アルバ
遠い街の灯りも、空の上では星の光に見えた。
心臓のどこかでそんな風に思いながら、アベルは星の海を泳ぎ往く。ジークと共にあの城下町を飛び立ってから幾日か過ぎ、ジークの危うげな飛空艇の操縦も少しずつ安定してきた。もちろん、まだ幾らか危ういところもあるが。
ジークの傍らに立ち、窓から眼下の街灯りを眺めていたアベルは、その視線を飛空艇を操縦しているジークの手元へと移した。ああ、おれが操縦するよりは何倍もましだ。アベルはジークの肩を叩いて笑った。
「ジーク、そろそろ降りるか」
ジークは目線だけアベルの方へやって答えた。
「俺はまだ平気だが……」
「いいや。いくらこいつが魔法石で動いてるからって、こう操縦にかかりっきりじゃお前の身が持たないだろ。見えるか、向こうの? あの洞窟の中に着陸させよう、できるかジーク?」
「……できるさ」
高い崖の上に在る広い洞窟の中へ飛空艇がすっぽりと収まっていくのを、中に乗っている自分が飛空艇になったかのような気持ちで見守りながら、アベルは視界の端で何か、窓越しに星のようなものが瞬いたのを感じた。洞窟に星。恐らくは、とおおよその検討を頭の中でつけながら、アベルは飛空艇の外へと出て、洞窟をぐるりと見回した。星の光。
アベルが振り返ると、ジークが飛空艇から降りてきて驚嘆の声を上げた。
「これは……」
「ああ。……綺麗なもんだなあ」
薄暗い洞窟の中に存在したのは、色とりどりの光を宿している鉱石群だった。洞窟の地面から天井まで届くほどの大きな石たちが、奥の方まで壁に沿って無数にそびえている。その中の一つにアベルが手を触れた。石のことにはさほど詳しくないが、触れた指先から光の流れのようなものが身体を巡るのを彼は感じ、短く息を吐く。
これは、魔法石だ。アベルは飛空艇を振り返った。あれも動力部分は魔法石でできている、一種の魔法道具だ。魔法道具なら、自らの魔力を増幅させるために幾つか自分も持っている。魔法道具を作るには魔法石が必要だと習っていたが、なるほどこれを加工して様々な道具が作られているのか。魔法石に触れている指先から未だ力を感じる。まるで魔法石の鼓動に触れているようだ。何故だか今は、この石を一つの命のように思った。
視線を隣へ移していくと、或る、赤い光を宿している魔法石に目が惹きつけられた。どうにも見覚えがある。アベルは頭の中を探るように視線を眉の方へやり、その後ジークの方を向いた。それに気が付いた、空のような色を湛えたジークの瞳がアベルの方を見る。それでアベルは合点がいったというように頷いた。
「ジーク。お前、赤い石を持ってたな? ひし形の?」
「うん?……有るが、それがどうかしたか」
「ちょっと見せてくれ」
ジークが怪訝な顔をして上着の内側から赤の石を出した。その燃えるような赤は血というでも、また炎というでもなく、敢えて言葉にするとしたら、朝焼けの一等赤いところの色を宿していた。
アベルが石を受け取り、背後の赤の魔法石と見比べる。しばらくそうしてから、ひし形の赤い石はジークの手のひらの上に再び戻された。
「それが此処で掘り出されたものかどうかは分からない。けどたぶん、お前のそれと後ろの石は同じ種類の魔法石だぜ」
「俺のこれが……魔法石?」
アベルは頷いて、背後にそびえる赤い魔法石の方を指し示した。
その魔法石のおかげで、おまえは過酷な環境下の元、己の家族の中でたった一人生き延びることができたのかもしれない。その言葉が喉まで出かかったが、アベルは息を吸い込むと同時にその言葉を奥の方へ飲み込んだ。これは言わなくてもいいことだ。おそらくあれはジークの家族の形見なのだろう、彼もそのことに何となくだが気付いているはず。ならば、魔法石から力をもらって生き長らえてきたということにもいずれ気が付くだろう。いいや、もう気付いたかもしれない。
ジークの手のひらがそびえる赤の魔法石に触れた。瞬間、ジークの瞳から光のようなものが零れ落ちる。
「……泣くなって」
「泣く……?……ああ、確かに……。――悲しくも、嬉しくもないのに、勝手に出てくる。訳が分からない……いや、でも……随分久しぶりに涙を流した気がする。……少し、想い出したよ」
「……家族のことを、か?」
「母のことをぼんやりと……だが。冷たい床の上で、歌を歌ってくれた……なあ、アル。お前はどうして俺を拾った?」
問われたアベルはしばらくたくさんの色を放っている魔法石の方を向いて押し黙っていたが、ジークの方へ向き直ると、その青の瞳を捉え、自身は目を細めて笑った。
「お前の心がお前のものだったからだ」
「……心」
「お前は奴隷だった、生まれたときからずっと。だろ?――けどお前は、心まで奴隷になったことは一度たりともないんじゃないか?」
「……ブレッカー家、ジークの名に懸けて」
「ジーク――さながら〝心を己の手にする者〟ってわけだ」
ジークは少しだけ笑い、それから再び疑問の色を瞳に浮かべた。
「しかし、それは……理由とは言わないんじゃないか?」
「足りないか?……お前の心がお前のものだった。お前の陰っていた目には、確かに生きることにしがみつく意志が宿っていた。その強さ、意志、心が欲しかった、必要だったんだよ。だから盗んだ、見る目のない富豪から、な」
ジークは頭を左右に振って、もしかすると見る目がないのはお前の方かもしれないぞ、と言いながら、呆れ笑いの混じった息を吐いた。
「――おかしなことを聞いた、悪い」
「別に構やしねえよ。……ともかく、俺の羽はお前がよかったんだよ、それだけだ」
「……ああ」
「それに、お前がいなかったら飛空艇はとっくに墜落してただろうよ。……つまり、俺に見る目はあったってわけだ」
「……それもそうだな」
少し笑ってジークはひし形の赤い石を上着に仕舞い、それから再び目の前の大きな赤の魔法石へ手を伸ばした。ジークの指先に、朝焼けの光が舞って見えたような気がする。ジークの口から、ぽつりぽつりと言葉が落ちてきた。それは、詩のかたちをしている言葉。アベルがしばらく黙して聴いていると、今度はそれに拍子が加わり、小さな歌となって洞窟内にこだました。
誰が聴いても分かる。それは、優しき母が子へと贈る光の歌だった。
彼の歌か、彼の魔力が人知れずか、それとも巨大な魔法石の力か、呼ばれた風が包むようにアベルとジークの間を流れ、洞窟の外へと旅立っていく。アベルがそれを追うように外に出てみると、気が付かぬ内に夜が明けたらしい、目の前に広がるのはどこまでも赤く輝く朝焼けだった。
彼は風を呼ぶ、朝の赤を宿した静かな光の歌に耳を傾けながら、朝焼けが今日を連れてくるのをただ、その歌が聴こえなくなるまで眺めていた。
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