もっと自分を甘やかしてもいいんじゃないか?
「"はるちゃんて一人っ子だからワガママだよね"って言われないように」
幼い頃はそんなことばかり気にしていた。
いや、つい最近まで、かもしれない。
「一人っ子なの?見えない!」と言われれば安堵し、「一人っ子っぽいよね〜」と言われれば、いつどこでワガママ言って迷惑を掛けてしまったんだろう?なんて自問自答のループにハマっていた。
今思えばこれは、母親から熱心に刷り込まれた「ステレオタイプ」だった。
(母は人一倍私のワガママを気にしていて、私もそれに引きずられていたように思う。)
そんな他人からの押し付けや常識に加えて自分の思い込みが折り重なり、気付いたら随分と窮屈になり、「できないこと」にばかり目を向けるようになっていた。
誰よりも私が私の小姑みたいな存在で、重箱の隅をつつくように自分の粗探しをしていた。
「もっと〇〇ができるようにならなきゃ」
「こんなこともできないから私はダメなんだ」
「このままだと人に嫌われてしまう」
こんな感じで「ねばならない」に支配され、「嫌われてしまうのではないか」と人の目ばかり気にしていたように思う。
だから、本当は好奇心旺盛で鉄砲玉みたいな私の性格は、周囲に迷惑を掛けるし出る杭打たれるし良いこと無いので、封印した。
代わりに、苦手だった空気を読むことや興味がなくても我慢してやり続けることを自分に強いてきた。
学生時代も、社会人になっても、できることを伸ばすよりも、できないことを克服することに力を注いできた。
努力とはすなわち、苦しいことなのだと思って生きてきた。
でも。
いつも心のどこかで、わずかな違和感も感じていた。
私なんかよりもずっと自由で他人の迷惑も顧みない人がいて、でもその天真爛漫な明るさに周りが勇気付けられるような、そんな人も確かに存在する。
その違和感は自分の中で少しずつ大きくなった。
いろんな出会いや出来事と向き合ううちに、だんだんと思い込みフィルターが剥がれていって、やっと最近気付いた。
私は私を、もっと甘やかしてあげていいんじゃないか、と。
もっとやりたいことをやっていいし、
できないことはできないままでいいし、
環境に自分を無理くり合わせなくていい。
わざわざ自分が自分のことを追い詰めて、小さな居場所の中に押し込めて否定してフルボッコにしなくてもいいんだ。
不思議なもので、自分が我慢していると人にも我慢を求めてしまう。
「私だって我慢してるんだから、あなただって我慢すべきなのよ」と。
これまで私がプレッシャーを感じてきた社会は、そうやって我慢してきた誰かや何かが作り上げてきたものなのかもしれない。
逆に、自分を自由にしてあげていれば、人が自由でも寛容になれる。
「私は好きにやってるから。あなたも好きにやっていいのよ」と。
そうやって自分らしくいられる居場所は、どこかにきっとあるはず。
そんな風に思えるようになったのは、noteやTwitterを始めたからなのかな。本来の自分のままでいても、受け容れてもらえる場所があるんじゃないかって、信じられるようになってきたのは。
あなたはあなた、わたしはわたし。で、いられる場所。
もっともっと、自分のことを甘やかしてあげよう。
毎日をできることとやりたいことで埋め尽くして、好奇心旺盛で鉄砲玉みたいな自分のままでいられる場所を、いつか見つけられますように。
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