうな雰囲気ではないかと思います(米国は西欧に比べれば、新たに得られる知識自体も重視しますが)。つまり、実際に触れてみるまでそれ(知識・研究活動)が何かはわからない時は、まず触ってみたいと思わせることが先に来るはずです(研究者だけでなく、学生も、一般の方、そして財務当局も)。
※ 学問の自由の歴史I カレッジの時代、R. ホフスタッター 著、井門富二夫、藤田文子 訳、東京大学出版会、1980
[5] これは研究に限らず、新たな(珍しい)設備、体験であっても可能です。
[6] 本稿は、「教育を重視する」大学と「研究」大学に、とても雑に2分していますが、厳密なものではありません。「教育を重視する」大学は、地方、小規模、私立の大学が多いですが、それに限るものではありません。また、「研究」大学は、研究大学モデルに基づいて、大学ランキングなどで戦っている大学が主になりますが、こちらにも教育を重視する大学はもちろん多くあります。その意味でそれぞれ「」でくくっています。「研究」大学でも、科研費で苦戦されている方は実際に多数おられますが、本稿が少しでもご参考になればと思います。
[7] 私が見聞きする限りですが、政策の方向としてはそうなっていると思います。例えば2018年中央教育審議会答申「2040 年に向けた高等教育のグランドデザイン」p11参照。
[8] ボトムアップとは、そういうことではないかと思います。なお科研費は、長年ボトムアップ型の研究資金として制度が構築されてきていますし、その特徴を強く持ちますが、近年、文部科学省及びJSPSはボトムアップ型研究資金であるとの表現を控えている印象もあります。
[9] この段落の内容は、独立系研究者や企業で研究を主に行う研究者についても言えます。
[10] 多くの省庁で、補助金とは何かといった際に、「補助金とは、国が特定の事務、事業に対し、国家的見地から公益性があると認め、その事務、事業の実施に資するため反対給付を求めることなく交付される金銭的給付」とした資料があり、またその理解に基づき公募要領や申請フォームに落とし込まれ、申請者が意識することは少ないです。なお、補助金取り扱いの法的根拠である「補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律」(補助金適化法)自体にはこの内容が明示されてはおらず、私の知る限り、補助金とは何かについての法的根拠はそれほど明確ではありません。
[11] このあたりは学術的にもっと詰めていきたいところです。なおここで挙げたことは、現時点ではシステムとして学術的にはっきり観察されているものではなく、実務的にそう感じるといったレベルのものです。