ノンブレス 01
「おれはおまえの幸せだろう」。そう呟いた彼の顔は昇る朝陽に照らされてよく見えない。極彩色が瞼の奥を叩くのを少女は感じた。喉の奥から絞り出した少女の声は音になっていただろうか。「あなたの幸せが、わたしなのよ」。彼はこちらを見なかった。——『幸』
あの人が死んだ、と風の便りで聞いた。特別驚きもしなかったが、ぬるい哀しみは波紋のように胸に広がる。おれも年をとったものだ、と老人はゆっくりと目頭を押した。彼が手に持つマグカップの水面が、音も立てずに揺れる。あの人は、初恋の人だった。——『涙』
湖畔の前に、一人の男が立っている。漆黒の髪に、海よりも深い青の瞳。黄金の髪の少女は彼に近付くと、騎士のするような一礼をした。「貴方様を探しておりました」「——おまえは」「私は、これから貴方様の剣となり、盾となる者に御座います」——『伴』
花が咲くような顔で笑うものだ。彼女の表情を見て、口の中だけでそう呟いた。彼女の視線の先を、ほとんど無意識で追う。その先には彼女の幼馴染が泥に滑って転がっていた。何か心の奥にわだかまりのようなものを感じたが、それは敢えて、知らないふりをした。——『慕』
瞳の奥で星がはじける思いがした。ああ、嘆かわしいことだ、おれは今まさに、恋に落ちてしまった! 向かいでグラスに口を付ける彼女は、彼のそんな想いなど露知らず。彼には今、そのグラスにすら星が煌めいて見えているとい
うのに! ——『熱』
「泣くこと、ないだろ」。半年ぶりに会った彼女は、彼を見るなり大粒の涙を流して泣いた。ぼたぼたと光って落ちるその一粒を彼は掬い、少し呆れた表情で柔く笑う。「——泣くに決まってます。あなた、わたしがどれだけ会いたかったか知らないでしょう」。少し、目頭が熱くなった。——『指』
群青色の皿に目玉焼きを乗せる。その様子を見ていた彼がぽつりと呟く。「不味そう」。私は彼に視線をやることなく口を開いた。「嫌なら食べなくていい」。そういうことを言ってるんじゃない、瞳で訴えた彼は食卓に座った。ああ、憎たらしい。憎たらしいというのに。——『背』
「知ってるかい。星というのはね、金の粉を纏った渡り鳥が空を翔けると生まれるんだ」。目の前の少年の話が嘘だということを、少女は知っていた。だが、法螺を吹く少年を少女は嫌いにはなれなかった。むしろ、もっと一緒にいたいと願った。その願いが星を生むとは知らず。——『繋』
彼の右手は機械だった。彼の右手を握るとき、幼い少女は冷たい金属の温度と共に彼のやさしい体温をどこかで感じていた。彼に抱き上げられると、空が一気に近くなる。ここには銃声が届かない。ここに在るのは、二人のやさしい呼吸だけであった。——『花』
随分遠くまで歩いてきたものだ。青年は青く萌える大地を振り返り、今までの旅路に想いを馳せた。地平線はまだ遠く先に見える。おれの求めるものはどこまで歩けば手に入るのだろう。青年は白い陽光に手を翳した。彼の旅は終わりを知らない。——『空』
拳を強く突き合わせる。これが彼らの別れの挨拶だった。ここでは誰もが飛び立って往く。今しがた別れを交わした同胞が、自分の目的地とは逆の方向へ旅立つのを見送り、彼も自らの飛行機を唸らせた。寂しさが残る彼の胸には、一筋の光が宿っている。空は青く広がっていた。——『翔』
あなたが笑うと私は、どうにも胸が苦しいような、そんな気持ちになるのです。ああ、何故、あなたはそんなにもやさしく笑いかけてくれるのでしょうか。それはあなたが優しい人だからか、それとも酷く残酷な人だからなのでしょう。何故って、私は幽霊ですよ。——『思』
ひどく嫌な夢を見た気がする。今、目を開けてきみがいなかったら。そう思うと背骨が粟立つ思いがした。恐る恐る瞼を持ち上げると、隣に控えめな寝息を立てて眠るきみ。馬鹿みたいに安堵した自分に少し可笑しくなる。どうやらまだ、夜は明けないらしい。——『窓』
赤い靴を鳴らして少女は少年の頬へ手をやった。「あら! これは一体どういうことかしら!」。少年がぱちりと瞬きをし、はっとした表情を浮かべた。少女は少年の頬に付く欠片を指で取り、ぺろりと舐める。「おかしいわね、あたしのチョコレートケーキの味がするわ!」。——『舌』
目の前のオムライスを平らげながら、彼は嬉々とした表情で口を開いた。「驚いたなあ、君がこんなに料理上手だったとは!」。それを眺める彼女は曖昧な笑みを浮かべて頷く。馬鹿ね、あなたのために練習したのよ。彼女のその言葉を、彼が聞くことはない。——『耳』
卵色の髪と白いワンピースが風に揺れている。少年はこの田んぼ道に不釣り合いな少女に、首を傾げた。「こんにちは」、彼の隣を通り過ぎる少女が不意にそう言った。はっとして少年は振り返ったが、少女はもう遠い。どくり、心臓が鳴る。なんだか、喉が渇いた。——『夏』
胸元に冷たい重みを感じながら、彼女は口を開いた。「私は貴方を愛しているのだけれど」。随分冷えた声が出たものだ、彼女は心の中で自分を嗤った。拳銃を突き付けている彼は今にも泣き出しそうな顔で、その、異様に重たく感じる引き金を引いた。——『弾』
海を眺めている彼女が、誰に届けるでもないようにぽつりと呟く。海はどれほど深いのだろう、そんな風に言ったのか、彼はぼんやりと彼女の声を聴いていた。おまえの涙ほど深くはないさ、そう、口の中だけで呟きながら。波の音が、やけに遠く感じた。——『声』
『Who is the hero of this story?』
フロム・ツイッター 20160105
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