ココロ:自分の今を未来を誰かに決めさせるな
目的論というものを学んで消化して
思うのだけれども、て話し
…
目的論
それは、こういう事なのではないだろうか
自分に制限はない
自分は過去に基づかない
自分は今を自由に選択できる
自分は自由に選択したものを過去にする
自分は過去に意味をつけるが
未来から時が今にやってきて過去へと過ぎ去っていくのだから、過去から未来へ繋がるような事はどんだけ強引な事をしようとしているかわかるはずだ
つまり過去をどう感じようと意味をつけようと、それを参考に今や未来を描きださない限り、何も変わらない明日はやってこない
だから
どう感情が動こうと緻密に精密に距離も空間も色彩も寸分違わぬようにしなければ今日と同じ明日はこない
あなたがどんなに
私の毎日は平凡で同じ事の繰り返しだと言っても相当な努力と修練と繊細さをもって、さらに天候や気温、社会や地球そのものまでも、あなたの力でコントロールしなければ
今日と変わらない明日はやってこない
…
これは悲観する事ではなくて
未来=今は自由に自分の意思で好きなように変えていけるというトンネルの出口のごとく明るいものだ
ありたい今=未来を透明で無限なキャンバスに好きなように好きな色で好きな形で描きだし
それが描きだされていきながら、それが過去になっていく
そして少しずつ、好きなように描きだしたものが
過去=実感となり、好きなように描きだしていればいるほどに、その過去は幸せなものになっていくし
その幸せは積み重なっていく
好きなように描きだしたものは幸せを実感させ
好きなように描き続ければ、幸せは積み重なっていき好きなように描き続けることを止めなければ自分は生きているだけで幸せだなと思う
…
そう考えると自分のキャンバスを誰かに描かせると大変だってイメージがわいてくる
誰かのため、
誰かに喜ばれるから
誰かに怒られるから
誰かに好かれるから
誰かに嫌われるから
そう誰かを基準に描きだせば誰かのための未来だけが創造されていく
稀に自分も共感できるけど誰かのために描きだしたものだから
なんか、しっくりこない
なんか、辛い
なんか、自分にとっての幸せがなんだかわからない
そんな事が過去へと積み重なっていく
…
今まで、この瞬間まで好きなことがわからない幸せがわからない、そんな事を描いていたのなら
ちょっとノートにでもいいから今までの自分を完璧に無視して自分に問いかける
最終的な目的は自分のためだと、声を大して言えるのか?と
違和感が湧き上がってきたら、とりあえずやめる
でも、なんかの拍子に
らしくないな…なんて思ったとしても
こうありたい、というのが湧いてきたら
メモしていくでもいい
少なくとも
誰かのための生き方を止めていく流れで自然と誰かのために生きるというものは枯渇してら自分のための時間が溢れ出してくるよ
でも、覚悟をもって誰かのためを切り捨てる…
それがいる
なぜなら、厳しい言い方かも知れないけれども
誰かのためのほうが簡単だからだ
誰かのためというのは
空間が制限され、最初から線が引いてあって
塗る色も決められていて、その通りに塗っていく
下手したら着色されたジグソーパズルかもしれない
そう、創造するものが何一つない
これならば
大人の塗り絵のほうがまだ創造性がある
こんな枠にはめるだけの世界から脱げ出すためには…まずは、この枠の中の色は自分で決めるとか、ここの線はなくすとか、ここまでがキャンバスだとかなくすとか
そういう風に自分の未来を誰かから奪い返していく事がいる
…
自分の未来を自分で描き出すと、あなたの人生は誰かからすれば自分のものだとおもっているから
まー怒るか、悲しむか、相手の立場を考えろとか、優しくないとか、信じられないとか、そういう反応があるかも知れない
まったく失礼な話だ ╮(´・ᴗ・` )╭
でも、あなたが自分のキャンバスを誰かのためってしていたせいで誰かさんは勘違いしたんだから、まー仕方ない
…
だから、怒らせても嫌われても仕方ない
それでも
自分の未来=今を
自分の好きなように描きだしていく覚悟をもてば
好きなことがわかってくるし幸せがなんだかわかってくる
そうして
好きなように描きだしている、あなたの事が好きな人が集まり、好きな環境に囲まれる
…
一つ一つ丁寧に
誰かのためをやめてみる
…
あなたの今を誰かに決めさせるな
あなたの未来を誰かに描かせるな
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