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痛みや苦しみを、一緒に考えてみること。

私はS側こそ、痛みや苦しみに向き合って噛みしめられる姿勢がいるんじゃないか、と思う。その姿勢があってこそ、M側に安心して「この方にゆだねたい」と思ってもらえるんじゃないかと。

こんにちは。HALです。

カウンセラーという職業上、よく聞かれることがありまして。
「こんな話きかされても、めんどくさくないですか?」とね。

そのたびに思っちゃうんです。
「そういう風に、今まで扱われてしまっていたのか…」と。

このツイートでお話しした痛みや苦しみってのは、物理的なものというよりどちらかというと精神的なもののことを指してます。

ここで冒頭に戻るんですが、こんな話きかされても…の中身は一般的にはネガティブかもしれない、とか、考えすぎかもしれない、とか、こんなの変じゃないか、とか思ってしまうようなこと。あとは感情的な意見も込みかな。

こういうのを受け止めることって、たしかに痛みだったり苦しみだったりが発生することもある。
だけど、この痛みや苦しみを受容することで、関係が前に進むこと・深まることを知っているから、わたしは聴くことを厭わない。

わたしが個人的に思う主従関係での禁忌が、この「聴く」をめんどくさがること(恋愛でも同じか…)。

めんどくさがれば、その場ではたしかに苦しまなくて、痛みを感じなくても済むだろう。

だけど、その分相手の痛みや苦しみの累積に気づけなくなってしまう。当然「受け止めてもらえなかった」という思いは不信にもつながる。なのにこのことに気づけない人は「突然、相手から三行半が突きつけられた」などと言ってしまう。

相手の信頼がほしい、と思うなら、まずは相手が感じている痛みや苦しみを一緒に考えてみるのってすごく大事なことだと思う。

それを積み重ねていけば、自ずと委ねてもらえる関係に「求めずとも」なっているはずだと思うんです。

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HAL
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