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綿谷真歩
2018年4月8日 17:13
彼女は足にだけマニキュアを塗る。理由を問えば、自分はぶきっちょうだからと、彼女は自分の左手を指差して笑った。ぶきっちょう。不器用。不器用。左手よりは器用な、しかしそれでもぶきっちょうである彼女の右手が塗った足のマニキュアが、影の中に赤く浮かんでいた。『ハナノカゲ』 春が青いなんてのは、大人の嘘だ。少年は心の中で呟いて、少し前を歩く少女の後ろ姿を見やった。その背で茶の髪が光に照らされ、半ば金
2018年4月8日 16:47
あなたは輝く瞳で、未だ風を追っている。それなのにおれは、風の匂いも分からない。分からない大人になってしまったよ。海鳴りの音、泳ぐ魚、それも聴こえない、その色も見えない大人になってしまった。あなたが船上で手を振る。おれの手が届かない処で。届かない処で。『モスキート』 おまえは知らないだろう、おれはおまえを愛しているのだ。おまえのためなら毒も呷ろう。悪魔に魂を叩き売っても構わない。おまえがおれ
2016年1月30日 00:37
白昼に月、あなたはまた、あの白い光に焦がれているのだろうか。おれは月に焦がれない。誰が焦がれてやるものか。月よ、と思う。月よ、おまえがここまで落ちてこい。おまえのその、青い白を砕かせろ。あの人の目まで届かぬよう。——『狼』 夜闇を切り裂く、一筋の光よ。飛行機の背びれよ、翔ける白鳥の羽よ。それは今、おまえの瞳の膜をも真直ぐに切り裂いた。ぽたり、落ちる涙の雫に映るのは、空向かう者の銀翼の心か、落
2016年1月5日 23:44
「おれはおまえの幸せだろう」。そう呟いた彼の顔は昇る朝陽に照らされてよく見えない。極彩色が瞼の奥を叩くのを少女は感じた。喉の奥から絞り出した少女の声は音になっていただろうか。「あなたの幸せが、わたしなのよ」。彼はこちらを見なかった。——『幸』 あの人が死んだ、と風の便りで聞いた。特別驚きもしなかったが、ぬるい哀しみは波紋のように胸に広がる。おれも年をとったものだ、と老人はゆっくりと目頭を押し