『キバの唄』第3話 前夜の月
霧の様に煙や土埃が舞っている。
男達は咳き込みながら、あたりを警戒して銃をこちらに向けたまま、ずっと騒いでいた。俺の両腕を抑えてた二人もびくりと体を震わせ、警戒しているのを肌で感じる。
どんどん自分の中から溢れそうになっていた黒い渦が静まっていくのがわかる。
「っ!?誰だ…ッ!」
図体の割に、ストライプスーツ男は思い切り狼狽え、身振り手振りで屈強な男達に自分の周りを囲うように指示する。
あとから駆けつけた従順な黒服の男達も加わり、スーツ男の周りを城壁の様に取り囲む陣形で立ち並んだ。
「探してるんだろ。来てやったよ。」
(カシラ…!)
小慣れた手つきで埃を払うと武器を楽に構え直し、カシラは男達との間に一人立っていた。
男達の間から垣間見える華奢なカシラの姿や装備を見て、目の色を変える。
「ふっ、そんな玩具みたいな武器ひとつとは…よほど控え目な性格らしい!みんな、笑ってやるなよ?」
ストライプスーツ男の同調を強制する投げかけに、周りの男達のなかに侮蔑の入り混じった不快な空気が漂う。
「エル」
「…?」
カシラは、そんな空気や言葉を一切無視して、視線を男達に固定したまま尋ねた。
「あいつらに、何もされてないね?」
「あ、うん…大丈夫だよ。」
過保護なんだ。カシラは。
「なら良い。」
ちらっと一瞬、俺に目配せする。
「心配かけるのが上手いね、あんたは。腹立つ。」
「えへへ…ありがと。可愛いトコあるでしょ?」
「うるさい。今夜はしっかり働いてもらうからね。」
「はいはい…♪」
カシラのおかげで、俺は、笑える。
この人の呼吸に合わせることだけに集中していく。
雑音がどんどん遠ざかり、世界は俺と、少し先に捉えているカシラだけになった。いつでも動ける準備を整える。
(4…)
「おい…こいつ、様子がおか…」
「っ!おいっ!待て、手錠が…っ」
(3…2…)
右腕を押さえていた黒服の男の左足の先を渾身の力を込めて踵で踏み抜いた。
コキ…という手ごたえと、男の絶叫が停滞していた空気をがらりと変えていくのを肌でじかに感じる。この瞬間が、俺は、好きだ。
視線の端で、カシラも同時に踏み込んで銃を構えた男達の方向へ跳ぶのが目に入った。
響く銃声や怒号のなか間髪入れず、少し自由になった勢いを利用し、左腕を押さえていた男が取り出そうとした銃を瞬時に蹴り飛ばし、そのまま屈み込んで彼の足を強く引っ掛けるように蹴ると床にひき倒した。
倒したところに即座に飛び乗り、さくっと首を捻ると顔を上げる。
自分に向けられて乱射される銃弾を踊るようにかわし続け、カシラが暴れているなかに飛びこみ、ひとりの男を探した。
アドレナリンが俺の体内で数値を上げ、濃くなっていくような錯覚。
意識はほぼなく、城壁の向こう側にいた男を探す。沢山の男達に囲ませて守られながら避難する太った男は、皮肉にもすぐに見つかった。
「はやくしろ!どけ!開けろッ!」
一番後方を守っていた男に飛びかかる。
「ひぃっ…!!撃て撃て撃てッ!!何してるッ!撃ち殺せッ!」
次、次と順に立ち回って自分でも力の緩急をつけ、跳んでは屈んでを繰り返す。向けられた銃口の進路から飛び離れ、別の男に掴みかかってその骨ごと断つ。
怯んだ隣の男に掴みかかった時、背後からの銃撃をその男を盾にして避け、遂にひとりになった太った男に飛び掛かった。
男の大きく見開いた瞳に、自分が映っている。
「受け取れ。俺からのプレゼントだ♪」
◇
「エルが?えーっ!何だよ、俺も見たかったのに!」
「僕、ついやり過ぎちゃうから♪あの夜はカシラがいてくれたから良かったよ。だって止めてもらえなかったら、その男の…」
「いい!いい!いいって!…こわ。やっぱ見なくて良かったわ…」
ふふふ…と華やかに微笑えみ、ガブリエルは飲みかけのカルモン茶(オルカラド王国産のハーブティー)の入った白磁のカップに優雅に口をつける。
「でもカシラだけじゃなくてね…ミカ」
「ん?」
身支度を終え、ばらばらとガブリエルとミカが話すテーブルの周りに集まっていた。
ガブリエルはひとりひとりと目を合わせて、小さく頭を下げた。
「みんな、ありがと。僕のわがままに付き合ってくれて。」
いつもとは少し違う空気が流れ、キリルも持っていた長弓をぎこちなく動かして、照れくさそうに沈黙を持て余していた。
ガチャ…ッ
空気を動かしたのは、またカシラの少女だ。
その纏う空気と顔色に、何か只ならぬ気配を全員が瞬時に感じ取る。
「今夜、ウランドゥール山で帰国した国王軍の一団を襲う計画がある。」
固唾をのみ、全員が彼女の言葉に聞き入っていた。
「国王軍って…」
「うん。リアムがいる。キースも同行してるらしい。」
立て続けに出てくる国王の名前と、国外でもその名が知られている宰相の名前を、少女は深刻な顔で告げた。
「来たな…ついに直接、実力行使するつもりか。」
レオニードが立ちあがり、少女の隣に立った。
拳を強く握り込んでいた少女の肩に手を置き、笑いかける。
「で。行くんだろ?」
暮れゆく日差しに、静けさと寒さが増している。
今夜、オルカラド王国内全域で降雪の注意警報が出ていた。
山影は暗く、そして降りゆく雪を静かに受け止めて、彼らの少し先で悠然と待ち構えていた。狼たちの遠吠えも遠くで響いてる。
コヨーテ。
それが、彼女の名だ。
狼のように群れではなく、単独で行動することの多い小さな獣の名を、彼女はある日心根の強く優しい少年に名付けられた。
カシラと呼ばれて数年、武人となった彼女は仲間と数日過ごした古民家の前に立っている。
「カシラ!」
「準備いいよ!」
「こっちも。いつでも行ける。」
彼らと出会い、過ごしたこの数年がどれだけの濃い時間だったか。
彼らから、どれほどの感情や言葉を交わし合ったか。
冷たい信念が、彼らのおかげで愛にも感じるほどの強い情熱へと昇華するのを実感した。それが今の彼女の血潮となり、生命力そのものだ。
月が美しく、そして不気味に山の頂上線を照らしている。
森奥までは僅かな月明りだけしか届かない。しかし、彼らの目は、何の問題もなく正確に周辺を認識していた。慣れた手つきで武器を手に各自装備を整えて、リーダーの言葉を静かに待っている。
「よし。それじゃあ、行くよ。」
狼の遠吠えが聞こえている。本物の、狼たちの遠吠えだ。
白銀の森のなかへ、軽々と踏み出した彼らの姿は、一瞬にして溶けて消えた。
今夜も、悪の芽を密かに摘むために―
キバの唄―
耳を澄ませて。
雪夜に響く彼らの声が聞こえるかい?
悪いことをすると、彼らに見つかる。
だから、悪いことはしちゃいけない。
彼らは、必ず、見つける。
闇夜に紛れた悪の芽を。
密かに摘んで、朝焼けの中に消えて行く。
彼らは、正義の狼。
彼らの牙は、侮らないほうがいい。