彼は誰
何処に向かって歩いているのだろうか。
曖昧な輪郭を保った思考を抱えて、アインベルは歩を進める。だがどうしたことだろう、〈オルカ〉の遺跡——〝牧歌の間〟の前で自分のことを待っていた五人を、しかし少年は見向きもせずに通り過ぎると、そのまますたすたと遺跡の入り口に向かって歩いていってしまった。
「あ、ちょっと、アインベル、〝呼び声なき眼〟がないと、そこは——」
少しばかり慌てたように、そう呼びかけるハルの声も聞こえていないのか、アインベルは牧歌の間の、扉のないその入り口へと進んでいく。彼が障壁に弾かれるのを想像したハルは、その目を思わずぎゅっと瞑った。
「……えっ?」
しかし、いくら待っても聞こえてくるのは、アインベルが杖を片手に歩を進めるその足音と、石壁に反響する鈴の音ばかり。
そうして、ハルがおそるおそるその目を開けると、当のアインベルはなんの問題もなく牧歌の間を進んでおり、彼女はその両の目を瞬かせた。
ふと、アインベルが遺跡の前で立ち止まっている五人の方を振り返り、どこか虚ろにも見える瞳をして彼らへと声をかけた。
「どうしたの? 早く行こうよ」
それだけ言って再び長い通路を進んでいくアインベルに、クイがぽつり、と言葉を洩らした。
「呼び声なき眼を持ってないのに、あいつ——なんで、中に入れたんだ……?」
✴
何かに——誰かに、呼ばれているような気がする。
アインベルは牧歌の間の最奥、床に呼び声なき眼が彫られている石室へと辿り着くと、何かに憑かれたように、鈴の杖を石造りの台座——その窪みに填め込んだ。
高い鈴の音が一つ響いて、ふと、その瞳の中に黄昏の紅水晶が映る。
視界に張り付く紅水晶をしばらくぼんやりと見つめると、しかし彼は、或ることに気が付いた。
——朝焼けだ。
なんてことはない、ただの朝焼けだった。いつの間にか、夜明けがやってきていたのだ。
ああ、何故、朝焼けを紅水晶だなんて思ったのだろう。けれども、ああ、そうか——昔、故郷の母が首に飾っているところを見た、あの紅色をした水晶は、確かにこんにちの空のような色をしていた。
ひゅうっと朝の風が吹き、また鈴の音が鳴った。
音の鳴った方へと視線を向ければ、自分の手の中に有る、今は長杖と化している鈴の杖は、その石突で土の地面を指し示している。
そこには、召喚陣が地面に彫るように描かれており、彼は木洩れ日を受けてその存在を増している陣を目にして、自分がまだこの召喚陣を描いている途中だったことを、唐突に思い出した。
描かれた正円は、とこしえに巡る理の環——言葉を司る〝のべつの竜〟ウロヴォロスを表す。
その中心に描かれる、先のすぼまった楕円形は、喚びたいものを見付ける黒目。
黒目に無数に散らばるひし形は、天に輝く星々の姿を表し、天の星々とはすなわち、こちらを見つめる無数の目である。
黒目の外側——白目の部分に描いたのは、鎖、渦、魔除けを表した紋様。
鎖とは、喚び出すものを離さずにこちらまで連れてくるための鎖。渦とは、力強く相手へと呼びかけ、また、自分の方へと呼びこむための渦。魔除けとは、こちらの声にだけ耳を貸してほしいという、術師のまるで呪いのようなねがいであった。
円の内側と外側には、几帳面にも一定の間隔を等しく空けて、恐ろしいほど規則正しく、術師と詩人しか遣わないのでは、と思われるほどに堅苦しい言葉が並んでいる。
彼は自らが描いたその言葉たちを、円を見下ろすようにして眺め、それから心の中で読み上げた。
我は瞳。
我は鐘。
我は見付ける。
我は見付かる。
我は知らせる。
我は知られる。
我は瞳。
我は鐘。
我は此処に在り。
汝よ、此処へ至れ。
——そう、後はその最後の言葉の手前に、彼女の名前を刻めばいい。
心の中で確認して、しかし彼は自分の描いたその召喚陣の出来栄えに、抑えられずに溜め息を吐いた。
——ああ、なんて酷い出来なのだろう。召喚師となってこのかた、ここまで酷いものを描いたことはない。
そもそも、この召喚陣は、喚びたい人間をそのままこちらへと喚び出すための陣だ。それなのに、この乱雑な描きようといったらない。特に白目の中が酷い有様だ。
これをほんとうに、自分が描いたというのだろうか。
動の言葉を発する者たちが、多々息づく町の中でたった一人、動の言葉と静の言葉を聴き、それを心の言葉として、正しくのべつの竜へと届けられる——描き言葉を以って、のべつの竜に己の意志を伝え、そうして世界へと呼びかけられる力をもつ者——すなわち、町で唯一の召喚師の器をもち、その通りに召喚師である、この自分が?
信じたくはないが、しかし自分は確かに焦っているようだった。
けれども、何を焦ることがあるのだろうか。
心の中で押し問答を繰り返し、浅く息を吐くと、彼は背後を振り返った。
自分が立っているこの森から、仲間たちのいる野営地までは、多少の距離がある。
峠で張られているその野営地では、町の男衆が隊を組み、町を蹂躙しようと突き進んでくる敵国の軍隊を、町へと向かう道中に在る峠にて、勇敢と呼ぶべきか蛮勇と呼ぶべきか迎え撃つ準備をしていた。それも、昨日の夕暮れまでは、の話なのだが。
——そう、昨日の夕暮れまでは、である。
昨日の夕方、何故か敵の軍が峠を前にして撤退を始めたという伝令の知らせに、戦などしたこともない間に合わせの隊長は、その首を傾げながらも野営地の警戒を一応解いた。
生まれてこのかた、楽器を作り、そして奏でるばかりで、武器など持ったこともなかった町の男たちは、その知らせにどこか安心したような表情で、各々が野営地に張られた天幕へと戻っていったものだ。しばらくすると、幾つかの天幕から——やはりその肌身から離すことができなかったのだろう、自前の楽器で奏でられた——楽の音が、微かに峠に鳴り響いていた。
——そうだ、戦うことはない。
此処はもう、危険ではない。
誰も、死ぬことはない。
そう自分に言い聞かせて、彼は再びその視線を、地面に描いた召喚陣へと戻した。
胸の奥で厭にざわざわと鳴る、警鐘にも似たその予感を押しのけるために、彼は自分の描いた召喚陣をまた検め、そして心の中でその出来を罵る。
——これではきっと、姿どころか、相手の声くらいしか喚び出せないかもしれない。
そう心でひとりごちて、しかし、いいや、と彼は首を横に振った。
——まだ、完全に此処が安全と決まったわけじゃあない。彼女を此処に喚び出すというのは、やはり時期尚早ではないだろうか。
その思考に、彼はまたかぶりを振る。
——いいや、安全だ。隊長も、そう言っていただろう。
では何故こんなに心がざわつくのか。彼は再び背後を振り返り、野営地の在る方角へとその視線を向け、目を細めた。どうしてだろう、森に差し込む光がやたら眩しい。
夜の深い内に野営地を出て、もう随分長い時間が経っていた。町の仲間たちに黙って抜け出してきてしまったが、もし戦いになったそのとき、召喚師である自分の役割は、戦うための弾薬や野営地での食糧が足りなくなった場合、それらを町から喚び出して、物資を補給することであった。
やはり、朝焼けの光が厭に熱い。いいや、だいじょうぶだ。だが、あれはほんとうに朝焼けの赤色か? 気にするな、なんの問題もない。昨日の伝令が言っていたことを思い出せ。昨日の伝令——伝令? いや、待て、昨日の伝令は——そう、歩哨の任に就いている彼のはずだ。彼——、だが、彼の声は、しかしあんなに高かっただろうか?
そう思い至ると同時に、野営地の方角から、彼の鼓膜を破らんほどに大きなうねりを伴った音の波が、まるで爆発するかのように雪崩れ込んできた。
彼は弾かれたように、その鈴の杖を片手に森を飛び出すと、野営地の方へ向かって一目散に駆けていく。
心臓の鼓動が、激痛を連れてくるほどに速いのは、しかし走っているからではない。
音が聴こえる。
これはなんの音だ。
音が聴こえる。
音が聴こえる。
——音が聴こえる!
若者の脚力で一心不乱に駆け抜ければ、もう、すぐに野営地は近付いた。
それを自覚しながら血走った目で尚駆ける彼は、ふと何かに蹴躓いて、森の中よりは硬い地面に片手をつく。
「あ……」
しかし、土に手をついたはずが、そこに残るのはぬめりとした感触ばかり。
彼は、その手触りにぞわりと背筋が粟立ち、慌てて服の裾で手に付いたその赤色を拭い取る。けれども今度は、自分が躓いた方へと向けた視線の先、そこで目にしたものに、彼の背骨が音もなく凍った。
「〝——〟!」
そこに倒れていたのは、紛れもない——自分が長い時を共に過ごした、幼馴染の青年だった。
「〝——〟! おい、返事をしてくれ、〝——〟!」
発した言葉がほとんど自分でも聞き取れないほどに声を荒げ、必死でその両肩を揺さぶってみても、幼馴染はぴくりとも動かない。
ふと、彼はその視線を息絶えた幼馴染の手の方へと向ける。呼吸を失った彼が手にしているのは、一週間前に彼が生まれて初めて触ったと言う、彼の作る楽器よりもいくらか全長が長い銃だった。
——銃。
それを目にした途端、彼の目の前は真っ赤に染まった。
死んでいる。
彼が、死んでいる。
——楽器職人の息子が、武器を手にして死んでいる!
幼馴染が手にしている長銃を彼は手に取り、狂ってしまいそうなほどに煮え滾るこの怒りをどこへぶつければいいのか、遠くで無情に死と怒りを暴いている朝焼けに向かって、その銃の先を向けた。
だが、引き金を引いたところで、そこから弾丸が飛び出てくるわけもない。
彼は銃の引き金を引くと共に、幼馴染の望みを絶ったのであろう、その虚しい音を聴いた。
……ああ。
ああ、そうなのか。
そう、だったのか。
——弾切れ、だったのか……
熱い光でこちらを照らし出している太陽に、彼は泣き声にも聴こえる渇いた笑い声を上げると、幼馴染が楽器の代わりに最期まで握っていた長銃を地面に叩き付け、そうして立ち上がった。
力が入らずふらつく身体を、召喚陣を描くために伸ばした鈴の杖で支えると、そこで鳴る鈴の音に、彼はまた虚しく笑う。
「そうか……おれが、殺したのか……」
視線を落とせば、彼の血が染み付いた服の裾が目に映り、視線を上げれば、遠くで燃え滾る朝焼けの空が目に映る。
歩いている感覚も消え失せた自分の身体を、しかし野営地の方向へと押し進めるために地面に杖を突けば、笑えるほどに軽やかな鈴の音が耳に入り込んできた。その涼しげな音はまるで、私利私欲に駆られた自分を嗤う声にも聴こえる。
彼は、まだ朝が届いていない天上の藍色を仰ぎ、恋人の名と、それから最早何処にもいない幼馴染の名前を呼ぶ。
「おれは……誰のための、召喚師だったんだろうな……」
身体を引きずるようにして彼は進み、そのたびに鈴は昨日と変わらない色の音で鳴る。
「……おれは、お前たちのための——」
声にもならない言葉を吐き出すと、彼は哀しげにかぶりを振り、それからふっと微笑んだ。心の音が消えてしまったかのような、光の差さない瞳で野営地の方角を見やる彼は、まるで自分の最期の瞬間を知ったかのようだった。
そして、朝焼けの眩しさももう感じなくなった目を引き連れ、彼は野営地のほんの手前に辿り着く。
そこでは、弾薬の尽きた銃が屍の如くに積み重なり、それからそれを目にすることを覚悟していた彼の瞳に、しかし町の人間たちの死体が映ることはなかった。
代わりに、音が聴こえていた。
——音。
これはなんの音だ。
そう、音が聴こえるのだ。
これは、此処で聴こえてはいけない音だ。
音が聴こえる。
……ああ、やめてくれ。
音が聴こえる。
更に大きくなった。
これはなんの音だ。
いいや、音ではない。
これは、音楽なのだ。
——ああ、音楽だ!
これは、音楽だ。
これは、彼らの声だ。
これは、彼らの言葉だ!
どこか絶望にも似た思いで、彼はその胸を押さえた。
弾薬の切れた武器を捨てた彼らが、その次に手にするものと言えば。
——これが最期なのだと思い、そしてそのときに、彼らが選び取るものと言えば。
「やめろ……」
呟くと彼は顔を上げ、杖を手に野営地へと駆け出した。仲間たちの奏でる楽の音に、走る彼の鈴の音は掻き消されていく。
「やめろ、やめろ、やめろやめろやめろやめろ……!」
血が絡んだような声で、彼は絞るようにそう叫び、野営地に張られた天幕の一つ、その後ろで立ち止まる。
しかしそんな彼の心も虚しく、彼の瞳には、そこからしばらく行った先で、自分の仲間たちが楽器を奏でながら、無謀にも前へ前へと行進していく様が、無慈悲な朝陽に照らされて映った。彼らが進む先には、太陽の光にまばゆく波打つ、光さざめく白銀の鎧を纏った兵士たちの大群が見える。
「……やめろ、やめろよ……」
最早懇願にも近い響きで、彼は仲間たちのいる方へ向かってそう言葉を発する。
しかし、この言葉が、自分たちへ向けた葬送曲を奏でている彼らに届くはずもないことは、彼にも分かっていた。
また、彼は、彼の町の者たちが皆もつ、動の言葉を——自分の心を音楽で言葉にする、その〝借りものの力〟をもたない。
彼は町で唯一の召喚師、動と静の言葉を聴き、その響きの中に心を見出し、言うではなく〝描く〟ことによって世界に呼びかける、生まれながらにしての召喚師である。描かなければ、召喚陣を描かなければ、今の彼らに自分の言葉を届けることなどできるはずもなかった。
だが、もう、描けない。
もう、動くことさえ叶わない。
杖がなければ、立っていることさえできないのだ。
——動の言葉、その力を借る者たちの中で、しかし〝心音〟の力を借る彼の耳は、町の誰よりも良い。
それを幸運と言うべきなのか、それとも不幸と言うべきなのか、自分から離れた場所で演奏をしている彼らの音楽が、その言葉が、大気をうねらせ、力強い響きをもっては、塞ぎたい気持ちで狂いそうな彼の耳へと、しかし大水の如く流れ込んでくる。
その響きに、どこか空っぽな気持ちで地面を見つめていた彼は、はっとして顔を上げた。
——音楽が聴こえる。
彼らの音楽、
彼らの言葉が。
これは、葬送曲などではない。
己の死を悼む音楽などではなかった。
これは、呼びかけだ。
これは、たいせつなものを失っている者へと呼びかける、心の臓の言葉だ。
彼は杖を片手に背筋を正して、唇を噛み締めた。それから長く伸ばしていた杖を本来の短さに戻すと、届くはずがないと分かっていながらも、しかし彼らの演奏に合わせるように、一定の間隔で——召喚師らしい几帳面らしさで、その杖を振る。
——そう、この鈴の杖こそが、彼の楽器だったのだ。
……ああ、音楽だ。
愛しい、音楽だ。
彼らは各々の楽器を片手に、白銀たちの元へと向かっていく。
敵国の兵士たちは彼らに銃を向けたまま、しかしうねりを上げてひた進んでくる音の波に圧倒され、その引き金を引けずにいるようだった。
だが召喚師の彼には、もう白銀の鎧を纏う兵士たちを、敵と呼ぶことが正しいのかすら分からなかった。
彼には、音楽が聴こえていたのだ。
彼には、仲間たちの言葉が聴こえていたのだ。
剣を下ろせよ 古き友よ
聴こえているか わが呼び声が
歌を歌えよ 古き友よ
聴こえているか わが呼び声が
わが血で燃やすな この空を
燃やすならば この歌で
わが血で染めるな この大地
染めるならば この歌で
剣を下ろせよ 古き友よ
聴こえているか わが呼び声が
歌を歌えよ 古き友よ
聴こえているか わが呼び声が……
ふと、心へとそう言葉を刻む彼らの楽の音が、一瞬だけ途絶え、その代わりに空を裂く銃声がひときわ大きく鳴り響いて聴こえた。
音楽を奏で、立ち止まることなくこちらへと進んでくる彼らに、恐慌した白銀の一人が、それが彼の意志なのか、それとも無意識なのか、手にした銃の引き金を引いてしまったのだ。
それが呼び水となったかのように、兵士たちが次々と楽器を手にしている彼らに向かって、その引き金を引いた。
抵抗の手段を持たず、容易くもばたばたと倒れていく仲間たちに、一瞬途切れた彼らの演奏だったが、しかし彼らはまたすぐに音楽を奏ではじめると、再び白銀の兵士たちの元へと進んでいく。
剣を下ろせよ 古き友よ
聴こえているか わが呼び声が
歌を歌えよ 古き友よ
聴こえているか わが呼び声が……
その音楽は鳴り止まない。
何人が倒れようと、何人が息絶えようと、彼らは演奏を止めることはしなかった。
そんな彼らに恐れをなした兵士たちは錯乱し、ほとんど狂ったように、引きつった声を上げながら彼らのことを撃ち殺していく。
彼らの音楽が鳴り止んだのは、白銀の兵たちが楽の音を奏でる彼らたちのことを、すべて殺した後になって、やっとだった。
けれども、彼らの奏でた音楽は、音が聴こえなくなった今も、兵士たちの耳に尾を引くように鳴り響いている。
遠くから仲間が次々に死んでいく様を見つめていた召喚師の彼は、次の瞬間、敵陣の遥か後ろに控えていた人間が、楽の音を奏で続けた末に果てていった仲間たちのことを、つんざくような声で嗤ったのを聴いた。
——ああ、おそらく、あれが敵国の王なのだろう。敵国の王は、随分な目立ちたがりだと聞いている。そんなことは、兵士たちの着ている鎧を見ればすぐに分かるが……
どこか現実逃避のような気分でそう考えた彼の耳に、今度は鋭い銃声が聴こえてきた。それから王の叫びに近い呻き声。
更に銃声が鳴る。
何処から鳴っている?
紛れもない、白銀たちの方から聴こえてくる。
何発も、何発も、何発も、
何発も銃声が鳴った。
白銀の兵たちの表情は、此処からでは見ることが叶わない。
だがしかし、彼らは撃ったのだ。
撃って、
——殺したのだ。自分たちの王を。
それから鎧をその場に脱ぎ捨て、ただの人となった彼らは、峠を引き返して去り、その後二度と姿を見せることはなかった。
仲間たちの奏でた音楽を耳の中で鳴り響かせながら、たった一人生き残りとして町に帰った召喚師は、自分の罪を象徴する遺跡を町近くの森に建て、あの日自分が己の欲に駆られ、皆を死なせる原因となった召喚陣をその遺跡の奥の床に刻んだ。
彼はふと、想い出す。
仲間たちが最期に奏でた楽の音——あの旋律は、彼らが手持ち無沙汰になるとよく弾いていた、町に伝わる普遍的な牧歌だった。
それから、自分の楽器である鈴の杖を導きとして、この遺跡に朝焼けの記憶を宿すと、記憶にあの瞳の陣が在る者以外——すなわち自分以外はこの遺跡に入れないよう、昔かじっていた魔術で入口に壁を張った。
自分の恋人が、その一部始終をすべて見ており、その召喚陣を意味も分からず、しかし彼の形見として町で語り継ぐとは、露にも思わず。
そうして再び、この記憶を喚び出し、そして正しく向き合えるようになるその日まで、彼は自身の罪を贖う旅に出た。
行先は決めていなかった。
ただ、旅立ちのその日、大地には戦の終わりを知らせる暁鐘が鳴っていた。
鳴り響いては尾を引くその音色に、彼は仲間たちの音楽と、そこに宿った言葉——そして、ふと、潮騒を重ねる。
彼の視線は、東の青い海へと向いた。
一歩、歩き出す。
鈴の音が鳴る。
そこから先、彼は二度と、振り返ることはなかった。
鈴の音は鳴る。
けれども、それはまるで、音のない黄昏の枯れ野を征くようだった。
——そして、彼が町へと戻ることも、もう二度とはなかった。
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