耀樹
その人は、透き通る月白の髪に日長石の瞳をもつ。
異国風の舞踏衣装を身に纏い、首には紫の生地に白で模様が描かれた踊り布を巻いていた。月白の髪は高くひとつに括り上げられ、まるでその人の気高さを表すかのようだった。その人の少し日に焼けた額ではいつも、月のようなサークレットが光を吸い込んではゆらゆらと輝き揺れていた。その人は太陽のような人であり、月のような人であった。……小町薫子、にとっては。
――その人の名前は韻響。インキョウ。彼女は自らでそう名乗った。韻響は舞踏家の家系に生まれながら、踊ることよりも世界を冒険し、魔物と戦ったり財宝を追い求めたりすることの方が好きというような女性だった。そして実際、その心のままに生きていた。〝踊るように生きていた彼女は、ある意味で本当の踊り子だったのかもしれないね。〟後に彼女の夫はそう語る。
小町薫子と韻響は、旅の途中で出会った。正確に言うと、韻響とその幼馴染の或る少年――後に彼女と結婚し、犬童の主になる少年である――が旅の途中、空腹に耐えきれず立ち寄った村で、薫子に出会った。
その頃の薫子は、まだあどけない少女であった。まだ若いのに老人のような話し方をすることは今と何ら変わりはなかったが、言葉の節々にはやはりどこか幼さが残っており、そんな彼女の黄水晶はいつでも煌めいていた――それは、彼女が韻響と出会ってからの話だが。韻響たちと出会ったばかりの薫子は人を信じず、人を恐れ、人を憎み、彼女の瞳の黄水晶は泥を閉じ込めたかのように濁りきっていたものだったが、ただ一つ言えるのは、薫子のその濁りを受け止め、爛々と輝かせたのは紛れもなく韻響だった、ということである。
「キョウ、韻響、これは何じゃ?」
生まれてから一度も村から出たことのなかった薫子は、韻響と出会ったときに彼女が発した、一緒に世界を見に行こう、という言葉に心臓が燃えるのを感じた。あまりに突飛な発言だったため、そんなものに承諾するはずがないと韻響に付き添う少年は思っていたのだが、意外にも薫子は二つ返事で了承した。そしてそれは当たり前のことだった。彼女は恋をしたのだから。
「それは……化石ね。何か、植物の」
「化石? そうか、へえ……。植物も石になるのじゃなあ」
「ええ。だから世界は面白いのね」
「……本当に踊り子に向いておらんな、おまえは」
「そうでしょうとも」
三人の少年少女は若さが手伝ったこともあったのだろう、すぐに打ち解けることができた。幾多の都市を駆け巡り、幾多の遺跡を踏破し、幾多の魔物と戦い、幾多の冒険をした彼女たちは互いが互いを大切に想い、一人たりとも欠けてはならない存在になっていった。
そして、いつしか三人は大人になり、韻響とあの頃少年だった彼は結婚し、めでたく結ばれた。薫子が韻響に恋慕の情を抱いているということに自身が気が付いたのも、この頃だった。しかし、薫子の瞳に嫉妬の炎が宿ることはなく、大切な二人が一緒になったことを彼女は自分のことのように喜び、ただ純粋に幸せだと思った。
そしてその後も、三人の関係が変わることはなかった。
「そういえば今日はあやつを見かけていないな。来ないのか?」
「彼? そうそう、今日は研究に集中したいらしいのよ。例の」
「ああ……機械人形の研究とやらか。上手くいきそうなのか?」
「さぁねえ。私、ああいう小難しいことはよく解らないのよ、面白いとは思うのだけれど……ふふ」
韻響は彼と結婚した後、三年余りで流行り病に罹り命を落とすことになる。薫子は彼女を失い、涙が枯れるほどに慟哭した。流した涙の熱さから己の身体も燃えてしまえばいいとさえ考えたが、そんなことを思っては韻響に地獄に落とされると自らを戒め、何とか彼女は立ち上がった。また、それは彼も同じであった。死してなお、韻響は彼女たちの太陽、月、その光だった。
「……嫌な夢を見たのを思い出した」
遺跡を探索していた薫子がふと、そう呟く。それからひとつ身震いをして、息を吐いた。
「夢?……どんな?」
「――おまえが……死ぬ……夢」
言わなければ良かった、薫子がそう首を振れば、韻響は少し驚いた表情を浮かべた後、鈴が転がるような声で笑った。
「ええ?……私が?」
「うん……まあ、おまえがいちばん……死ななそうだがなあ」
「そう見える? でも私、人より三、四倍は幸せに生きてるし……人より三、四倍早く寿命がきても、ええ……おかしくはないわね」
その言葉を聞いて、薫子の黄水晶が微かに揺れ動いた。韻響の日長石と薫子の黄水晶がかち合う。韻響は腰に手をあて、困ったように笑った。
「まったく……まるで私が今すぐ死ぬ、みたいな顔をするのはおやめなさいな、カオル? 私と彼の前ではまるであなた、子どもみたいなんだから」
「お転婆なじゃじゃ馬娘には言われとうないわ。のう……まだ行っていないところが山ほどもある。世界を、見るのじゃろ?」
それを聞くと、韻響は満足そうに頷いた。ランタンの灯りで、彼女の額の月が輝いている。
「そうね。でも、もし私が死んだら――お願いがあるのよ、カオル」
「……そういったものは、あまり聞きたくないのだがなあ」
言いながら薫子は、手に持った化石を元々在った場所へと戻す。今は何も持っていたくなかった。両手を使わなければ、彼女の願いを受け止められないように感じたのだ。
「もし私が死んでしまったら、薫子。ねえ、恋を――恋をしてね」
お願いよ、彼女のその言葉は薫子の心臓の奥に溶けていった。薫子は、彼女に恋をしていて初めて、心の奥が痛いと感じた。じりじりと肺が灼けるのを彼女は思いながら、ほんの、ほんの少しだけ微笑んだ。
その表情を見た韻響は、何だか彼女が蝋燭の火のように消えていってしまいそうな気持ちになり、ランタンの炎を少しばかり大きくして呟いた。
「あなたは時々、母親のような表情をするわね。薫子」
「……カオル、と」
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