あまりマーケティングしないことが信頼と影響力に繋がる可能性
SNSで友達を作ったりコミュニティを構築したり、有料コンテンツ、YouTubeチャンネルや動画、サロン、著書などをSNSを通じてマーケティングをすることはごく当たり前になりました。これらを最大化するために「影響力」は欠かせないツールとして注目を浴びています。そのためのキーワードになるのが、SEOや更新頻度などの「SNSマーケティングの方程式」です。でも、フォロワーやイイネなどの数字やタイトルやイラスト、文章構造のキャッチーさが本当に全てなんでしょうか?
「影響力」ってなんだ?「影響力」とマーケティングの相関はなんだ?
その謎を解くヒントを、コロナにまつわる社会現象に見たような気がするので書き残したいと思います。
Black Lives Matterにまつわるガッカリ
もう8月、コロナ禍もアメリカではもう半年以上続いています。世界的に異例なこの状態は「私たちはどうなるんだ」と世界中の人に、健康、雇用、社会保障など色々な種類の不安をもたらしました。この不安定な状況でいつもよりガッカリする振れ幅が大きくなり、社会運動になる出来事も増えました。アメリカでのBlack Lives Matter運動はそんな例のひとつです。
私たちはみんな「本音とタテマエ」を持って生活しています。そして、対外的に向けられる「タテマエ」が「本音」と違うことが明らかになったとき、ガッカリするんじゃないかと思います。
Black Lives Matterに話を戻します。以下の理由によりアメリカ人がガッカリし、各地でデモを起こしています。
アメリカのタテマエ:性別や人種による差別はしない/国は国民を守る
BLMで浮き彫りになった本音:黒人は人種差別され、生活を脅かされる
本音とタテマエが違うことのガッカリは、有名人のスキャンダルや政治家が公約を守らないこと、会社が人員削減したりするときにも起こります。ガッカリしたことのある人も多いと思います。
SNSでの本音とタテマエの境界
マーケティングでは印象に残り、人の目にとまるタテマエが重要です。しかしその中身、コンテンツ(本音)は必ずしも宣伝文句に相関しません。マーケティングではセンセーショナルさを求めるあまり、過剰になる危険性があります。マーケティング(タテマエ)が過剰だとわかったとき、ガッカリ、ひいては「信頼を失う」という現象が起こると考えます。
ならば、マーケティングが「過剰なタテマエ」になっていて、信頼を得るために逆効果になっている可能性があるかもしれません。
売り込まれている有料コンテンツや著書を購入したり、動画や記事を読んで「時間を無駄にした」と思うのは、宣伝文句で謳われているタテマエと制作者の本音がかけ離れていて、対価を払って得た体験がタテマエと一致しないことが理由であることも多いんじゃないかと思います。
SNS界隈で特に悪名高いオンラインサロンや有料コンテンツの例では以下のようなガッカリが多いんじゃないかと。
タテマエ:何かできるようになる(〇〇円稼げる、ノウハウを知れる、等)
本音:お金がほしい
結果: 高額を払って何も身につかない
コンテンツ全般の本音とタテマエとは、ざっくり言うとこんな感じかと思います(もちろんこの例にそぐわないものもあると思うので、一般論としての私の個人的な理解であることをご留意ください)。
タテマエ:助けたい、楽しんでほしい、参考にしてほしい等
本音:読んでほしい、見てほしい、買ってほしい、影響力がほしい等
私はマーケティングの効果があまり見込めなくても信頼される、コンテンツ>マーケティングのアカウントでありたいと思います。そして、期待値の差異を可能な限り縮めるために、タテマエの定義、タテマエを実現する努力の二つが大事だと思います。
タテマエの定義
まず、読者が制作者から何を期待するべきかを説明する必要があります。タテマエが実行可能なこと、本音とできるだけ離れていないことが大切だと思います。SNSでは多くの場合、本音は自分に軸足を置いています(読んでほしい、見てほしい、買ってほしい)。この点を考慮して、タテマエが自分オリエントなことも大切だと思います。
SNS初心者の一個人にとって実行可能で、本音と離れておらず、自分オリエントのタテマエの適切な例は、体験をシェアしたい、会話したい、友だちを作りたい、などではないかと思います。
タテマエを実現する努力
約束したタテマエは実現されなければ信頼を失います。楽しんでもらいたい、というタテマエを定義したなら、楽しんでもらう努力は欠かせませんし、助けたい、なら実際に役立つものを作らないといけません。自分/他人オリエントの観点からは他人の期待に応え続ける実行可能性を、本音とタテマエの近似の観点からはタテマエを貫くための本音とは別の努力を続けることの実行可能性を考える必要があります。
かと言って「ブログで稼ぎたいから誰かに記事を読んでほしい」では自己中すぎてフォローしてくれる人はいないと思います。本音とタテマエ、何がやりたいか、どこまでなら実行できるか。これらのバランスは常に微調整する心構えが必要だと思います。
私の考えるSNS戦略における適切な目標設定
1. SNSを通じて何をやりたいか/どこまでなら実行できるかを考える
2. 前項で考えたことをもとに、本音を設定する
3. 本音を踏まえてタテマエを設定する
4. 本音を軸にしてコンテンツを作る
5. タテマエを軸にしてマーケティングする
太く短い影響力と細く長い影響力
もちろん本音とタテマエがどちらも素晴らしい場合もありますが、たいていは本音とタテマエのバランスは難しいです。本音をタテマエに近づける、というのはマーケティングの真逆をいく発想で、華やかさ/地味さに関わります。本音とタテマエを近づけると、速く伸ばすのが難しい実感があります。
センセーショナルなタテマエを謳わない私のアカウントは、数字、キャッチーさ、アカウントの伸び方がよくも悪くも地味です。フルにマーケティングを生かし、短期間で一気にフォロワーを増やしたりマネタイズしたりするアカウントを太い影響力のあるアカウントとすれば、私のは細い影響力のアカウント。でも細いアカウントは長いことも魅力だと思います。試行錯誤の結果、2月にSNSを頑張らない決断をして、noteをちょこちょこ書く以外はほとんど更新していないのですが、フォロワー数が1人も減ってないどころか増えて続けています。
本音とタテマエのバランスは絶妙で、完全に一致させることは難しく、かと言ってどこまで離すのを良しとするのかは自分がどういう人間でありたいかが明確に出ると思います。華やかなものから地道なものまで、どんなコンテンツ/マーケティングのアカウントが好きなのかはリトマス紙になるし、自分がどんなコンテンツ/マーケティングをつくるかによって寄ってくる人も大きく変わってくるはずです。