ココロ:不足する愛と揺るがない愛
なぜ、変わらないものを望みながら
どうして、まだ足りないと渇くのだろう
…
好かれたい
結婚したい
うまくいきたい
働きたい
お金を稼ぎたい
たい
たい
たーーーーーーい ( ;□; )
…
人というのは欲求を持っている
…
こいつの根源は
愛
…
これが不足していると感じると
それを求めて「〜たい」という欲求になる
…
例えば
いま無職であり
仕事をしたい、という条件で紐解くと
周りが働いているが自分は働いていない
働いていないと成功してると堂々とできない
小さい頃から憧れていた仕事がある
生活するには仕事が不可欠だ
ワクワクするものを発見した
などなど
いまの自分(無職だとして)には不足している
もしくは今の自分にはないものがそこにある…
その利己的な愛
その愛が足りてないと思うからこそ
仕事をしたいと感じる
…
つまり、
自分は働いて「ない」
成功して「ない」
憧れていたものになって「ない」
生活するのにして「ない」
ワクワクが自分には「ない」
ないから求めている
…
いやいやいや…そんなはずがない
と思うかも知れないが
これが「ある」としたらどうだろう?
…
いま自分は仕事がある
成功している
憧れられる立場にいる
生活できてる
ワクワクが溢れている
この状態であるのは
仕事を続けたいではあっても
無職からの脱出ではない
因みに続けたいは
愛がある状態を望む欲求となる
そして、あればあるほど
気持ちよくなり、快楽を得られる
不足だった愛は満たされ
溢れ出して快楽になる
…
…
…
ところが愛にはべつの愛もある
この愛を先程の仕事で捉えると
…
自分は働いていようとなかろうと幸せだ
成功とか無関係に幸せだ
小さい頃から憧れはあってもなくても幸せだ
どうあっても生きていけるから幸せだ
ワクワクとかしていなくても幸せだ
…
こいつの根源も
愛
しかし、これは
無条件の愛
…
これには不足がない
不足とは条件付けがなければ生まれてこない
…
不足なければ
〜たいが起きない
欲求がない
快楽が伴わない
…
穏やかに
揺らぐことなくそこにある
不足も満ちるもなく
全であり一であり、一であり全である
赦すというもので包まれている
実は本当に成功してる人もこの状態にいる
…
…
…
どちらにせよ
ともに愛
それでも条件付の愛に囚われると
快楽を得るための欲求が起こり
それは進むためのエネルギーとなるが
万が一、進めなくなると
苦しくなる、イライラする、自信をなくす
対して無条件の愛だけだと
穏やかで揺るがないもので包まれているが
進もうという欲求は起きないから
苦しまないし、イライラしないけれど
快楽はうまれてこない
…
もしも、いま
自信をなくし、やる気なく
不安や焦り、イライラなどに覆われているならば
無条件の愛だけを意識したほうがいい
条件付の愛は刺激物で毒になる
…
もし、自信に満ち溢れているならば
無条件の愛に確りと包まれながら
条件付に手を出していけばいい
…
そして本当に豊かな人は
無条件の愛に生きながら
気分次第で、余暇として条件付もしてみるといい
…
だから誰にでも言えることは
生きてる事こそが一番幸せなんだって事
揺るがない無条件の根源は
生きていること、そのものだから
…
そろそろ、気づこうかな
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