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アリの巣

「ねえ、地球上の生き物みんなが人の言葉を話しはじめたら一体どうなると思う?」
 今から随分と昔の話だ。ある昼下がり、真上の太陽がさんさんと光を降り注ぐなかで、ふと友人がそんなことを言った。まったく風のない、春と呼ぶには暑い日だった。
「そしたらぼくら、今にも人殺しになるねえ」
 そのとき私はそのようなことを口にしながら、友人が手にしているバニラ味のアイスバーがじわじわと溶け、白と呼ぶべきか分からないぬるい色が彼の手頸を伝うさまを眺めていた。四月も始まったばかりだというのに、友人はすでに夏の真ん中に立つさながらに小麦色に日焼けしており、彼が春休みの宿題に一切手を付けていないことなどは最早聞くまでもないように思えた。
「人殺し?」血液みたいに流れるバニラアイスを舐めとりながら、彼は言った。
「うん」
「なんで?」
「だって、人の言葉を話せるんでしょう?」
 私の言葉に、しかし友人は不思議そうな表情をするばかりだった。どうして彼はいつも、これほどまでにおそろしい発想ができるのだろうか。家の扉を開け、外に出た瞬間から足元で小さな生き物たちの断末魔が鳴り響く世界の姿など、常に自分が誰かを傷付ける世界の姿など、願われたって想像もしたくないというのに。
「こんな話はもうやめよう。悲しくなるよ」
 言えば、友人はぱちりと短く瞬きをしたのち、ごめんごめん、と中身が空っぽの謝罪をした。それから彼は食べ終えたアイスの棒を地面に放って、靴の上にまで垂れたアイスを指先でぎゅっと拭う。
「あっ、ぼく、アリの巣を踏んづけていたよ」そこでやっと気が付いたように彼は片足を地面から上げた。「なるほど、大虐殺をするところだった」
 そう言ってからりと笑う彼のことを、確かにあのときの私は心の中で嘲った。もう、随分と昔の話だ。名前も思い出せない彼は今、一体どうしているだろう?
 不意にそんなことを考えながら、私は手首の手錠を見下ろした。この部屋は、寒い。


20220316 執筆

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