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コミュニケーションを安定してとれる人と主従関係を楽しんでほしいという話。

コミュニケーションを取ることについて、手を煩わされる…みたいな表現する人はバッサリ行っていい。そんな人はなんかあってもまず話し合えないから。

こんにちは。HALです。

主従関係だろうが、まずは人間関係。コミュニケーションは必須。これはもう、動かしようのない事実。

それなのに、主側がめんどくささを正当化するためにコミュニケーションを拒否してる、と言わざるを得ないような例があとを絶たない。

これはあかんよ、さすがに。

正直、一回でもそういうことがあれば、従側から三下り半突き付けていいとわたしは思う。それぐらい、コミュニケーション拒否はただのリスク。ケガなど諸々のトラブルが起きたとしてもそういうことする人は逃げるし、そうされてからでは遅い。

主従関係は、わたしとしては心の支えにならないならやる必要はまったくないと思う。心身が崩れていたら日常生活に著しい悪影響がある。この悪影響を受けているのに寂しさに負け続けてしまうと、今度は従側自身も「単に大人としてどうなの?」という話になってしまう。

こうなるともっともっと、辛いとわたしは思う。

だから、コミュニケーションがとれてるかどうかは常に意識…というか、もはや意識すらしなくていいぐらい、コミュニケーションを安定してとれる方と主従関係を楽しんでほしいなぁ…とわたしは思うのです。



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