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全てを調べられるから、「いつか行きたい」を大切にしたい[加筆修正]

この記事は以前の「全てを調べられるから観る事を大切にしたい」を加筆修正したものです。

投稿のスタイルを決めてかれこれ1ヶ月ほど書き散らしていますが、記事の方向性を決めずに多くの記事を書いてしまうのも良くないので記事を書く際の指針を示したいと思います。

この時代に、旅の思い出を書く意味

すべてのものがバーチャルで済ませられる時代に、果たして実際に何かを見に行く価値はあるのか。こんな状況になってしまって、旅したことを発信する意味はあるのか。そんな事を時々考えています。

いくつもの国を旅していて一つだけわかることは、百聞は一見にしかずは確かに存在することです。そして実際に体験した発見は後々まで深く記憶に残ると言うことも。

元の世界は戻るのか

当然のように皆が旅をしていた時代は戻るのでしょうか?私はなんらかの形で戻ると思っています。現代に至るまで、技術の進歩によって手に入れた何かを欲深い人類が手放したことはないからです。
多くの人が「あそこに行ってみたい」と思い続けるのなら、きっとその願いを叶える方向に動くでしょう。

だから、私は「あそこに行ったみたい」という気持ちを絶やしたくないと思っています。

今フィクションにできることはとても多い

こんな時代にフィクションという表現方法はとても多彩で良い方法だと思います。人には想像力があり、追体験するとともに、「これはどんなものだろう、いつか行ってみたい」という思いを起こさせるものです。私の小説は拙くてとてもそんな気持ちを起こさせるような大層なものではないですが、これまで行った素敵な場所をささやかながら皆さんに紹介して少しでも「行ってみたい。いつか行くんだ」を増やせればと思っています。

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